東京五輪&パラリンピック
注目アスリート「覚醒の時」
第22回 卓球平野美宇
最年少優勝を果たしたアジア選手権(2017年)

 アスリートの「覚醒の時」——。

 それはアスリート本人でも明確には認識できないものかもしれない。



 ただ、その選手に注目し、取材してきた者だからこそ「この時、持っている才能が大きく花開いた」と言える試合や場面に遭遇することがある。

 東京五輪での活躍が期待されるアスリートたちにとって、そのタイミングは果たしていつだったのか……。筆者が思う「その時」を紹介していく——。

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「ハリケーン・ヒラノ」の呼び名が誕生。平野美宇が中国トップ3...の画像はこちら >>

2017年のアジア選手権を制した平野

 リオ五輪後の女子卓球界はしばらく平野美宇を中心に回っていた。その流れを決定的なものにしたのが、2017年4月に開催されたアジア選手権のシングルス優勝だった。

 前兆はあった。
2016年10月のワールドカップを史上最年少となる16歳で優勝。しかし同大会には中国人選手が参加していなかったこともあり、それらの選手を相手にどこまで戦えるかは未知数だった。

 リオ五輪はサポートメンバーとしてチームに帯同するが、出場機会はなし。同世代の伊藤美誠が団体戦の銅メダル獲得に貢献する姿を、平野は複雑な胸中で眺めていた。

「気を緩めると涙がこぼれそうだった。このままじゃダメだと実感し、卓球を変えるきっかけになった」

 なんでこの場に立っていないんだろう――。
裏方としてチームを支えることしかできなかったが、この挫折が、もともと内気な性格だという平野の闘志をかきたてた。単身で中国スーパーリーグに参戦して研鑽に励み、自身のプレースタイルの一新も試みている。

 その武者修行の成果はすぐに表れた。大会中に17歳の誕生日を迎えたアジア選手権で、平野は女子卓球界の歴史を塗り替えることになる。

 大会序盤から強豪との連戦だった。それでも”攻撃卓球”へのモデルチェンジを模索する平野は、尻上がりに調子を上げていく。

4回戦で台湾のエース・鄭怡静にストレート勝ちして勢いに乗り、準々決勝で中国の丁寧と対戦。当時世界ランキング1位の丁寧には、それまでシングルスで5戦5敗。1ゲームも奪えず、すべてストレート負けを喫していた難敵だった。

 試合はその相性の悪さを象徴するように、丁寧が早々と2ゲームを連取する。平野もラリー戦の強さを活かして対抗するが、強打の対応に苦しんだ。以前であれば、劣勢のまま敗れ去っていたかもしれないが、苦節を経験した平野の精神力はタフになっていた。


 第3ゲームは猛攻をしのぎ、11-9で初めて丁寧からゲームを奪って逆転の目をつなぐ。続く第4ゲームでは、先にマッチポイントを握られるも粘った末に奪取。そして最終5ゲームは、両ハンドドライブが効果的に決まり、これまで歯が立たなかった丁寧との接戦を制した。

 とくに第3、第4ゲームで、粘る平野に対して丁寧がミスを繰り返すという構図は、これまでの力関係の逆転を印象づけた。素質の高さに反して精神的にムラがあり、どこか脆さも感じさせた平野の姿はどこにもなかった。

 終わってみれば、この丁寧戦の勝利は”平野劇場”の幕開けでしかなかった。

続く準決勝で、日本勢に対して圧倒的な強さを誇る朱雨玲にストレート勝ち。打点の低さが生む両ハンドからの強烈なドライブで、動揺が見えた”日本人キラー”を圧倒した。

 決勝の相手は、堅実な卓球で現在「世界最強」との呼び声高い陳夢だった。これまで伊藤美誠もシングルスで一度も勝てていない強敵に対しても、平野は強気だった。

 陳夢の精密機械のような卓球を崩し、序盤から3球目攻撃でペースを握る。長いラリーを制して第1ゲームを奪うと、続く第2ゲーム、第3ゲームも連取してストレート勝ち。
バックハンドも冴え渡り、最後まで陳夢にリズムを掴ませない完勝だった。準々決勝の丁寧戦から、中国のトップ3を真っ向からねじ伏せての優勝は、世界中に”ヒラノ”の名前を印象づけた。

「今回の優勝はとてもうれしいし、驚いています。3人連続で中国人選手を倒せるとは思ってもいませんでした」

 試合後に平野はそう大会を振り返ったが、その衝撃は中国メディアでも大きく報じられ、「ハリケーン・ヒラノ」の呼び名が誕生した。その名のとおり相手を置き去りにするスピードで、ラリーを制していく姿に卓球大国も脱帽した。アジア選手権以降、平野の高速卓球は徹底的に研究され、王国の牙城を脅かす危険な選手として認識されることになる。

 こうして平野は、日本勢にとって21年ぶりのアジア王者となった。「みうみま」と呼ばれた伊藤とのペアで話題になることも多かったが、翌日のスポーツ誌面には平野美宇の名が大きく並んだ。この大会での優勝を経て、世界ランキングは一時5位まで上昇(現在は11位)。その年の平野は、1月の日本選手権を史上最年少の16歳9カ月で優勝、6月の世界選手権でも日本勢としては48年ぶりに3位に入賞するなど、記録ずくめの1年になった。

 あの衝撃から3年。2018年、2019年は平野にとって苦しんだ2年間でもあった。淡々と冷静な試合運びをする伊藤に対して、平野はどちらかといえばプレーの良し悪しが表情に出るタイプといえる。革新的だった平野のスタイルは、世界中からマークの対象となり、平野の表情から笑顔が消える機会も増えた。調子がいい時は強者をも圧倒する一方で、世界ランキングで格下の相手に取りこぼしも目立った。

 昨年は復調の兆しを見せていたが、石川佳純との東京五輪シングルス枠争いでは、ポイントリードして迎えた12月上旬の直接対決に敗れて逆転を許し、”最終決戦”となった数日後のグランドファイナルで初戦敗退して内定を逃した。それでも、伊藤、石川に次ぐ団体戦の3人目のメンバーとして東京五輪を戦う。前大会の悔しさをバネに、平野は小学校1年生から口にしていた「金メダル」への挑戦権を掴んだ。

「中国に勝たないと金メダルはない」

 ことあるごとに、平野は報道陣に対してそう繰り返してきた。まだ20歳と若いため、大会延期による1年の準備期間で、再び中国人選手を打ち破った頃の勢いを取り戻しても不思議ではない。日本チームにとっても、平野の進化は金メダル獲得を目指す上での重要な要素になる。