追憶の欧州スタジアム紀行(6)
オリンピスキ・スタジアム(キエフ)

 キエフのオリンピスキ・スタジアム。ウクライナとポーランドが共催したユーロ2012では、決勝戦(スペイン対イタリア)を含む5試合が行なわれた。

2017-18シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)決勝(レアル・マドリード対リバプール)も開催している。UEFAがカテゴリー4に認定する欧州最上級スタジアムのひとつである。

 1998-99シーズンCL準決勝。筆者がここを最初に訪れたのはその第1戦、ディナモ・キエフ対バイエルン戦だった。

キエフのシェフチェンコとゲルマン魂。キレたジーコと美人記者の...の画像はこちら >>

ユーロ2012決勝、スペイン対イタリア戦も行なわれたオリンピスキ・スタジアム

 ディナモ・キエフの準々決勝第1戦は、サンティアゴ・ベルナベウで観戦していた。レアル・マドリードとのアウェー戦。
ディナモ・キエフのアンドリー・シェフチェンコが先制ゴールを決め、プレドラグ・ミヤトビッチが入れ返して1-1で引き分けた一戦だ。

 ホームでの第2戦はシェフチェンコの2ゴールで2-0。ディナモ・キエフは前シーズンの覇者を下し、ベスト4に進出した。

 ディナモとシェフチェンコの名前はこの時、欧州を駆け巡っていた。キエフで行なわれるバイエルンとの第1戦は、話題性のある注目の一戦だった。

 キエフのオリンピスキは、ユーロを翌年に控えた2011年10月、リニューアルオープンしている。

つまり、1998-99シーズンのCLが行なわれたのは旧スタジアムだった。観衆は約9万人。超満員に膨れあがっていた。屋根もなく、照明も明るくない旧式のスタジアム。雨天の影響で霞がかかるスタジアムは、幻想的な光景に包まれていた。

「歴代CLのベストゲームを挙げよ」と言われれば、この1998-99シーズンの準決勝ディナモ・キエフ対バイエルン戦は、間違いなくトップ10にランクインする。


 まず、ディナモ・キエフがシェフチェンコの連続ゴールで2-0とする。前半終了間際にミヒャエル・ターナートに1点を返されるも、後半5分、ディナモ・キエフはビタリー・コソフスキーのゴールで再び2点差(3-1)とした。ディナモは試合の主導権を握っていた。サッカーもバイエルンより面白かった。勝たせてやりたいサッカーをしていた。

 ところがバイエルンは粘りを発揮。

後半33分、シュテファン・エッフェンベルクが直接FKを決めると、後半43分にはクリステン・ヤンカーが、彼らしい泥臭いゴールを決め、3-3とした。

 続く第2戦もバイエルンは手堅い試合を演じ、1-0で勝利。ディナモ・キエフとシェフチェンコの決勝進出の夢を葬った。ドイツのゲルマン魂ここにあり。そう言いたくなる試合だったが、バイエルンはカンプノウで行なわれた続く決勝で、マンチェスター・ユナイテッドに大逆転負けを許している。後半のロスタイムに同点ゴール、逆転ゴールを立て続けに奪われ、優勝を逃した。


 筆者がゲルマン魂を見たのは、旧オリンピスキで行なわれたディナモ・キエフ戦が最後だった気がする。

 もし、ディナモがあの試合で3-1としたあと、もう少しだけ巧く戦っていれば、1998-99シーズンの優勝はマンUではなくディナモ・キエフの頭上に輝いていたとは率直な感想だ。

 それから5年8カ月が経過した2005年10月。旧オリンピスキに日本代表(ジーコジャパン)がやってきた。ウクライナ対日本。キックオフは平日の午後5時。
しかも雨模様ということで、スタンドはガラガラ。さらに言えば、ウクライナのメンバーは2軍だった。シェフチェンコの姿も、当然のことながらどこにも見当たらなかった。

 結果は1-0でウクライナ。内容で勝っていたのもウクライナだった。ところが、試合後のジーコは醜態を曝け出した。タイムアップの笛が鳴るや、我が将はラトビアの審判団に血相を変えて詰め寄った。品のよくないジェスチャーをまじえながら。

 試合後の会見でも、主審の判定に終始ケチをつけた挙げ句、「今日の試合のことは記憶の中から消し去りたい」と言い放った。一方、オレグ・ブロヒン監督は「気持ちはわからないではないが、試合を押していたのは我々、ウクライナの方だった」と、静かに胸を張った。

 この一戦が、日本側の申し出をウクライナがしぶしぶ飲んで実現した試合であることは、現場の状況から一目瞭然だった。親善試合以外の何ものでもなかったにもかかわらず、試合に敗れるとジーコはマナーを忘れ、キレてしまった。その姿はウクライナ人にはどう映っただろうか。

 スタジアムを後にし、帰路に就こうとしたその時だった。ウクライナ人の女性記者が、筆者の元に小走りで駆け寄ってきたのである。

 何を隠そう、試合中、後の席に座っていた美人記者だった。彼女の瞳は、大真面目だった。こちらの眼鏡の奥を真っ直ぐに見据え、訴えかけているようでもあった。

「今日の試合をどう思いますか。あなたも、ジーコ監督と同じように、記憶から消し去りたい試合だと思いますか?」

 びっくり仰天とはこのことである。筆者にとっては忘れられない「親善」試合となった。

 キエフのオリンピスキを次に訪れたのは、およそその7年後。ユーロ2012決勝になる。スペインがイタリアを4-0で下した一戦だ。

 オリンピスキはまったく別の姿になっていた。収容人員は7万50人。それまでの9万人から数を減らしたが、その分モダンになって、すっきり見やすくなった印象だ。建設の経緯を詳しく知るわけではないが、100パーセントの新築ではないとのこと。改築、リニューアル。かつての面影をどこかに潜ませている。精神性を引き継いでいるスタジアムだ。

 ユーロ2012。その記者席に、残念ながら7年前の美人記者の姿を確認することはできなかった。2017-18シーズンCL決勝、レアル・マドリード対リバプール戦しかりである。

 そしていま一度、想起したくなるのは1998-99のCL準決勝だ。あの時、ディナモ・キエフがバイエルンのゲルマン魂を封じ込んでいたら……。

 その3年後の2002年に没することになる当時の監督、ヴァレリー・ロバノフスキーにとっては、悔やんでも悔やみきれない敗退劇だったに違いない。

 グラスゴーのハムデンパークで行なわれたその年(2001-02シーズン)のCL決勝、レアル・マドリード対レバークーゼン戦では、試合前、ロバノフスキーの冥福を祈り、黙祷が捧げられた。