◆高梨雄平「えっ!」と驚くドラフト秘話 >>
昨年わずか3勝にとどまった楽天・涌井秀章だが、今シーズンは開幕から好調を続けている。8月5日のソフトバンク戦では、球団初のノーヒット・ノーラン達成はならなかったものの、1安打完封という圧巻のピッチングを披露し、開幕から無傷の6連勝を飾った。
昨年オフ、金銭トレードでロッテから楽天に移籍した涌井秀章
過去2シーズン、調子が上がらず実力を発揮できなかった涌井ですが、今シーズンは非常にいい状態で投げていると思います。開幕から連勝を重ね、結果を出しているということは、いいボールを投げられている証拠です。
とくに、今シーズンはコントロールのよさが目立ちます。涌井はストレートがシュート回転する傾向があり、昨年それが目立っていたのですが、今年はいいときの状態に戻ってきています。
彼も試合後のコメントでよく言っていますが、ストライク先行でカウントを整えることができているのが大きい。結果的に自分有利のシチュエーションをつくるという意味では、リズムを崩さず投球できていますよね。安定感がありますし、ランナーを出したとしても、彼の持ち味である粘りの投球ができている。
たとえば7月8日のソフトバンク戦(PayPayドーム)では、立ち上がりを打たれ6失点しながらも5回124球を投げ、勝利投手になっています。苦しい状況であっても、粘り強く投げ、自軍の打線やゲームの流れが変わるのをあきらめずに待つ。そういった部分のコントロール能力というか、最低限の仕事をしてくれますから、ベンチとしてはとてもありがたい存在ですよね。
また移籍をして、心機一転、メンタル面においてもいい刺激があるのかもしれません。楽天は打線が強力ですし、チームの雰囲気もいい。そういったことも含め、すべてがいい方向に進んでいるのかもしれませんね。
彼ももう34歳ですし、もうひと花咲かせたいという思いは強いでしょう。もちろん20歳前後の時のように真っすぐで空振りを取るようなスタイルで勝負はできませんが、ボールの質を見る限り、まだまだ元気はあります。
それに加え、豊富な経験。
テンポよく投げているので、野手も守備のリズムをつくりやすいですし、ベンチも継投のタイミングを計りやすい。涌井の存在がいい歯車となって、チームを円滑にまわしているのではないでしょうか。
あともうひとつ。
というのも過去2年のデータを見ると、ZOZOマリンよりも楽天生命パークのほうが、数字はいいんです。
僕も現役時代に投げているのでわかるのですが、ZOZOマリンは非常に難しい球場です。マウンドの後方から吹いてくる風。さらに上空には不規則な風が舞っています。そのせいで変化球の曲がりが変わってくることが結構あるんですよ。
慣れもあるのでしょうが、普段以上に神経を使う球場であることは間違いないです。ワインドアップで足を上げるだけで風であおられてバランスを崩すことがありましたからね。まあ本人はそんなこと絶対に口にしないでしょうが、僕の経験上、もしかしたらそういったことがあるのかもしれません。
今後、シーズンは中盤から終盤にかかってきます。楽天は涌井以外にも則本(昂大)がいますし、また岸(孝之)も戻ってきます。
とくに涌井は体が丈夫でケガが少なく、かつイニングを稼いでくれる。苦しいとき、そういった仕事のできるピッチャーがいるのはベンチとしてはありがたい。
◆涌井秀章の元女房役が横浜高の監督に >>
それに涌井は絶対にゲームをあきらめない。彼は若い時から自分に課せられた仕事はクリアしようという気概がありました。あまり表情に出さず淡々としていますが、そこが魅力でもあるし、ピッチャーとして大事なものを備えています。
いま思えば、楽天が涌井を金銭トレードで獲得できたのは、本当ファインプレーでしたよね。則本と岸という二枚看板が売りだったものの、則本はケガからの復帰ですし、岸はシーズンを通して活躍するのは難しい。そういったこともあり涌井の加入は、楽天にとって大きかった。もし涌井の勝ち星がなかったとしたら、現在の順位もかなり違っていたはずです。
ただ、これからが本当の勝負。プロはいかに年間を通して活躍できるかが問われます。涌井もあと10数試合投げるでしょうから、シーズンが佳境になった時、これまでとは違うプレッシャーのなかで、いかに自分の投球することができるのか。経験も豊富ですし、新天地ということもありモチベーションも高いはず。自分のことを深く理解している投手ですから、きっとチームの力になってくれると思いますよ。
斉藤和巳プロフィール
1977年、京都府生まれ。 1996年、南京都高校からドラフト1位で福岡ダイエー(現・ソフトバンク)ホークスに入団。2000年にプロ初勝利を挙げ、この年5勝をマーク。 2003年は20勝3敗という好成績で最多勝、最優秀防御率、最高勝率、ベストナイン、沢村賞などタイトルを総なめにし、チームのリーグ優勝、日本一に大きく貢献。2006年にも18勝5敗の成績を挙げ、2度目の沢村賞を獲得。その後はリハビリ担当コーチとして、3年間現役復帰を目指しトレーニングを続けたが、2013年に現役を引退した。