本田圭佑をキープレーヤーに。ボタフォゴ新監督がクラブに要求した条件

本田圭佑は模範的なプロフェッショナルだ。ここ数日の彼を見ただけでも、それはよくわかった。彼の質の高い振る舞いには、チームの皆が驚かされている。ピッチでの練習でも、ジムでのトレーニングでも、つねに節度と秩序を保ち、決して問題は起こさない」

 ボタフォゴの監督に就任したばかりのパウロ・アウトゥオリは、本田についてそう語っている。

本田圭佑をキープレーヤーに。ボタフォゴ新監督がクラブに要求した条件

ボタフォゴの新監督に就任したパウロ・アウトゥリオ photo by KYODO

 ほんの少し前まで、アウトゥオリは、以前からやりたいと望んでいた仕事に就いていた。サントスで、テクニカルディレクターをしていたのだ。アウトゥオリはもう監督はしないと決心していた。これから自分がやるべき仕事は、ピッチの中ではなく、外からチームを率いることだと思っていた。しかし、その決心から数か月後、彼はまたベンチに戻ってきた。

 アウトゥオリが監督業を辞める決心をしたのは理解できる。監督として、彼はすでにほとんどのタイトルを手に入れ、それなりに十分な報酬も得てきた。やるべきことはすべてやり尽くしたのだ。

 アウトゥオリが監督を始めたのはブラジルの小さなチームだったが、ポルトガルのビトーリア、マリティモなどを経て、1995年、初めて率いたブラジルのビッグチームがボタフォゴだった。そしてその年、すぐにチームをブラジル全国チャンピオンに導く。その後、ポルトガルのベンフィカを経て、再びブラジルに戻ると、クルゼイロを率いて南米で一番重要なタイトル、リベルタドーレス杯を勝ち取る。1997年には、アウトゥオリはブラジルでもトップレベルの監督の仲間入りをしていた。

 その後の彼のキャリアも興味深い。ペルーのスポルティング・クリスタルを指揮し、2002年にはペルー代表監督に抜擢される。2005年にはサンパウロの監督として横浜でリバプールと対戦し、クラブW杯を制した。そんな彼の活躍に目を付けたのがジーコだった。ジーコは彼が鹿島アントラーズの監督にふさわしいと判断し、2006シーズンにはJリーグの監督となった。

 しかし、そのあたりからアウトゥオリの迷走が始まる。タイトルとは無縁となり、次々と指揮するチームが変わった。クルゼイロ、カタールのアル・ラーヤン、カタール代表、バスコ・ダ・ガマ、そして日本に戻ってセレッソ大阪……。ブルガリアのルドゴレツを率いた頃から、アウトゥオリはベンチからではなく、別の形でチームを率いることを考え始めた。その後コロンビアのアトレティコ・ナシオナルでの不運なシーズンを経て、アウトゥオリはついに夢を実現した。サントスのチームディレクターに就任したのである。


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