昨季8勝を挙げて一躍ロッテの若きエース候補となった種市篤暉(たねいち・あつき)。そのブレイクのきっかけをつかんだ「コウノエ・スポーツアカデミー」の合宿トレーニングに、昨年に引き続き今年も参加した。



「たった2、3球投げただけで、僕の欠点を見抜かれました」

 1年前の衝撃を、種市は忘れない。キャッチボールの相手を務めたソフトバンクの千賀滉大から左肩の開きが早いことを指摘されたのだ。

ロッテ種市篤暉が「欠点を見抜かれた」場所。悩み続け光が見えた...の画像はこちら >>

鴻江寿治氏(写真左)が見守るなか、ピッチングを行なう種市篤暉

 そもそも、種市が千賀への弟子入りを熱望して実現した合同練習だった。

 種市は青森の八戸工大一高からドラフト6位で入団。前評判は決して高いわけではなかったが、2年目の終盤に一軍で7試合に先発した。しかし、成績は0勝4敗。
プロの高い壁を痛感させられた種市はすぐ動いた。

 チームの先輩である石川歩が千賀と交流があると知るや、頼み込んで連絡先を教えてもらったのだ。環境に恵まれているプロ野球選手には”やってもらう”ことが当たり前で育った者も少なくない。受け身の姿勢でチャンスを逃してきた若手をこれまで何人も見てきた。しかし、種市は違っていた。

 そしてこの合宿に来てわかったことは、千賀の投球フォームの基礎は同アカデミー代表でアスリートコンサルタントの鴻江寿治(こうのえ・ひさお)氏が築き上げたものだということだった。
千賀はまだ育成選手だったプロ1年目のオフから鴻江氏に指導を仰ぎ、以来、1年のスタートをここで切っている。

 鴻江氏の提唱する骨幹理論の”うで体”と”あし体”の違いを知り、それに沿った体の使い方を学ぶ。種市は千賀と同じ”あし体”だった。それを知れば進む道はただひとつ。鴻江氏に教わりながら、千賀の投げ方を参考にしてフォームづくりを行なっていった。

 昨シーズンの種市は当初はリリーフ要員だったが、4月29日の楽天戦に先発してプロ初勝利をマークすると、以降は先発ローテーションに定着。
26試合(17先発)に登板して8勝2敗、防御率3.24の成績を残した。

 この数字も立派だが、目を引いたのが奪三振率だ。116回2/3を投げて奪三振は135。奪三振率は10.41をマークした。”師匠”である千賀の11.33には及ばなかったが、100イニング以上投げたパ・リーグの投手で「10」以上を記録したのは、このふたりだけだった。

 またフォークで奪った空振りに限れば、種市が千賀や山本由伸(オリックス)を上回る数値を叩き出したという。



「もともとフォークは全然落ちなくて、武器になる球種ではありませんでした」

 しかし、昨シーズンの種市のそれは、まさに”お化け級”の落ち方をしていた。以前、千賀にフォークについて聞くと、こんな答えが返ってきた。

「極端に言えば、左肩をキャッチャー方向に向けたまま、体を開かせずに腕を振れば勝手に落ちるんです」

 もちろん、そのような投げ方は不可能に近いのだが、要するに体の開きを抑えることがいかに重要なのかがわかる。つまり種市は、千賀から指摘された欠点を克服し、昨年の成績へとつなげたのだ。

 迎えた今年1月、千賀が今回の合宿に参加しないかもしれないという状況だったが、それでも種市は「千賀さんがいなくても参加したい」と話していた。鴻江氏の理論に全幅の信頼を寄せていると同時に、不安もあった。


「自分の思い描いているイメージと実際の体の使い方が合っていない。まだまだやるべきことがある。だから、またあの場所に戻らないといけないんです」

 昨年同様、動作解析を行なうために8台のカメラに囲まれながら、種市はピッチングを始めた。ストレートが捕手のミットを叩く。一見すれば、強いボールを投げているように見えるが、何か物足りない。捕手からも「ナイスボール」の声が出ない。
種市自身も自覚しているように、苦い表情を浮かべる。

 明らかに無駄な力が入っていた。力むと速い球はいくのだが、そこに強さはない。”あし体”の投手は腕を振るのではなく、振られる感覚が理想だ。その投げ方ができないということは、つまりフォームが崩れているのだ。

 なぜ、力いっぱい投げてしまうのかと種市に聞くと、「自分でもわかりません」と表情を落とした。

 長くプロ野球を取材してきたが、そのような投手は何人も見てきた。まず種市は、これまでシーズンを通して一軍で投げたことがなく、昨年が初めての経験だった。主力になる選手の誰もが通る道だが、「何もわからないし、とにかく1年が長い」としんどさを訴える。種市も「シーズン終盤は体がきつくて、思うように体が動かないなかで投げていた」と振り返った。

 必死に投げていたなかで、種市は知らず知らずのうちにフォームを崩してしまったのだろう。一度変わってしまった投げ方を元に戻すのは簡単なことではない。

 合宿は5日間しかなく、種市は表情を曇らせる。むしろ、今にも泣き出すのではないかと思うほどの落ち込みようだった。

 その時、千賀が声をかけた。

「走って忘れようや」

 外野に誘い出し、両翼のポール間をふたりで走った。

 合宿の1日は長い。夜は体のケアやトレーニングと並行して、昼間撮影した映像をもとに動作解析を行なう。モニターの数が限られているため、ひとり1台ではない。それが逆に、選手同士の意見交換の場をつくり出し、それはこの合宿の名物となっている。

 今年の合宿には同じ歳の高田萌生(巨人)や浜地真澄(阪神)、長谷川宙輝(ヤクルト)、1歳下の遠藤淳志(広島)、清水達也(中日)、吉住晴斗(ソフトバンク)も参加していた。実績ではもちろん種市が群を抜いているが、この合宿に初めて参加した彼らは驚きのスピードで成長していく。その変化は、映像を見れば明らかだ。

 これまでできていたことができなくなる。こんなに悔しいことはない。じっとモニターを見つめる種市の表情は、また泣き出しそうになっていた。

「悩め、悩め。たくさん悩め」

 千賀が種市の背中をポンと叩いた。千賀自身もかつて同じ場所で同じような思いを経験してきた。それを乗り越えたからこそ、今があるのだ。

 種市はテイクバックの際、力んでしまうことで右腕が背中のうしろに出てしまうことを反省していた。鴻江氏、そして千賀がアドバイスを送る。

「右手はその場に置く感じでいいんじゃないか」

 種市は室内に設置されたマウンドでシャドーピッチングを繰り返した。そして、この合宿で初対面を果たしたソフトボールの上野由岐子からも金言を授かった。

「自分のやりたいことが一番じゃないよ。いま教わっていることを、自分のやりたいことに加えようとするから難しくなる。素直に、教えてもらったことを最優先するのが大切じゃないかな」

 種市の顔に笑顔が戻ったのは合宿4日目だった。マウンドに立って投球を繰り返す。右手の位置も左肩の開きも、それまでとは明らかに違っていた。

「やっとスタートラインに立てた気がします」

 その夜、千賀に「(フォームへの意識が)まだ全然足りない」とダメ出しされていたが、泣きそうな表情になることはなかった。

 もうすぐ2月になる。ロッテの沖縄・石垣島キャンプはドラフト1位ルーキーの佐々木朗希フィーバーが巻き起こることは必至だが、一方で注目されるのが開幕投手争いだ。井口資仁監督は報道陣に対して白紙を強調しており、石川歩やFA加入の美馬学に加えて、若い二木康太、そして種市が候補に挙がってくる。

 パ・リーグのシーズン開幕は3月20日。ロッテは福岡PayPayドームでソフトバンクと激突する。そのソフトバンクの開幕投手は、よほどのことがない限り千賀で揺るがない。はたして、師匠との投げ合いは実現するのか。

 恥ずかしがり屋で大きなことは言わない東北人気質そのままの種市だが、その夢を胸のなかにしまって、まずはキャンプに臨む。