中村憲剛×佐藤寿人
第7回「日本サッカー向上委員会」@中編

 1980年生まれの中村憲剛と、1982年生まれの佐藤寿人。2020年シーズンかぎりでユニフォームを脱いだふたりのレジェンドは、現役時代から仲がいい。

気の置けない関係だから、彼らが交わすトークは本音ばかりだ。ならば、ふたりに日本サッカーについて語り合ってもらえれば、もっといい未来が見えてくるのではないか。飾らない言葉が飛び交う「日本サッカー向上委員会」、第7回は「プロサッカー選手の成否を分けるものは何か?」というテーマについて語ってもらった。

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中村憲剛と佐藤寿人が「お父さん、お母さんに聞いてほしい」。子...の画像はこちら >>

中村憲剛氏が親御さんに伝えたいこととは?

---- おふたりの実体験として、成長過程におけるターニングポイントのような出来事ってありましたか?

佐藤 僕はずっと育ててもらったジェフというクラブを離れ、まったく知らない大阪という街とクラブでプレーする決断をした時ですかね。生き残っていかなければいけないという立場に自ら足を踏み入れたという意味で、僕は2002年にセレッソに行ったことが大きかったと思います。

中村 僕の場合は、高校、大学でやって来たことが間違ってなかったことを証明できたという意味で、フロンターレに入ったことがターニングポイントかもしれないですね。

 成長するためにどうすればいいのかを考えながら悪戦苦闘してプロまでたどり着いたので、自分のやり方がある程度合っていたんだなと実感できました。それはプロのキャリアを築くうえでの自信になったと思います。入るまでが大変だと思っていました。入ってしまえば、あとは自分次第ですから。

---- 成長のためには考え方や姿勢の部分が大きいことは理解できましたが、一方で外的な要素によって成長が左右されることもありますよね。

佐藤 そうですね。

僕は広島に移籍した時に、監督の小野剛さんに「24時間をどうデザインするのか」ということを言われて、そこを意識させられました。あとは代表に行った時に、岡田武史さんに世界とのフィジカルの差を埋めていくためのトレーニングを課せられて、数値化していくということもやりました。

 最初に言った「傾聴力」の話にも通じますけど、要所要所で知識や経験のある人たちが、そういうものを与えてくれたことが大きかったと思います。自分たちで何かを作ろうと思っても、知らないことのほうが圧倒的に多い。アンテナを張るということも言いましたけど、自分に足りないことを持ってきてくれる人との出会いというものも、長く続けられた要因だと思っています。

---- 出会いが成長を促してくれると?

中村 そこは大事ですよね。

これは前回の監督をテーマにした対談の時にも言いましたけど、人と出会って何かを与えられた時、それをどのように自分のモノにして成長につなげていけるか。

 もちろん、生きていくなかで多くの人に出会うわけだから、いい出会いもあれば、その逆もあります。そこは反面教師とすればいいわけで。そういう出会いのなかで、自分の信念みたいなものは形成されていくのかなと。

 結局、人間を形成する要素は、人なんだろうなと思います。出会いだったり、何を見聞きするかによって、人は変わっていくものですから。

佐藤 指導者はもちろん、先輩やチームメイトの影響力は大きいですよね。特に若い時に、どんな人と出会えるか。そこは、僕も憲剛くんも恵まれていたんじゃないですかね。

---- 影響を受けたり、お手本にしていた先輩はいますか?

中村 フロンターレは、真面目にやる先輩ばかりでしたよ。

佐藤 フロンターレは、そういうカラーですよね。

中村 そう。

ウチはそれが昔も今も続いているから。寿人はいろいろなチームに在籍したなかで、強烈な先輩もいたんじゃない?

佐藤 1年目の時に、小倉隆史さんがいたんですよ。元代表のビッグネームでしたけど、小倉さんは普通に寮に入っていて。あれだけキャリアのある人だから、普通なら都心に住んだり、六本木に飲みに行ったりするイメージですけど、あの人は華やかな部分をまったく見せずに、サッカー選手としての正しい姿を見せてくれましたね。

 今、福岡の監督をしている長谷部茂利さんも、社会人としての姿勢を示してくれたし、チームをよくするために何をすべきかを常に考えているような人でした。もちろん、なかには派手な生活を送っている人もいましたけど、この人はこういうふうにサッカーと向きあっているんだなと。

そこは自分とは視点が違うので、参考にしないでおこうと(笑)。

中村 反面教師もいれば、お手本もいますからね。自分がどっちに行きたいのかという時に、さっき言ったような考え方が大事になってくるし、その信念に沿って自分が成長できると信じたほうに進んで、40歳までやってきました。

---- そういう考え方を身につけるうえでは、小さい頃の環境も影響するのでしょうか。

中村 そうだと思います。特に両親は、人生の最初に出会う大人ですからね。これはプロ選手を目指す子どもや学生のお父さん、お母さんに聞いてほしいなと思いますけど、指導者やチームメイト、環境など周りに文句ばかりを言う親のもとでは、周りに文句ばかりを言う子どもが育つということ。そういう言葉を間近でずっと聞かされていたら、そういう子どもになってしまうんです。

 そうではなく、すべてではないですが、「自分にベクトルを向けなさい」と言われれば、必然的に自分に内的要因を求めるような子どもになっていきます。若い時に何を見聞きするかがすごく大事で、だからこそ一番近い大人である親御さんの言動が大切になってくると思います。そういう親御さんのもとで育てば、最終的に感謝の気持ちも生まれてくると思います。

 僕は自分のスクールの子どもたちに「感謝の気持ちを持ってプレーしなさい」とよく言うんですけど、今、当たり前のようにボールを蹴れていることは当たり前じゃないんです。誰のおかげなのか、そこに感謝の心を持ってプレーできるか。そういう声かけをしてくれる大人が近くにいるかどうかで、その意識は変わってくると思います。

佐藤 憲剛くんって、プレー中に「俺、すごいな」と思ったことあります?

中村 あるよ、いっぱい(苦笑)。このパス、すげえなと。それこそバーレーン戦(2008年6月22日@埼玉スタジアム)で寿人に出したスルーパスとか。でも、そう思っても、僕の場合はひとりで何かできる選手ではないから。受けてくれる選手がいなければ自分は成立しないので、常に受け手の選手や自分にパスを出してくれた選手には直接その時に感謝を伝えていました。

 そういう意味では感謝の気持ちは、結構早い段階で持ってプレーしていたかもしれない。自分がすごいと思うのと、天狗になるのとでは違うと思うんですよ。すごいパスが出せるのはみんながいるからであって、みんなのおかげで自分が輝ける。そう思えるかどうかで、だいぶ変わってきますよね。

佐藤 僕は、自分のプレーがすごいと思ったことがないんですよ。憲剛くんとは役割は違うけど意識は同じで、パスをもらえないと何もできないんです。パスというひとつのトライを決断してくれたことに対して感謝しないと、次にパスは出てこないんですよね。

 パスを出してくれた味方のことを考えずに、自分の手柄だと感じていたら、たぶん僕は早い段階でダメになっていたと思う。自分ひとりではなにもできない。まだまだ足りないと思っていたからこそ、常に向上心を持ち続けていられたんだと思います。

中村 日本代表に行くと、みんないいヤツなんですよ。それがこのテーマに対する答えのすべてが詰まっているかなと思います。

 サッカーって勝ち負けがハッキリしてるので、ある意味いろいろなところでマウントを取り合う側面のあるスポーツじゃないですか。なので、「俺、すごいだろ」と言う人ももちろん過去に出会ってきた人のなかにはいましたけど、代表ではそういった類の人、いないんです。強烈な個性を持っている選手はたくさんいましたけど、当たり前ですが、それをひけらかすような選手はひとりもいませんでした。

 むしろ、周りの意見に耳を傾け、その意見を尊重しながらもうまく自分の意見を主張できる選手が多かったです。結局、トップに行けるのはそういう人たちなのかなと、7年間日本代表にいて、多くの代表選手を見てきたなかで思いました。気遣いができるというか、全体が見える人たちの集まりだなと感じましたね。

佐藤 そうなんです。自分ができる分、周りを尊重してくれますよね。

---- そうなんですね。日本代表ともなれば、自己主張する人たちの集まりかと思っていました。

中村 もちろん、主張はしますよ。自分はこれだけできますよということを、当然ちゃんと見せないといけないわけですから。「主張力」というものは、みんな持ち合わせていたと思います。ただ、しゃべることだけが主張ではなく、プレーで雄弁に語れる選手もいましたし、そこはすごく感じましたね。

佐藤 傾聴力だけではダメなんですよね。主張もできないといけない。そこはバランスなんですけど。

中村 そう。ただ、どちらの要素にも共通して必要なのは、自分を知っているかどうか。何ができて、何が足りないのか。そこをちゃんと把握していないと、アドバイスを聞いて取り入れることもできなければ、主張することもできないんです。

(後編につづく)

【profile】
中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ、東京都小平市出身。久留米高校から中央大学に進学し、2003年にテスト生として参加していた川崎フロンターレに入団。2020年に現役を引退するまで移籍することなく18年間チームひと筋でプレーし、川崎に3度のJ1優勝(2017年、2018年、2020年)をもたらすなど黄金時代を築く。2016年にはJリーグ最優秀選手賞を受賞。日本代表・通算68試合6得点。ポジション=MF。身長175cm、体重65kg。

佐藤寿人(さとう・ひさと)
1982年3月12日生まれ、埼玉県春日部市出身。兄・勇人とそろってジェフユナイテッド市原(現・千葉)ジュニアユースに入団し、ユースを経て2000年にトップ昇格。その後、セレッソ大阪ベガルタ仙台でプレーし、2005年から12年間サンフレッチェ広島に在籍。2012年にはJリーグMVPに輝く。2017年に名古屋グランパス、2019年に古巣のジェフ千葉に移籍し、2020年に現役を引退。Jリーグ通算220得点は歴代1位。日本代表・通算31試合4得点。ポジション=FW。身長170cm、体重71kg。