その意味ではJリーグの経験がのちの成長を促したとは言い難いが、日本一のタレント軍団のなかに身を置いた日常が、伸び盛りのティーンエイジャーのポテンシャルを開花させたことは想像に難くない。
グアラニに復帰した1994年、アモローゾはブラジル全国選手権で得点王となると、ついには欧州移籍を実現。イタリアではウディネーゼで、ドイツではドルトムントでそれぞれ得点王に輝いている。
1995年からはセレソンにも名を連ね、1999年のコパ・アメリカの優勝に貢献。Jリーグの試合にも出られなかった選手が世界的な名手に成長を遂げるとは、これ以上ない出世物語だろう。
同じブラジル人選手では、フッキの存在も忘れてはならない。
来日したのは18歳だった2005年。獲得したのは川崎フロンターレである。もっとも、川崎では4人目の外国籍選手の扱いで、出場機会は限られた。
ブレイクを遂げたのは、当時J2のコンサドーレ札幌にレンタル移籍した2006年。強烈な左足を武器にゴールを量産し、リーグ2位の25ゴールをマークした。さらに東京Vにローンで出た2007年は37ゴールで得点王を獲得するとともに、チームのJ1昇格の立役者となった。
ともにJ2とはいえ、2シーズンで62得点。フッキは圧巻のパフォーマンスを見せつけた。
翌年に川崎に復帰するも、2試合出場しただけですぐさま東京Vに再加入。11試合で7得点とJ1でも驚異的なペースでゴールを量産したが、夏にポルトへと移籍した。