最も印象に残っている
Jリーグ助っ人外国人選手(6)
ミキッチ(サンフレッチェ広島湘南ベルマーレ/DF)

 スタイリッシュな風貌とは対照的に、そのプレースタイルは泥臭く、情熱的。

 長髪をなびかせてピッチを颯爽(さっそう)と駆けるクロアチア出身のスピードスターは、決して器用ではなかったが、衰え知らずの運動量とがむしゃらさを前面に押し出し、長きにわたってサンフレッチェ広島の右サイドに君臨し続けた。



ミキッチの情熱的なプレーは、見る者のサッカー観を変えてしまっ...の画像はこちら >>
 ミハエル・ミキッチが広島にやって来たのは2009年のこと。前年に圧倒的な強さでJ2を制した広島がJ1に復帰したシーズンである。

 Jリーグデビューは衝撃的だった。

 開幕戦の相手である横浜F・マリノスを4−2と一蹴。J1復帰戦での快勝の立役者となったのは、右サイドで躍動したミキッチだった。

 ボールを持てば果敢に仕掛け、相手の守備網を鋭く切り裂くと、18分にCKを獲得し、同点ゴールを導く。
38分には猛烈なスプリントで裏に飛び出し、柏木陽介のゴールを演出した。


 横浜FMの選手たちは、体感したことのないスピードに脅威を感じていたに違いない。止めに入っても、封じる手段を見出せない。たった1試合でミキッチは、日本のサッカー界に強烈なインパクトを放った。

 もともとはストライカーだった。10代の頃にクロアチアの名門ディナモ・ザグレブで頭角を現し、チャンピオンズリーグでゴールを決めた経験もある。

同国のアンダー世代の代表でも活躍し、「クロアチアのマイケル・オーウェン」とも称された。

 ただ、その才能が本格開花したのは、当時の指揮官だったオズワルド・アルディレスによって右サイドにコンバートされてから。強烈なスピードを武器にサイドアタッカーとして覚醒し、ドイツ・カイザースラウテルンでのプレーも経験した。

 広島でも、そのスピードは重宝された。ポジションは3−4−2−1の右ウイングバック。当時の広島は、ミハイロ・ペトロヴィッチのもと、ショートパスを主体とした攻撃スタイルを標榜していた。



 ツボにはまれば見事なパスワークで相手を圧倒できた。だが一方で、守りを固められると崩し切れず、攻撃が滞ることも少なくなかった。パスだけでなく、ひとりで打開できる存在として、ミキッチに白羽の矢が立ったのだ。

 もっとも、そのスタイルは諸刃の剣だった。ボールを回してもなかなか隙を見出せず、相手ゴールに近づけない。そんな時に頼りとなったのが、ミキッチだ。

ボールを預けておけば、ひとりで何とかしてくれる。「困ったら、ミキッチ」とばかりの"無茶ぶり"に、懸命に応えた。

 一方で、決して技術が高くなかったミキッチは、ボールロストも目立った。せっかくパスをつないでも、強引な仕掛けが空回りし、あっさりと失ってしまうこともしばしば。

 元ストライカーらしく、ゴールへの意識も高かったが、右サイドからカットインして放つ左足のシュートが入ったシーンはほとんど見たことがない。判断の悪さも目につき、チームメイトと同じ絵が描けていないと感じることも少なくなかった。



 それでもミキッチが広島の主軸であり続けられたのは、スピード以上に底知れぬスタミナと献身性が備わっていたからだろう。ボールを失えばすぐさま切り替え、奪い返すために球際でバトルする。ピンチと見るや身体を投げ出し、シュートブロックに入る。

 その「闘争本能の高さ」こそが、ミキッチの最大の武器だった。限界を超えて走り続けるため、筋肉系の負傷で離脱することも多々あったが、3度のリーグ優勝はこの助っ人の存在なくして成し得なかっただろう。

 プライベートでは、スーパーモデルを奥さんに持つイケメン。

親日家であり友好的で、ファンからもチームメイトからも「ミカ」の愛称で親しまれた。Jリーグのレベルを称え、時には安易に海外移籍を希望する若手に苦言も呈すこともあった。

「Jリーグは近い将来、世界のトップ10に入れる力がある。より高いレベルを求めるのならともかく、どこでもいいから海外に行きたいという考えは理解できない」

 その言葉には、深い愛情と、確かな説得力があった。


 2017年に契約満了となり広島を退団。2018年には湘南ベルマーレでプレーしたが、1年で契約満了となった。本人は日本でのプレー続行を希望するもオファーは届かず、2019年4月に現役引退を表明した。

 日本でのキャリアは10年にわたり、J1リーグ通算227試合・8得点を記録。うち広島では221試合に出場した。これは、広島に所属した外国籍選手のなかでは最多の数字である。数字だけでなく、その貢献度を踏まえても「クラブ史上最高の助っ人」であることは言うまでもないだろう。

 個人的には、テクニカルな選手が好みだ。超絶技巧を駆使し、相手を翻弄しながらゴールに迫っていくプレーに興奮を覚える。ボールを失い、流れを止めるような選手は、観ていて気持ちいいものではない。

 だから、当初ミキッチは、あまり好きなタイプの選手ではなかった。気持ちありきのプレースタイルに、あまり魅力を感じなかったのだ。


 だけども長年、彼のプレーを見ているうちに、その考えは次第に変わった。

 攻撃でも守備でも、どんな時でもあきらめずにボールに食らいつき、球際で身体を張る。闘争心を剥き出しにし、チームの勝利のために闘い続ける。思えば彼のユニフォームはいつも、汗と泥にまみれていた気がする。その情熱的なプレーに、心を動かされた。

「下手だけど、すごい」という元チームメイト評に、完全同意する。私のサッカー観を変えた選手。それが"大天使"ミハエル・ミキッチだった。