今回が琵琶湖畔を走る最後のレースとなった「びわ湖毎日マラソン」。その終焉を彩るべく、マラソン挑戦5回目の鈴木健吾(富士通)が昨年3月に大迫傑(Nike)が出した日本記録を33秒更新する2時間04分56秒で優勝を飾った。

「恥ずかしいから褒めないで」鈴木健吾の大学時代から日本記録更...の画像はこちら >>

日本記録を更新してもなお、「まだまだこれから」と語った鈴木健吾

 鈴木は、「ベストが大学4年の記録(2時間10分21秒)なので、その更新は目標にしていましたが、今回はタイムより順位を重視して、秘かに優勝を狙っていました」と話す。

 今回のびわ湖毎日マラソンには、東京マラソン中止と別府大分マラソン延期の影響で日本のトップ選手が終結し、日本記録更新を目指す1km2分58秒を目標にペースメイクされた。

 そんな高速レースの中でも鈴木は冷静だった。これまで出場した4回のレースでは、30~35kmから失速していたこともあり、前半の大集団の中で風をよけて走り、ペースメーカーの細かなペース変化にも対応せず、体力を温存していた。

 さらにペースメーカー3人のうち2人が抜けた25kmあたりで、井上大仁(三菱重工)が仕掛けた時も動く気配すら見せなかった。

 事前に福島正監督と「25kmと30kmで集団が動くだろうから、冷静に判断しよう」と話していたことを明かし、「まだ対応すべきではないと感じ、余力はかなりありましたが、我慢して様子を伺っていた」と振り返った。

 鈴木が動いたのは、先頭が3人まで減った36kmすぎ。「MGC時の(中村)匠吾さんのように一発で抜くタイミングを見図り、『いける』と思ったら仕掛けようと思っていました。35km通過の時に周りを見て37kmくらいで行こうと考えていましたが、給水を失敗したので、他の選手が給水している間に仕掛けました」

 それまでの1kmよりペースを11秒上げて、給水失敗を逆手に取った。38kmでは後続を突き放すキレのあるスパートをかけ、その後もペースを緩めず逃げ切った。

 鈴木が注目されたのは2017年、神奈川大3年の時に出場した箱根駅伝だ。エース区間の2区を走り、実績のあった一色恭志(青学大4年)や工藤有生(駒澤大3年)、スーパールーキーの關颯人(東海大1年)のいる集団から抜け出すと、区間賞の走りでチームのシード権獲得に貢献した。

続く3月の日本学生ハーフでも優勝し、箱根の快走がフロックでないことを証明する。

 だが、当時の鈴木は注目されるという状況の変化に戸惑っていた。

「これまではそんなにメディアにも取り上げられることもなかったのですが、箱根が終わってからは違って......。目立つのはあまり得意じゃないから、『(この結果に)満足してるんじゃないかな?』と自分に問いかける部分は常にあったし、次に結果が出なかったらどうしようという不安もあって。褒められるのはうれしいけど、『恥ずかしいからあまり褒めないでくれ』という気持ちでした」

 このコメントからも伝わるように、シャイで真面目な青年なのだ。コツコツと一歩ずつ着実に成長していきたいと考える性格は、もともと陸上関係者から、「マラソンに向いている」と高く評価されていた。

 富士通入社1年目の2018年は、入社前の2月に挑戦した初マラソンの影響からか、股関節や膝に痛みが出てまともに走れず、出場できたのは12月の長距離記録会のみだった。そんな苦難の時期を鈴木はこう捉えていた。

「大学時代は華やかなところにいさせてもらったので、(不調が続いたのは)『調子に乗るな』と言われているようで自分を見直せる期間でした。いろんな人が結果を出すのを見て『あぁ、自分は全然だめだな』と思いながら生活していたけど、『僕は地道にやらなければセンスのある人や強い人にはかなわないんだ』ということを再確認しました」

 2019年は9月のマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)出場を目指していたが、足に不安が出て3月の東京マラソンを回避。出場権が獲得できる期限ぎりぎりの4月末のハンブルグマラソンで2時間11分36秒を出して滑り込んだ。

 MGC本番では、本来の力を発揮できずに7位。

東京五輪出場のラストチャンスとなるファイナルチャレンジも、20年びわ湖で12位と、東京五輪への挑戦は終わった。

「MGCは正直、戦えるという気持ちはなくがむしゃらに行こうと思っていました。代表が内定した人たちを見ても、自分はやっぱり戦えるポテンシャルに達していないとわかりました」

 福島監督は当時をこう振り返る。

「入社1年目は故障で結果を出せなかったですが、2年目はトラックでのスピード練習をまったくさせられず、MGCに出るのが精一杯でした。去年のびわ湖で東京五輪への挑戦が終わってからは、体がまだ華奢でマラソンに耐えられる筋力がついていないということで、ウエイトトレーニングを継続させ、チームのメンバーとのスピード練習の積み上げを始めました」

 その成果は、昨年1万mの自己記録更新という形で表れた。そこで1万mでの東京五輪出場の可能性も狙って、2020年12月の日本選手権に出場したが、33位と惨敗だった。

「自分が求めていた質の高い練習ができず、本番も歯が立たないまま終わってしまいました。それで改めて『マラソンしかない』と考えて、びわ湖の出場を決めたんです」

 本格的なマラソン練習を始めたのは、今年の元日の全日本実業団駅伝が終わってからだった。この1年ほどは故障もなく練習を継続でき、スピード面での積み上げもあった。その成果が以前より力強い走りに表れていた。さらに少しずつ自信を持つことができていたからこそ、勝負どころを見極める精神面での成長も生まれていた。

 記録はまったく意識せず、勝つことだけを考えて走っていた今回。

終盤になって沿道からの「日本記録が狙えるぞ」とか、「5分を切れるぞ」という声で初めて記録を意識し、「ラスト1kmは2時間5分を切ろうと思って走った」という鈴木。

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 日本人初の2時間4分台という快挙にもおごらず、相変わらず謙虚だった。

「年明けに(同じチームの)匠吾さんと一緒に練習をさせてもらって、(匠吾さんは)質の高い練習や余力度もかなりあり、少しでも吸収しようと思う気持ちでやっていました。今回も匠吾さんが出ていたら多分勝てなかったと思うくらい、強いと思います。それに比べて自分はまだまだ力がないので、まずは世界選手権や五輪で日の丸をつけて戦えるように、少しずつ力をつけていきたいと思います」

 そう話す鈴木だが、ラストの走りは印象的だった。35~40kmは、14分39秒で、ラスト5kmで14分23秒と、スピードを上げて、これまでの日本人選手にはない形で走り切った。最高の条件がそろっていたとはいえ、終盤に見せた走りは世界と戦える貴重なものだった。

 福島監督は「健吾のよさは、性格的にもコツコツ積み上げる練習ができるところ。粘り強さもあって暑さにも強いので、世界選手権や五輪の気温の高いマラソンでもしっかり走れる。練習を継続すれば目標に達する選手だから、五輪を最大の目標にして、焦らせることなく経験が積んでいくようにしたい」と話す。

 鈴木は2024年パリ五輪へ向けて、日本男子マラソンをさらに活性化させる結果を出した。