リーガに挑んだ日本人(12)

 リーガ・エスパニョーラの場合、下部リーグといっても侮ってはいけない。

 リーガ2部は、オーストリア、ギリシャ、スイス、スコットランドなど欧州サッカー中堅国の1部リーグに匹敵、もしくは凌駕する水準にある。

事実、多くのリーガ2部出身選手が他国で活躍を示している。たとえばホナタン・ソリアーノ(ジローナ)は、バルサB時代に2部得点王の称号をひっさげてレッドブル・ザルツブルク(オーストリア)に移籍。4度のリーグ制覇、3年連続得点王に輝いている。

 この連載「リーガに挑んだ日本人」では福田健二(カステジョン、ヌマンシア、ラス・パルマスなど)、鈴木大輔(ヒムナスティック・タラゴナ、現浦和レッズ)の活躍を綴っているが、あらためてリーガ2部という戦場とはいかなるものか――そのほかの選手たちの戦いを振り返る。

日本代表選手でも適応できず。井手口陽介らリーガ2部での苦闘の...の画像はこちら >>

ロシアW杯を前に、2018年1月、リーガ2部クルトゥラル・レオネサに移籍した井手口陽介

 2018年1月、当時、日本代表でレギュラーの座を奪いつつあった新鋭MF井手口陽介(ガンバ大阪)が、リーズ・ユナイテッドからの期限付き移籍という形で、2部クルトゥラル・レオネサに入団している。

「クルトゥラルにとって、歴史的な契約!」

 地元紙『ディアリオ・デ・レオン』は、井手口がブラジル代表ネイマールからボールを奪う一枚の写真をデカデカと使い、派手に伝えていた。



 井手口はポテンシャルの高さが認められた選手だった。その証拠に、入団直後から出場機会を与えられている。先発はわずか1試合だったものの、5試合連続で出場したのだ。

 しかし、3月には評価が急降下していた。

「重要な補強だったはずだが、出場機会なし。ロシアワールドカップに向け、暗雲」

『ディアリオ・デ・レオン』の論調は、厳しいものに変わった。
記事の内容もネガティブだ。

 そして5月、同紙は井手口の特集を組んだが、その時は完全に「なぜ失敗したのか?」という切り口だった。デビューから5試合出場以後は、プレー機会なし。本人が「言葉が壁。理解し合えないことがストレスになっている」と語る小見出しになっていた。

 クルトゥラルはこのシーズン、結局19位(22チーム中)と低迷し、2部B(実質3部)への降格が決定した。
補強した日本人MFがまるで戦力にならない状況では、失望感も強い。ドイツの2部グロイタ―・ヒュルトへ移籍したことを、最後は淡々と伝えていた。

「コミュニケーション」

 それがカギとなることは、1部でも2部でも、変わりがない。井手口もそれに適応できず、本来のプレーを出せなかった。

1試合、2試合なら、どうにかごまかせるだろう。しかし、意思疎通が不安定だと、1シーズンを通しての大暴れは見込めない。

シーズンを通してプレーした福田、鈴木の2人は、スペイン語でコミュニケーションを取り続け、わからなくてもスペイン人と行動をともにすることで、やがて語学を身につけていった。

 時間を巻き戻すが、1997-98シーズン、2部ジェイダに所属した元U-20日本代表FW安永聡太郎は、「スペイン語が流ちょう」とまでは言えなかったようだが、そのオープンなキャラクターが現地で愛されていた。コミュニケーションをとって挑み、34試合出場4得点。2001-02シーズン途中にも同じ2部ラシン・フェロルで12試合に出場し、横浜F・マリノス復帰の際にはチームから慰留されるほどだった。

 言葉を補うコミュニケーションで、解決される側面もあるのだ。

 もっとも、スペイン語をマスターし、チームメイトと友情をかわしたからと言って、必ずしも快進撃とはならない。



 2009年1月、柏ユースでトップ昇格を逃した指宿洋史(湘南ベルマーレ)は、リーガ2部ジローナへの入団を、テスト生から勝ち取っている。6試合に出場し、スペインでプロサッカー選手としてのスタートを切った。2009-10シーズンは出場機会がなく、シーズン途中で3部(実質4部)のサラゴサBに新天地を求め、27試合出場12得点と結果を残した。2010-11シーズンは2部B(実質3部)サバデルに移籍し、リーグ戦33試合出場10得点を記録している。

 指宿はスペイン語が堪能で、チームメイトからの信頼も厚かった。長身ながらヘディングはそれほど強くないが、ボールを持てるFWで、ゴールセンスにも長けていた。
2011-12シーズンには、2部BのセビージャBで得点を量産、32試合出場20得点を記録。トップチームに召集され、ベティスとのセビージャダービーで、途中出場を経験している。

 しかし、1部でのプレーは、それきりだった。いったんベルギーのクラブに移籍した後、2013-14シーズンにスペインのバレンシアB(2部B)に戻って、34試合出場7得点と気を吐いたが、セビージャ時代を越えてはいない。

 指宿が試合出場を重ねたのは、ほとんどが3部、4部だった。23歳になって帰国。現在は、J1湘南ベルマーレに所属している。

 リーガ2部で、日本人がやれないことはないだろう。しかし、あくまで助っ人としての立場になるだけに、ただ”通用する”では必要とされない。外国人枠も使うことになるのだ。

 2015-16シーズン、元FC東京、セレッソ大阪監督のランコ・ポポビッチに招かれる形で、サラゴサに入団した日本代表MF長谷川アーリアジャスール(名古屋グランパス)は開幕戦から先発を果たすも、わずか8試合の出場に終わった。ポポビッチが成績不振で解任。長谷川も外国人枠を空けるため、半年で契約を解除、帰国することになった。

 やはり、そこは容易い戦場ではなかった。しかし、「地獄」と形容される2部から、「天国」と言われる1部に這い上がる日本人選手が出てきた。
(つづく)