高津臣吾×真中満 対談
第3回「『絶対大丈夫』の裏側」

昨年、ヤクルトスワローズを日本一に導いた高津臣吾監督と、元ヤクルト監督でプロ野球解説者の真中満氏が対談。高津氏は1991年入団、真中氏は1993年入団でヤクルト現役時代には年齢の近い先輩・後輩関係で、2017年に真中氏が監督の時には高津氏が二軍監督というお互いをよく知る仲だ。

「高津ヤクルト」が前年最下位から結果を出せた要因は何だったのか。連覇をかける2022年シーズンに向けての課題や抱負は。息の合ったふたりの対談を全4回にわたってお届けする。(第1回から読む>>)

ヤクルト高津臣吾監督が真中満に打ち明ける「絶対大丈夫」の裏側...の画像はこちら >>

2021年、20年ぶり6度目の日本一に輝き、胴上げされるヤクルト高津臣吾監督 photo by Kyodo News

【「勝負の6連戦」に備えた万全の投手整備】

真中満(以下、真中) 昨年のペナントレース終盤、神宮球場で勝負の6連戦がありました。10月5~7日の対読売ジャイアンツ戦、そして8~10日の対阪神タイガース戦。僕としては、3勝3敗、5割で乗りきれば御の字。でも、1勝5敗とか全敗することになれば形勢が変わってしまうなと考えていたんですけど、高津監督はどう見ていましたか?

高津臣吾(以下、高津) 間違いなく、勝負の1週間でしたよね。

まず、ジャイアンツ戦の先発3人、小川泰弘、サイスニード、原樹理をそれぞれ中5日にしました。で、その前の週はリリーフ陣に無茶させないように気をつけていました。10月2日、3日の広島東洋カープ戦ではスアレスをクローザーにしたし、田口(麗斗)をセットアップに使って、清水(昇)を休ませました。

真中 前の週から、勝負の6連戦に向けて備えていたんですね。

高津 本当にここが勝負だと思っていたので、ここにピッチャーの状態をマックスに持っていくようにしましたね。前の週ではリリーフ陣を休ませたけど、この6連戦ではマクガフ、清水を4連投させてフルで戦いました。
その前には10連戦もあったので、いろいろやりくりは考えましたね。

真中 結果的にこの6連戦を5勝1敗で、終盤に向けてさらに勢いづくことになりましたからね。

高津 まさに昨シーズンを象徴した6連戦だったと思いますね。先発ピッチャーがしっかりゲームを作って、1点、2点をきちんと守って何とかゲームを拾っていった。この6連戦で阪神に負けた1敗も(1対2の)ロースコアゲームでしたから。負けるにしても接戦ができるようになってきたということは、目に見えない流れや勢いも生まれていたんでしょうね。


真中 僕はこの6連戦の頃から、優勝できるぞって思っていましたね。

高津 絶対ウソだ(笑)。本当に思いました?

ヤクルト高津臣吾監督が真中満に打ち明ける「絶対大丈夫」の裏側。日本シリーズでは「2カ所だけ迷ったところはあった」

昨季の日本シリーズについてたっぷりと語った高津監督(左)と真中満氏

真中
 絶対に優勝できるぞとは思わなかったけど、選手が落ち着いていたし、いい感じだなって思って見ていました。マジック3からしばらくの間、足踏みが続いた時はどんな心境だったんですか?

高津 最初にマジック11がついたときも、僕はこのままスムーズに勝てるとは思わなかったですね。マジック3くらいの時は阪神が負けない。うちはあまりいい状態じゃなかった。
指揮を執る身としては不安ばかり先立っていましたね。

【絶対大丈夫ーー「選手たちに弱気は見せられない」】

真中 選手たちには「絶対大丈夫」と言いつつも、監督としては不安を抱えつつ、選手に発破をかける感じだったんじゃないですか? 2015年、僕が優勝した時も内心では、大丈夫かなって不安に思っていたけど(笑)。それが監督というものですよね。高津監督もそうだったんじゃないですか?

高津 選手には「しっかり戦えば大丈夫だから」とは言いつつ、自分に言い聞かせる部分もあったかも(笑)。内心では、そう簡単にはいかないと思っていたし、絶対にこのあと、もうひと山あるぞと思っていましたからね。とはいえ、選手たちに絶対に弱気は見せられないし、「オレらは大丈夫だよ」っていう雰囲気作りは意識していましたよね。

真中 結果的に10月26日にセ・リーグ優勝を決めました。

1年間戦ってきて、選手たちに対する印象は何か変わりましたか?

高津 強くなりましたね。精神的にも、肉体的にも。多少、痛いところがあったり、休みたい時があったりしても、ちょっとやそっとじゃ音を上げなくなりました。こちらとしても、1年間フルに戦えるように適度に休みを入れるようにしたけど、選手たちがシーズンを通じて頑張ってくれたのが勝ちきれた要因。技術面もそうだけど、メンタル面がすごく強くなったと思いますね。

真中 以前よりも、選手たちが大きく見えたわけですね。


高津 本当に大きく見えた。村上(宗隆)や(山田)哲人、スコット(・マクガフ)はオリンピックにも出て、それで最後まで完走したわけだから、本当にすばらしいと思う。その時は言えなかったけど、本音を言えば、「もし負けたとしても、これだけ一生懸命頑張ったんだから納得できる」って、僕自身は思っていましたね。

真中 選手たちの頑張りに対して、心から頼もしく思えたんですね。シーズン終盤になると、堂々と落ち着いていて、巨人や阪神相手に互角の戦いを演じていましたからね。

高津 そうそう。これだけ頑張って負けたら仕方ないとか、全部を出しきって戦っているんだという思いはありましたね。開幕直後は阪神に0勝6敗だったけど、ペナント終盤には互角に戦っていたし、巨人にも最終的には11勝11敗(3分)と互角になった。本当に選手たちは頑張ったと思いますよ。

【日本シリーズ第2戦、高橋奎二続投の裏側】

真中 さて、日本シリーズはオリックス・バファローズとの戦いとなりました。昨年のシリーズは本当に名勝負になったけど、僕が見ていて、ここがポイントだなと思ったのが、第2戦、先発の高橋奎二を最後まで引っ張って133球で完封させたこと。あの続投はいろいろ悩んだんじゃないですか?

高津 日本シリーズは全6試合戦ったけど、迷ったところは2カ所ありましたね。そのひとつが、今、真中さんがおっしゃった「奎二を続投させるかどうか」でしたね。確かに、この第2戦はいろいろ考えましたね。

真中 残りひとつはあとで伺うとして、高橋奎二の続投については、どのように悩んだんですか?

高津 奎二の場合、大体100球くらいで調子が落ちていくんだけど、あの日はそこから上り調子だったんですね。クライマックスシリーズ(CS)もそうだったけど、日本シリーズでも、初戦を奥川(恭伸)、2戦目を奎二に任せました。CSでの奎二は6回102球で無失点でした。この時はあまり調子はよくなかったけど、それでも無失点に抑えた。だから、日本シリーズでも100球前後に注目していたんです。

真中 ところが、100球すぎても勢いは変わらなかったし、むしろ尻上がりに調子は上がっていきましたよね。

高津 そうなんです。だから、ここは変えるタイミングじゃないなって思いましたね。でも、本来ならば彼は中5日で第6戦に登板させる予定だったんです。そこで頭をよぎったのは続投させると、第6戦には投げられないな......という思いだったんですよね。ここで交代して第6戦に備えたほうがいいのか、それとも調子がいいのだから続投させたほうがいいのか......、ここがすごく悩みましたね。

真中 結果的に続投させることを決めたわけですけど、その前日の初戦でマクガフが打たれた、清水(昇)の出来があまりよくなかった。これも決断に影響したんじゃないですか?

高津 そこも考えました。前日のこともあっただけに、たとえ、ローテーションの再編成を余儀なくされたとしても、ここは勝ちきるべきだと考えました。それが、7回、8回ぐらいでしたかね。

真中 なるほどね。僕らが見ていて、高橋奎二はゾーンに入っている気がしましたね。

高津 うん、何を投げてもストライクが入るようになっちゃったし(笑)。スピードも全然落ちないし、このまま流れを変えるべきではないと考えましたね。ただ、あの試合で9回表にオスナのタイムリーで2点目が入ったんですけど、1対0のままだったら、9回はスコットに代えていたと思いますね。

真中 そこまでシミュレーションしていたんですね。

高津 9回裏は吉田正尚から始まる打順だったので、そこまで奎二に任せて、4番の杉本(裕太郎)からはスコットに継投するつもりだったけど、追加点が入ったので、奎二を最後まで投げさせました。

真中 その結果が高橋奎二のプロ初完封。そして、これが日本シリーズの流れを大きくヤクルトに引き寄せることになりましたね。

(最終回につづく)

【プロフィール】 
高津臣吾 たかつ・しんご 
1968年、広島県生まれ。広島工高、亜細亜大を卒業後、1990年ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。守護神として活躍し、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年、MLBシカゴ・ホワイトソックスへ移籍。その後、ヤクルト復帰や、韓国、台湾のプロ野球、独立リーグ・新潟アルビレックスBCを経て、2012年に現役引退。ヤクルトの一軍投手コーチや二軍監督を務めたのち、2020年から一軍監督に就任。2021年にはチームを日本一に導いた。

真中満 まなか・みつる 
1971年、栃木県生まれ。宇都宮学園、日本大を卒業後、1992年ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。2001年には打率.312でリーグ優勝、日本一に貢献した。計4回の日本一を経験し、08年に現役引退。その後、ヤクルトの一軍チーフ打撃コーチなどを経て、監督に就任。15年にはチームをリーグ優勝に導いた。現在は、野球解説者として活躍している。