尽誠学園から法政大学という野球エリートの道を進み、アメリカ独立リーグを経てプロ野球選手になった田中聡。アマチュア時代にもプロでも暴力の洗礼を受けた彼は、現役を引退したいま、英語を公用語とする日本初のリトルリーグのチーム「東京広尾リトル」の事務局長を務めている。

さまざまなカテゴリーの野球を経験した末に編み出した指導法とは。

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 1977年8月、滋賀県に生まれた田中聡は、尽誠学園(香川)に”留学”し、甲子園を目指した。その田中が言う。

「監督だった大河賢二郎さんはちょっと変わった指導をする方でした。先輩に伊良部 秀輝さん(元ニューヨーク・ヤンキースなど)がいることからもわかるとおり、尽誠学園は意外と自由な雰囲気でした。上下関係は厳しくて、選手間の生存競争は激しかったですけどね。
もちろん規律を破った選手は罰を受けていましたけど、驚くほどのことではなかった」

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2000年のドラフト7位で日本ハムに入団し、阪神でもプレーした田中聡

 親元を離れて寮生活を送る選手が多い野球部では、私生活の管理責任も指導者が負うことになる。全員がルールを守れればいいのだが、何かと問題が出てくる。

「悪いことをしたら罰があるということを教えるのも教育ですよね。口で注意してわかる選手ばかりではありませんから。野球部の生活のなかで、世の中のルールを教えてあげなくてはいけない。そういう野球部は日本中にたくさんあるはずです」

 ここ数年、指導者が選手に暴力をふるう動画も流れているが、そこにいたるまでの経緯が明かされることは少ない。



「もし法律や校則を破ったのなら、学校をやめさせればいい。でも、そういう子を更生させるというのもスポーツの役割。頭がよくなかったり、家が貧しかったりするなかから勝ち上がるためには、スポーツの才能が必要です。だから、集団生活をするなかで、いろいろなことを覚えさせるのも指導者の仕事なんですね。世の中からはみ出してしまいそうな子にとって、スポーツは重要だと思います。まあ、基本的なルールを守れない人間が、上のステージで活躍するのは難しいでしょうが」

 甲子園に出れば、選手には大学への進学や野球部を持つ大企業への就職の道が開ける。
だから、野球強豪校ほど勝利至上主義になる。だが、高校時代に甲子園に出場し、法政大学に進んだ田中は、指導者の姿勢に疑問を持っている。

「みんな、勝とう、勝とうと思いすぎですよ。どうしてそんなに勝ちにこだわるんだろうと、不思議でしょうがない。指導者が前のめりになりすぎなんじゃないですか。一番勝ちたいのは選手たちで、ただ勝ちたいから頑張る。
そういうものでしょう。それなのに、大人が勝手な価値観を押しつけてしまう。大事なことは人を育てること。人を育てるために勝利を目指す。多くの指導者が、目的と目標を混同しているように思います。だから、いろいろなところにひずみが出る」

 それが指導者による暴力であり、上級生による下級生へのいじめである。

「大学に入ってから、先輩によく殴られました。僕は1年生から寮に入っていたんですけど、1年生にはいろいろな当番があって、やることがたくさんある。チョンボをすれば、すぐに殴られる。『理不尽なことにも耐えないと』と思って1年間だけは我慢して、寮を出ました」

 寮では部屋長である先輩に対して24時間、気を遣わなければならない。

「子どもの頃から自分の部屋があって、親がなんでも言うことを聞いてくれる環境で育った人間が、そういう生活に耐えるのは大変なんです。普通だったら、もたない」

 田中は、よく先輩の標的になった。



「殴られたいと思ったことは一度もないけど、僕の場合、子どもの頃に格闘技をやっていたので、殴られることに対する恐怖心が全然ないから心は折れなかった。『どんどん殴れよ』と思っていました。『受けて立ってやる』と。このあたりの感覚は理解してもらえないと思うけど(笑)」

 野球における暴力には2種類ある。ひとつは指導者による暴力的な指導、これは時に「愛のムチ」と呼ばれることがある。もうひとつは、チーム内のストレスのはけ口が弱い者、つまり下級生に向かうケースだ。

「でも、理不尽な暴力って、世の中に必ずあるものじゃないですか。それを経験すること自体は、マイナスではないと思っています。そういうことがあると知っておくことは大事です。どうやって回避すればいいかを考えられるから」

 しかし、暴力的な指導によって野球の技術が上がることは、絶対にないと田中は言う。

「野球で大切なのは、才能と技術。それらと暴力はまったく関係ありません。そもそも、努力すればできるようになるという考え方がおかしい。僕がいくら頑張っても総理大臣になれないのと同じで、できないことはできない」

 田中は法政大学時代に4番を任されたこともあるが、大学卒業時にドラフト指名はかからなかった。アメリカ独立リーグでプレーしたあと、テストを受けて2000年ドラフト7位で日本ハムファイターズに入団した。プロ2年目の2002年には一軍の春季キャンプに参加したが、コーチと衝突し、乱闘騒ぎを起こしたことがある。

「プロ野球の世界にも暴力はあります。殴るコーチはたくさんいます。僕と殴り合いになったコーチは温厚な人で、みんなが『あの人はそうじゃない』と言うんだけど、そういう人を怒らせるのが僕なんです」

 田中は2003年に阪神タイガースに移籍すると、そのシーズン限りでユニフォームを脱いだ。その後、少年野球教室の指導員、専門学校の講師を経て、2017年から英語を公用語とする日本初のリトルリーグのチーム「東京広尾リトル」の事務局長を務めている。

■「野球ドリル」は誰でもわかる評価基準

「東京広尾リトル」で少年たちの指導をする田中は、実にユニークな取り組みをしている。

「野球ドリルを作っています。 10 級から1級まであって、トライアウト(進級テスト)を受けて合格すれば昇級していきます。もしかしたら、野球の世界ではうちだけかもしれません。その子がどのくらい野球がうまいかを示す基準があいまいなんです。基準がないから、補欠が頑張るための目標がない。しかも選手起用に関して、監督の好き嫌いが入ることが多くて、モチベーションをなくしてしまう。そうならないために野球ドリルがあるんです」

 その級に必要な技術が明示されていれば、取り組むべき練習メニューもわかりやすい。できることが増えていくたびに昇級すれば、「もっと、もっと」と思えるはずだ。自分に足りないものはなんなのか、どうすればチャンスをつかめるのかがわかれば、選手はおのずと奮起する。

「誰にでもわかる評価基準があれば、『どうしてうちの子を試合に出さないんだ』というクレームもなくなるでしょう。『だって、まだ3級だから』と答えればいい。『1級になれば、試合に出られますよ』と言えますから。

 野球そのものも、野球の技術も体系化されていないし、これまでは基準がなかったんだと思います。でも、採点競技だと考えれば、そう難しくない。フライを捕る、ゴロを捕るというところからドリルは作っています。10 級から1級まで上がった時には、全部のポジションを守れるようになっていて、1級以上からが選手コースになります」

 アマチュア時代に暴力を受け、プロでもコーチと殴り合いをした田中は、野球界の暴力についてどう考えるのか。

「殴られたことに対して、恨みもなければ、変な感情もありません。よく殴られたのは事実だけど(笑)。自分のことを振り返ってみると、暴力はムダだなと思います。僕の場合、まったく懲りてない。まったく意味がなかったということです。僕に必要だったのは、ロジックでした。なぜ怒られるのか、まわりから反感を買うのか、それがいかにマイナスなことかを、誰も教えてくれなかった」

 なぜ殴られるのかわからないから、同じことを繰り返す。そして、また殴られる……。

「野球は、基本的に他人に迷惑をかけちゃいけないスポーツです。単独プレーはダメで、
空気を読むセンスが求められる。なのに勝手なことばかりするから、よく殴られた。マイナスぶんを埋めるためにいい成績を残さなきゃいけなかったし、悪い時にはメンバーから外されたんです」

 それを田中に諭(さと)してくれる人がいなかった。

「指導者から評価されないと、チャンスが巡ってこない。田中聡はどういう選手なのか。
自分が思うような評価を得るためには、言動や服装も大事だったんですけど。今になってそう思います」

 田中はそのチーム独自のルール、選手が納得する基準づくりが必要だと考えている。

「うちのチームなら、10級から1級までの評価基準がある。トライアウトを受けて、合格すれば昇級していく。選手の起用方法でクレームがついたら、ピッチャーをやらせます。ボンボン打たれても問題ない。失敗したっていいじゃないですか。勝つことが目的じゃないから、何度でもチャレンジさせますよ。エラーして怒ることなんかありません。ほとんどは、技術不足が原因ですから」

 ピッチャーをやりたい子にはピッチャーを、バッティングをしたい子にはどんどん打たせる。成功と失敗を繰り返しながら、子どもたちは野球の面白さを知り、仲間への思いを強くする。ここにも「暴力なし」で野球をうまくする方法がある。