10月2日、ジャパンオープンでフリー『トスカ』を演じる宮原知子
「トリプルアクセルは、自分のなかで新しい挑戦で。一応、立てるところまではきたので、挑戦したいという思いで試合に入ることにしました。
ジャパンオープン前日のリモート会見、宮原知子(23歳、木下グループ)は丁寧に言葉を選びながら、トリプルアクセル導入の経緯を説明した。スケーティングを極めることで勝負してきた宮原にとって、大技に取り組むことはひとつの賭けだろう。当然、リスクもつきまとうが、来年の北京五輪に向けて各選手が続々と大技に取り掛かるなか、彼女自身も大一番に打って出た。
「アクセルを入れるからといって、特別に変化はないです。むしろ今までどおり、しっかりした練習をして。体調管理や体のケア、食事も気をつけていきたいと思います」
宮原は整然と言う。
挑戦の成功は、いつだってトライ&エラーで成立しているのだ。
10月2日、埼玉。ジャパンオープン、女子5人目の滑走者としてリンクに入った宮原は、落ち着いた様子だった。場内アナウンスを受け、ひとつ息を吐いた。
「これまで(最近の)試合では不安や焦りが出ていました。でも、少しずつ自分のなかで消化できている感じで。今日は、落ち着いて入れました」(宮原)
今季、トリプルアクセルの挑戦を決めた
フリー曲は、昨シーズンから継続の『トスカ』。不穏な政治情勢のなか、悲恋に身を擲(なげう)つ歌姫トスカの人生を描いたオペラの大作で、芸術的滑りに定評がある彼女が乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負を挑むのにふさわしい。今シーズンの前哨戦、8月の「げんさんサマーカップ」ではフリーで134.74点と2位に入り、回転不足などはあったもののノーミスに近く、完成度は高まっていた。
ただ、やはりトリプルアクセルの負担があったか(「げんさんサマーカップ」ではダブルアクセルだった)。大技のストレスは、他のジャンプにも影響を及ぼす。そこに怖さはある。
冒頭の3回転ルッツ+3回転トーループの2つ目が2回転トーループになってしまう。2本目のジャンプ、トリプルアクセルは転倒し、回転が足りず、ダウングレード判定だった。3本目の3回転ループも4分の1回転不足。
スコアは119.69点と低迷した。「げんさんサマーカップ」と比較しても点数は出ていない。同じくトリプルアクセルに挑んだ樋口新葉、松生理乃、河辺愛菜が上位で、宮原は6人中6位だった。
ただ、挑戦は始まったばかりだ。
「どうしても、アクセルばかりに気を取られるところもあって」
宮原は言う。
「他のジャンプを振り回す悪影響になるかもしれない、というのはあります。でも、そこを切り替えられたら、他のジャンプに対する自信にもなるかもしれません。難しいジャンプを入れたことで、他のジャンプに余裕が出てくるというか。一つひとつ試合をして、そこで自信をつけ、"自分をどう攻略できるか"だと思います」
彼女は新たな形を模索しているが、生き方自体は変わっていない。常に厳しく自分と対峙し、最大限まで技術を高め、殻を破ってきた。
2015−2016シーズン、宮原は世界ランキング1位を獲得している。技術を極めて、「ミス・パーフェクト」という称号を与えられた。2017年の全日本選手権まで4連覇。グランプリファイナルでは2度、2位に輝き、世界選手権でも2位、3位の経験がある。その実績を引っ提げ、2018年平昌五輪では4位になった。現役女子フィギュアスケート選手として、もっとも世界で戦ってきた日本人で、その経験は伊達ではない。
その宮原が、トリプルアクセルに挑むことを自ら決めた。五輪シーズン、女王なりの決意と言えるだろう。
ーーシーズン以後のことは考えていらっしゃいますか?
来年24歳になる彼女に、会見の最後、そんな質問が飛んだ。
「今は何も考えられないです。(この先)どうしようかな、どうなっちゃうんだろう、ということばかりで。目の前のことを必死に考えているので、そこまで余裕はないです」
宮原は凛として答えた。「今」に集中しているのだろう。上品でたおやかに振る舞うが、勝負からも決して目を逸らさない。それが彼女の強さだ。
「伸び伸び滑ることが目標です」
彼女は貞淑に頬をゆるめた。今の自分を越える。それが実現した時、「新しい宮原」が誕生するのかもしれない。