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「洗濯機に入れて回すとこまでは別にいいんですけど、干すのがだるいっす。僕、干し方がへたなんやと思います。
落合秀市はそう言って肩を落とした。ひとり暮らしを始めて5カ月あまり。落合は「親のありがたみを感じるっすね」とつぶやいた。
関西独立リーグ・兵庫ブルーサンダーズでプレーする落合秀市
いつものように、笑いを誘っているのか本当に落ち込んでいるのかわかりにくい、どこか投げやりな口調。それが落合の平常時でもあるのだが、その性分が仇となって昨秋はちょっとした騒動を起こしていた。
2019年10月17日、プロ野球ドラフト会議で、和歌山東高の本格派右腕・落合は上位指名候補に挙がっていた。
だが、結果的に落合の指名はなかった。補強ポイントと合わず指名を見送った球団がある一方、落合の内面的な要素を疑問視して指名を回避した球団もあったようだ。
ドラフト会議後、落合は高校関係者に「野球はもういいです」と話し、メディアに「落合、野球断念」とセンセーショナルに報じられた。
だが、落合は自分の言葉の重みを自覚していなかった。
「その時の気分で発言してしまうので、そこが子どもなんやと思います」
ドラフト前から「是が非でもプロ野球選手になる」という意欲は希薄で、「行けたらいいな」くらいの感覚だった。指名漏れに終わった瞬間も「何も思わんかったです」と落合はこともなげに言う。さしあたって進路をどうしようか考え、「もう就職でええか」という結論に至った。それが「野球はもういい」発言のすべてだった。
にわかには理解しがたい感覚かもしれない。
昨年6月、落合と膝を突き合わせてじっくりと語り合った時間があった。
落合は趣味のBMX(バイシクルモトクロス)やスケードボード、ハマっている漫画『キングダム』、ファンキーな性格の父、兄の話を生き生きと話してくれた。ドラフト候補のインタビューとは思えない話題の数々に、何度も爆笑させられた。そして、この規格外のキャラクターはアマチュアの枠には収まらず、NPBという最高峰の舞台でこそ引き立つだろうと確信した。
同時に、この奔放な逸材と日常的に顔を合わせて指導する者の苦労を思わずにはいられなかった。
和歌山東の米原寿秀監督、南佳詞部長ら指導陣が内面的に幼い落合をあの手この手で野球に向き合わせ、なんとか3年間を全うした結果、落合はドラフト候補に浮上していた。そもそも野球への執着心のある選手ではなかったのだ。
だが、ドラフト会議からしばらく経ち、冬になると落合は野球を続ける方向に翻意する。やがて関西独立リーグ・兵庫ブルーサンダーズへの入団が発表された。
落合は心変わりの背景をこう説明する。
「やっぱりお金を稼ぎたいじゃないですか。
1年間、やりきる。それでドラフト指名されなければ、野球はやめよう。落合はそう決めた。
だが、高校時代の落合を取材した者としては、不安を拭いされなかったのが本音だった。
まず、1年間やり通せるのか。
高校時代に比べれば練習量は落ち、NPBと比べれば選手の技術レベルは格段に落ちる。「この環境で自分はプロになれるのか?」と気持ちがくじけてしまう可能性は十分にある。
結局、厳しい環境下で自分を支える原動力は「野球が好きか?」という根源的な問いに立ち戻ってくる。落合という選手はすばらしい才能に恵まれている。だが、この問いに即答できるだけの思いを感じたことはない。
ましてや今年はコロナ禍という非常事態もあった。兵庫ブルーサンダーズも活動を休止した時期もあり、落合にとっては野球をやめるための口実はできていた。
だが、8月14日、5カ月ぶりに会った落合は、折れてはいなかった。
「プロ(NPB)に行きたい気持ちは、変わってないっすよ」
その時点で、実績らしい実績はほとんど挙げられていなかった。コロナ禍で活動がままならなかった時期の話を聞くと、落合は淡々とこう答えた。
「練習は全然できやん(できない)かったですね。個人で、家でできる範囲でやってました。体幹とか」
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8月11日の和歌山ファイティングバーズ戦では、初先発のマウンドに上がっている。立ち上がりからバックのミスが続き、初回に3失点。計4イニングを投げ、5失点と乗り切れなかった。
だが、落合は味方のミスにも「そんなん、何も思わないですね」と動じなかった。高校時代はチームメイトのエラーに露骨に表情に出していた時期もあったというが、3年生になってからは気にならなくなったという。
「エラーをして機嫌が悪なったところで何も変わらないし、無駄やなと気づいたんです。そう思うようになってから、エラーしても顔に出んようになりました」
しかし、ドラフト会議まであと2カ月。落合に「焦りはありますか?」と尋ねると、「あるっすね」と意外な言葉が返ってきた。
「全然練習できてなかったし、全然レベルが低いので、このままでは行けやんと思います。レベルを上げたいです」
ここまで技術的には高校時代から大きな成長はないと言っていい。だが、今のこの選手の焦点はそこではない。
家事に悪戦苦闘しながら、貯金やアルバイト代、親からの仕送りでなんとかひとり暮らしをする。サボりたい思いに折り合いをつけながら、日々のグラウンドに足を向ける。ドラフト候補としては低レベルと笑われるかもしれないが、落合秀市というひとりの人間にとっては大きな前進なのだ。
登板しない日には、「向いてない」と眠い目をこすりながらも、他のベンチ外メンバーとカウントボードのスイッチャーなど裏方仕事に精を出す。約束の時間に遅れたことを社会人経験のあるチームメイトの清水健介に諭されたことを、「自分のために怒ってくれた」と感謝できるようにもなった。
元阪神の投手で、監督として落合を指導する橋本大祐監督は、入団後の落合をこう見ている。
「まだムラはあるんですけど、パッとスイッチが入るようにやる気になるときが多くなってきました。やる気があるときとないときがわかりやすいのですが、余計にダラけて見えるので損ですからね。誤解されやすいキャラクターというのは確かだと思います」
一方であるNPBスカウトは、落合についてこう語っていた。
「ヤンキーというタイプではなくて、ただ幼いだけですよね。かわいげのある、先輩にかわいがられるやつだと思うんです。技術的には真っすぐとスライダーを同じように腕を振れるのがすばらしいですね」
だが、まだ落合に対して厳しい声を向ける人もいる。高校時代の恩師である米原監督もそのひとりだ。
「『プロに行きたい』と言ってるのも、まだホンマに頑張ろうと思って言ってるわけじゃないですから。『お金がほしい』という目的が第一にある。それは別に悪いことじゃないけど、一時(いっとき)の金を目指してやってるだけ。本当に野球が好きやったら、続けるやろうけど」
厳しい言葉の裏には、落合のこれまでの行動原理を身近で見てきた経験と、本気で落合の未来を思う親心があるからだ。"野球はもういい事件"のあと、和歌山東の指導陣は落合の気まぐれな意思表示に振り回された。「野球を続けたい」「やっぱりやめたい」、コロコロと変遷するたびに進路は振り出しに戻った。米原監督はあきれたように「頭下げてばっかりや」と笑った。
落合という選手を見ていて、つくづく感じる。才能とは残酷なものだ、と。グラウンドで懸命に努力している者が1年かけて習得したことを、才能ある者はあっさりと一瞬でこなしてしまう。そんな話をしていると、米原監督は深くうなずいて「人間は平等やないからね」と言った。
「人間にはそれぞれ、自分を生かせる道がある。落合の場合は野球ですよ。あいつから野球を取ったら何が残るか。それにいつ気づくか。これまでいろんな人がアプローチしても気づかんかったのだから、あとは自分で気づくしかない。こっちはひたすら待つしかない」
天分──。天から授けられた才能と言えば、本人の人格を無視した乱暴な決めつけと思うかもしれない。だが、落合秀市という投手の才能を前にすると、「なぜこの才能に身を捧げないのか」というもどかしさを覚えてしまうのも事実だ。
プロ野球とは、誰もが目指せる世界ではない。もし、落合が自分の天分に気づき、少しでも野球に向き合えるようになったら。その時、落合は野球に人生を救われ、私たちはとんでもない投手の誕生の目撃者になるかもしれない。
落合が本当の意味で野球にしがみつく日はきっと来る。そう信じて待っている人は、決して少なくはない。