戦力外通告された者たちが最後の生き残りをかけて参加するトライアウト。昨年12月に開催されたトライアウトはコロナ禍により無観客となったが、例年にない盛り上がりを見せた。

 すべては、15年ぶりにプロ野球界復帰を目指した48歳の新庄剛志が参加したからだ。一見、新庄オンパレードに映ったトライアウトだったが、真の主役は別にいた。それが宮台康平である。

ヤクルト入り宮台康平の逆襲なるか。東大史上最高の投手に足りな...の画像はこちら >>

トライアウトからヤクルト入団を果たした宮台康平

 2017年に東大から日本ハムにドラフト7位で指名され、東大史上6人目のプロ野球選手となった。だが昨年11月下旬、戦力外通告を受けた。育成選手として再契約の打診があったが、それを固辞してトライアウトに参加した。

 トライアウトは1ボール1ストライクという投手有利のカウントから打者と対決するのだが、宮台はキレのあるストレート、変化球で三者三振に仕留めてみせた。参加者のなかで最高のパフォーマンスを見せた宮台は3球団からオファーがあり、12月23日にヤクルトと正式に契約を交わした。

 そもそも宮台は、入団時はドラフト7位という下位指名であったため、日本ハムの話題づくりではないかと言われたが、じつはドラフトの1年前までは上位候補に挙げられるほどの有望株だった。

 宮台は神奈川県屈指の進学校である湘南高校出身で、3年春の県大会ベスト8が最高成績。球速も130キロ台で、公立の進学校にしてはまずまずの投手という評価にすぎなかった。それが東大に入ってから格段の成長を見せていったのである。

 大学3年春のシーズン、神宮のニュースターとして突如脚光を浴びる。開幕戦の早稲田大戦に先発し9回まで無失点に抑え、二死から長短打を浴びてサヨナラ負けを喫したが、毎回の13三振を奪う力投を見せる。次戦の明治大戦もサヨナラスクイズを決められ敗れたが、9回一死まで無失点。そして立教大戦では完封勝利、法政大戦も1失点完投勝利で2勝を挙げた。

 この活躍が認められ日米大学選手権大会の日本代表入りを果たした。東大からはじつに33年ぶりの選出だった。

 日米大学野球選手権では第3戦に先発し、2回2/3を1失点。ストレートは自己最速となる150キロをマークし、5三振を奪う快投を見せた。この時点で「赤門エース」のドラフト1位指名は、いよいよ現実味を帯びていった。

 大学に入って球速が飛躍的に伸びた理由を、宮台はこう分析している。

「ウエイトを上げることが成長する一番の近道だと思いました。練習時間は限られているし、一気にやれるものじゃないけど、体重は頑張ろうと思えばいくらでも努力できる。

技術は本当に練習が必要ですし、積み重ねていかないといけない。まず、うまい人たちに追いつくとしたら体格だと思うんです」

 大学1年の間は体づくりに専念し、2年春に145キロ、3年夏に150キロと驚異的な進化を遂げたのである。しかし、日米大学野球選手権のあと、宮台は左肩を負傷してしまう。

 湘南高校時代の恩師である川村靖監督は、大学3年時の宮台のフォームについてこう語る。

「高校時代に比べてフィニッシュが大きくなったのが気になっていました。速い球を投げたあとのブレーキ、力の逃し方は絶対に大切なんです」

 大学3年の冬、フォーム矯正中の宮台にも左肩を痛めた原因について聞いたことがある。

「腕を思いきり振った反動で体が止まらないと、肩の負担が大きくなると言われました。止まれないのは体幹が弱いため。打者と対戦すると、やっぱり速い球を投げたくなってしまい、体がつんのめってしまうのが課題です」

 自己分析はできていたが、闘争本能がそれを許さなかった。肩を痛めて以降、宮台は一度も150キロを計測しておらず。プロ入り後の球速は140キロ前後。おまけにコントロールでも苦しんでしまった。

 東大卒のプロ野球選手として、一度はドラフト1位級の評価を与えられるなど、過去最高の素材であった宮台だったが、プロの高い壁にぶち当たった。

 それにしても、なぜ東大卒の選手はプロの世界で苦しむのだろうか。学生時代からどっぷり野球に浸っていた選手とはすべてにおいてレベルが違うのは否めないが、宮台においては技術的な部分よりも、体力的な部分で劣っていたと言わざるをえない。

 もちろん、宮台なりに鍛えようとしていたと思うのだが、高校、大学と強豪校で揉まれた選手たちと比べると、身体能力の基礎部分で圧倒的に差があった。

 さらに、意識の部分でも大きな差がある。「プロに入るんだ」という強い意志を持つ選手が周囲に多くいると、高い競争意識が生まれ、心身とも鍛えられる。だが、宮台がプレーしてきた湘南高校、東大からプロに入るような選手が出てくるのは極めて稀である。大学3年の時に日本代表でプレーした宮台は、こう感じたという。

「やっぱり、ずっと勝負を続けてきた人間と、大学で初めて本気の勝負を始める人間とでは絶対的な開きがあると感じました。技術だけじゃなく、勝負をする段階でもう負けているんですよね。睨まれたら目を逸らしちゃうし......技術が同じだったら、気持ちの強いほうが絶対に勝つと思うんです。立教大の田村伊知郎三(現・西武)はタフですごかった」

 プロ1年目を終えた頃、入団前に思い描いていたプロの世界と現実とのギャップについて聞くと、「とくにないですね。レベルが高くて、思い描いていたとおりです」と答えていた。本当の意味でのプロのレベルの高さを、この時はまだわかっていなかったはずだ。

 結局、日本ハム在籍の3年間で一軍登板はわずか1試合。昨年は二軍で0勝4敗、防御率7.71と結果を残すことはできなかった。それでも、シーズン終盤になると調子がかなり上向きになったのは確かだった。おそらく、プロの世界でもやっていけるという手応えを感じたのだろう。だからこそ、背水の陣でトライアウトに臨めたに違いない。

 宮台にとっての日本ハムで過ごした3年は、土台づくりの時間となったはずだ。ようやく本当の意味での勝負が幕を開ける。ヤクルトの入団会見で宮台はこう意気込みを語った。

「チームから言われる役割にフィットするよう、全力でやるだけ。役割はどこであれ、しっかり一軍で投げて戦力になる」

 ヤクルトの本拠地は大学時代に慣れ親しんだ神宮球場である。奇しくも、トライアウトで快投を演じたのも神宮球場だった。

「トライアウトの時もすごくいい投球ができたので、いいイメージを持っています。次はプロ野球の公式戦で大学時代と同じような投球をしたい」

 宮台のポテンシャルならきっとやれるはずだ。東大史上最高の投手と言われた宮台の逆襲がいよいよ始まる。