東京2020パラリンピック・車いすテニス競技の日本代表監督を務めた中澤吉裕氏。日本代表監督が、どんな役割を担っているのか、案外知られていないのではないだろうか。

東京で国枝慎吾や上地結衣らがメダルを獲得した結果を踏まえ、監督の仕事内容を紐解きながらメダル獲得への道を振り返ってもらった。
車いすテニス日本代表監督の具体的な仕事とは? 中澤吉裕が振り...の画像はこちら >>

個人競技の車いすテニスを日本チームとしてまとめた中澤吉裕監督

――パラリンピック車いすテニス日本代表の監督は、どんな役割を担っているのでしょうか?

「毎年、メダルを獲るための強化戦略プランを作成し、それに基づいて4年間プラス1年やってきました。どういう選手を育てていくか、どんな選手を(代表に)入れていくか、という全体の強化プランをつくり、それを稼働させながら、どういうふうに評価するかKPI(重要業績評価指標)を出していきます。評価と検証をしていくことが、代表監督の大きな役割になります」

――東京パラリンピックに向けて、中澤監督はどんな強化プロジェクトをつくったのでしょうか。

「まずは選手との関係強化の構築でした。普段、選手は個々のチームで動いていますので、そのチームを(日本車いすテニス)協会が把握して、どう連携強化を図るのか、5年間プロジェクトとしてやってきました。

そのひとつとして、彼らの体力測定からテニスのパフォーマンスにどう影響をしているのかを具体的に数値化し、トレーニング内容などを模索しました。これはある程度の成果を出せたと思っています。

 他にも戦略的強化のために、選手個々でやっていることを、ナショナルチームが知ったうえで、サポートをしていきました。男子、女子、クアード、選手個々のチームに、ナショナルコーチやトレーナーをつけて、成果をどうやって出していくのか。というところです。

 JPC(日本パラリピック委員会)とJSC(日本スポーツ振興センター)には、成果を挙げるための取り組みについて、レポートを提出していました。

これによって(代表活動の)助成金をきちんと得ることができます。書類作成とか、何でもしなきゃいけないというか、やることが多くて大変でしたね」

――中澤監督はどのようなテーマを掲げたのでしょうか?

「僕が5年前にテーマとして掲げたのが、"最後にみんなで笑って終わる"でした。笑うために何をすればいいのか、方策を打ち立てて全部やりきるということでした。

 その中で"チームビルディング"が大切でした。選手とのビルディングもあるし、ナショナルコーチやトレーナーらとのビルディングもある。広報、国際部、事務局も含めてみんなで共有して、一丸となっていきました。

これらを総括して全体を見ながら、多岐にわたることをしていくのが監督の仕事です。

 自分自身も監督としてスキルを上げるために、スポーツ庁が立ち上げたプロジェクトのひとつであるハイパフォーマンスディレクターになるための講義を2年間勉強させてもらいました」

――東京パラリンピック本番で、コンディション管理などは、どうのようにされたのでしょうか?

「東京パラでは10人の選手が出場しましたが、選手村に入れたナショナルのスタッフは6人でした。なので、選手1人ずつにナショナルのスタッフを配置できるわけではなかった。今までパラスポーツでは、悪い意味でみんな平等というのがありましたが、(特に車いすテニスは)強化を含めて(メダルも狙える)ハイパフォーマンススポーツだと思っているので、それを踏まえて選手にナショナルスタッフを付けていきました。

 一番大事なのは、選手が全力を出し切ることで、その結果メダルがついてくると思っていました。結果を出したければ、サポートを充実させる。

選手のパフォーマンスがよくなることに集中していました」

――各選手のパーソナルコーチは、大会期間中どこまで関わることができたのでしょうか?

「車いすテニスは個人スポーツで、各選手に付いているパーソナルコーチが核だからそこを大事にしようというのが考えの基本にありました。選手とパーソナルコーチが、パラ期間中にいい環境でいられるサポートをしたかった。選手とパーソナルコーチが会える場所を提供しましたが、結構苦労しました。パラでは、パーソナルコーチが会場に入れなかったり、送迎や宿泊所など、普段のツアーとは違うことが起こりましたね」

――東京パラリンピックの車いすテニス競技で、日本選手たちの目覚ましい活躍をそれぞれ振り返ってください。男子シングルスで金メダルを獲得した国枝慎吾選手からお願いします。

「国枝選手も言っていましたが、パラスポーツの枠を超えたプロスポーツとして、いろんな人にアピールできたのではないでしょうか。

実際、彼の試合を見て、これはすごいと思ってくれた人がたくさんいた。本当に彼が成し遂げた偉大さを踏まえると、また歴史を作ってくれたと思います。

 リオで彼が思うような結果を残せなかった時や、ヒジのけがで思うような結果が残せない時も見ていたので、本当にコートで自信をもってイキイキとプレーしている姿を見て、やっぱりうれしかったですね。彼がいろんなことを大きく変えてくれて、強いメンタルで戦って、みんなに影響を与えてくれた。その結果が金メダルだったのかなと思っています。本当に獲るべき人が獲れてよかったです」

―― 一方、男子ダブルスでは、国枝選手/眞田卓選手が4位入賞でした。

「率直に悔しい限りです。やっぱりメダルを獲ってほしかったです。メダルだけがすべてではないのはわかっていますが、特に眞田選手は初のメダルという意識はあったと思います。監督として、獲れなかったことに関して責任を感じますし、ダブルスについて、もっと戦略的にいろんなことが必要だったんじゃないかと反省しています」

――女子シングルスでは、上地結衣選手が初の銀メダルを獲得しました。

「とてもすばらしい試合だったのですが、本人は金メダルという意識で、この5年間プレーしてきたと思います。次のチャンスが簡単に来る世界ではありませんが、絶対に次へつながるだろうし、こういった積み重ねが次の大きなステップになっていくと信じたいです」

――女子ダブルスは、上地選手/大谷桃子選手が中国を破っての銅メダルでしたね。

「ウェブ上でいろんな話し合いをしてきて、最終的にメダルが獲れてよかったです。東京で上地選手は、勝って終わる銅メダルと、負けて終わる銀メダルを経験しました。上地選手はよくリードしてくれたと思います。大谷選手は、緊張のパラ初出場でメダルが獲れて、今後への大きな経験になったはずです。大会の中で2人の成長する姿も見ることができました」

――少し障害の重いクラスであるクアードのシングルスでは、菅野浩二選手が4位入賞、ダブルスでは、菅野選手/諸石光照選手が銅メダルを獲得しました。

「菅野選手がクアードに来て、レベルアップしながら世界ランキングを上げてきた。今回(試合の)中身もよかったです。初出場でプレッシャーがすごく大きいながらも、すばらしい結果を出してくれました。

 ダブルスは、ロンドンでもリオでも、メダルが獲れなかったので、東京でという思いはありました。特に、3位決定戦は、最後までどうなるかわからないしびれる試合でした。試合後には、諸石選手とお互い涙を流しながら『本当に長かったね』と言葉を交わしました。やっぱりメダル獲得は一筋縄ではいかないですけど、2人が成し遂げた実績ですし、奇跡ではなく実力だと思います。クアードでも、かつてのパラ出場選手(の経験や思い)も含めて、東京へつながった形になりましたね」

――コロナ禍でのパラリンピック開催で、難しい状況下ではありました。無観客開催になり残念でしたが、パラリンピックが開催されてよかったことや中澤監督の率直な思いを聞かせてください。

「まず、いろんな意見がある中で開催されました。開催されるまでコロナ禍でたくさん不安がありましたが、(車いすテニスの)日本チームからは感染者を出さずにできた。開催に携わってくれた方に改めて感謝です。選手もスタッフもすごく頑張ってくれたので、こういうすばらしい結果になった。

 お客さんが入らなかったのはすごく残念ですけど、ボランティアの皆さんが、夜遅くまで質の高いサポートをしてくれました。本当に温かかったし、有り難かったです。深夜におよんだ試合の時は、たぶん帰れなかったボランティアさんもいたんじゃないかな。でも、次の日は疲れを全く顔に出さずにサポートをしてくれて感謝しかないです。改めて、日本人って、温かいと思いました」

――今後の日本車いすテニスの課題、若手の育成、競技への関心をどうやって高めていくか、など考えを聞かせてください。

「これからもプロとして結果を出していくことは、車いすテニスの大きな課題で、議論していかないといけない。技術的な部分はもちろん、メンタルを含めて人間力の向上を基礎に置きながら、次世代選手の強化もしていきたいです。先輩たちの力がつながってきて、東京での結果になったと思いますので、(2024年の)パリ大会や(2028年の)ロサンゼルス大会でも、先輩たちからのバトンをしっかりつなげて、結果を残していくのが大事なのではないでしょうか」

――東京パラリンピックが終わって、メディアや企業からの関心が、パラスポーツから離れてしまうのではという危機感はありますか。

「強くありますね。(東京で)これだけの結果を残しても、『すごかった!』だけで終わってしまいそうなところもあるので、これをきっかけに継続していくことが大事だと考えています。何ができるのか毎日考えていますし、(国内外の大会でも)結果を残してアピールしていきたい。そういった一つひとつを積み重ねていきたいと思っています」