BCリーグの栃木ゴールデンブレーブスは『ベースボールビレッジ』(小山市)を練習場としている。閉校となった梁小学校を改良し、児童が駆けまわった校庭は外野ノック可能なグラウンドに、学生が勉強した教室にはウエイトマシーンが並び、体育館は天井までネットで覆われた室内練習場となっている。

「気がつけば、この5年間はあっという間だったですね」

 飯原誉士(39歳)野手総合コーチはフリー練習のこの日、かつて校長室だった部屋で独立リーグでの日々について語ってくれた。

 体重は「この5年で6キロ増えてしまいました」とお腹を指して笑ったが、人間的にも厚みが増しているようにも思えた。

ヤクルト戦力外から5年。飯原誉士が独立リーグで最も驚いた選手...の画像はこちら >>

ヤクルト内山大嗣(写真左)と栃木ゴールデンブレーブス・飯原誉士コーチ

NPB復帰を目指していたが...

 2017年オフ、12年間在籍したヤクルトを退団。「プロに入るまで小山市から出たことがなかったんです」と語る、生まれ故郷を本拠地とするブレーブスに選手兼コーチとして入団。今季から野手総合コーチとして、選手の指導にあたっている。

 当初はNPB復帰を目指しての入団だった。

「いま振り返れば、『自分はまだやれる』というよりも、『現役選手でありたい』という気持ちが強かったと思います。

NPBから戦力外を受けているので、現実的には厳しいことも理解していました」

 そのなかでも「チャンスがあれば......」と、新天地でのシーズンに臨むも、序盤に2度の死球を受けてあばらを骨折。この頃から気持ちは、もうひとつの目標であった「栃木からひとりでも多くのNPB選手を」という方向にシフトチェンジしていった。

「チームが遠征から戻ってくるのを待っている時に、正直『なにをやっているんだろう』という状態になったんです。兼任コーチは自分に時間を割くことが難しく、そうなると自分のパフォーマンスが上がらない。これは仕方のないことなんですけど......」

 とはいえ、独立リーグ1年目の2018年シーズンは打率.309、5本塁打。翌シーズンも打率.360、6本塁打を記録した。

「2年目は守備にはつきませんでしたからね。DHだけの成績でNPBから声がかかるとは思わなかったです」

 独立リーグのレベルについて聞くと、「一番驚いたのは、レベルというよりも」と苦笑いを浮かべる。

「10歳以上も年齢の違う子たちが、フレンドリーに話しかけてくるんです(笑)。NPBの時とはちょっと違う感覚で、コミュニケーションをとってくれるのはうれしいのですが、そんなにグイグイ来られても......少し困惑しましたね」

NPB入りがゴールではない

 コーチとしての優先順位について聞くと、こんな答え返ってきた。

「選手たちはNPBを目指してプレーしています。一番意識するのはそこで、次にチームが勝つことだったり、地域貢献や興行ですね。技術指導はもちろんですが、準備の大切さについて、繰り返し伝えています」

 たとえば、打席に入るまでの準備についてはこうだ。

「なんとなく打席に入って、なんとなくヒットになりましたでは何も残らないよと。自分で状況を判断して、狙いを決めてスイングする。そうしたヒットなら、自分の財産じゃないですけど、次につながる。結果、失敗しても次に向けていい課題として残るよねと」

 NPB選手の練習ぶりについても伝えている。飯原コーチ自身、ヤクルト時代は早くから球場に来て、ウォーキング、ランニング、早出ティー打撃をして、試合に臨んでいた。

「去年までうちに西岡剛(元阪神/現・北九州フェニックス監督)がいましたが、朝は誰よりも早く来て、走っていました。

すると、それを見たほかの選手が真似して、朝から動くようになった。とてもいい影響ですよね。NPBを目指すなら、少なくとも彼らと同じくらいの練習をしないと追いつけませんから。

 僕自身は、自分で動かなければならないことを理解したのが年を重ねてからでした。それこそ、若い頃はコーチたちに引っぱってもらっていたんだなと。早くそのことに気づければ......とも思いましたが、もう過去の話。

その経験を踏まえて、若い子たちに伝えられたらと思っています」

 そして飯原コーチは、NPB入りがゴールではないとも言う。そこから活躍することが大事だと。

「3年目くらいの選手たちは理解しはじめている感じはありますが、それでもそれだけかかったということは、それだけ歳をとったということ。独立リーグは選手の入れ替わりが多いので、できる限り早く気づいてもらいたいと思ってやっています」

 これまでにチームからは3人のNPB選手が誕生した。

内山大嗣(ヤクルト/捕手/2018年ドラフト育成1位)
石田駿(楽天/投手/2020年ドラフト育成1位)
ダニエル・ミサキ(巨人/投手/2021年8月に育成契約)

「大嗣はここで一緒に夜間練習をしたり、結構連れまわした思い出があります。BCリーグのなかでは肩も強く、(二塁までの)送球タイムも速かったので、打てるようになればNPBから見てもらえるようになるかなと。

とにかく、一生懸命やる子でした」

 そして飯原コーチは「独立からNPBに行くには、タイミングが大きく左右すると感じています」と話す。

「どうしてもほしい存在であれば指名されるでしょうけど、ここでやっている選手のほとんどは育成指名なので......。NPBのスカウトの方と話しても、とにかく足の速い選手、長打力のある選手がほしいと。でも、そういう選手がいても、ポジションの絡みで指名されないケースもある。本当にタイミングというのがあるんだなと」

栃木球団初の支配下選手なるか

 取材を終えて部屋を出ると、校舎へ入る踊り場で投手陣がストレッチをしていた。

「ラクしてうまくなるなら、誰も苦労なんてしないよ」
「いろんな情報を入れすぎると、逆にわからなくなってくるもんなんだよ」

 そこには、若いピッチャーたちに金言を授ける成瀬善久選手兼投手総合コーチ(元ヤクルトなど/小山市出身)の姿があった。

 取材日翌日の4月26日、小山運動公園野球場でヤクルト二軍との交流戦が行なわれた。ヤクルトの内山大嗣は球場入りして、グラウンドにいる飯原の姿を見つけると、すぐに駆けていった。

「この球場で久しぶりにお会いすることができて、なんだか懐かしいなぁという感じがしました(笑)。飯原さんには全体練習が終わったあと、ビレッジに戻って夜間練習を見てもらったり、本当に面倒を見てもらいました」(内山)

 内山は栃木球団初のNPB選手で、今年で育成4年目。二軍では捕手以外のポジションもこなし、打率は3割を超えている。支配下登録選手となれば、これも球団初となる。

「自分はスローイングが持ち味なのですが、守備でもバッティングでも結果を残さないといけない立場です。どれかひとつでなく全部をアピールしていきたいです」

 打撃練習を見守る飯原コーチのもとに、福川将和バッテリーコーチ、畠山和洋打撃コーチ、中澤雅人マネージャーなど懐かしい面々が集まり笑っている。

「友だちがたくさんいた」

 ベンチに戻ってきた飯原コーチはスタッフにそう言って笑顔を見せた。

「本当に久々の再会でした。同じ指導者として、練習方法について少し聞いたくらいで、あとは普通に世間話ばかり。こんなこともあったんだよとか(笑)」

ヤクルトの選手との差

 試合は「自己アピールをテーマに、しっかり準備をして打席に入ろう」と臨むも、1対4で敗れた。

「気持ちが強く出すぎちゃいましたね。早いカウントから空振りしてもいいところで当てちゃったり。反省点はいろいろありますが、気持ちのバランスと準備力ですよね。ヤクルトの選手たちはネクストで待っている時でも、1球1球を無駄にせずタイミングをとっていました。そのあたりの準備力の差であったり、いいところは真似していこうと、試合後のミーティングで伝えました」

 そして飯原コーチは「本当にありがたい試合でした」と言って続けた。

「打てた選手もいますし、そこは自信になったんじゃないかと。やっぱり目指している場所のチームとの試合ですから。そこの収穫はありました」

 将来的に、NPBの指導者になりたいという目標はあるのだろうか。

「もちろんその気持ちはあります。日本の野球の最高峰の場所でたくさんの経験をしてみたい思いはあります。でも、今日のようにNPBのコーチと情報交換はできるし、場所は違えどやっていることは近いですし、どこでやろうが野球は野球ですから。

 家族の理解もあって、今は栃木から......このチームだけでなく高校、大学とひとりでも多くのNPB選手が出てほしいと思ってやっています。やっぱり選手たちはかわいいですから。あの子たちの親父みたいな感じですよ(笑)」

 今年からコーチ専任になったとはいえ、現役引退について聞くと「まだ発表はしてないです」と笑った。

「まだというか、野球選手としては50歳くらいまでやろうかと。選手が足りなくなったりすることもあるので、今も体は動かしています(笑)」

 ヤクルトでは、12年のキャリアで901試合に出場し、通算563安打、打率.258、49本塁打、246打点、76盗塁だった。

「若い頃、当時の監督だった古田(敦也)さんから言われたのは、『好事魔多し』といって調子のいい時にケガがあるから気をつけろよ、と。その言葉は今でも覚えています。その年、ずっと試合に出られたのは体のケアをちゃんとしていたからかもしれません。結局、僕は歳をとってからケガをして思うようなパフォーマンスができなかったのですが、プレー中のことだったので悔いはないです。これが生活のすごしかたなどが理由であれば、『あの時、ああしていれば......』と思うかもしれないですけど」

 試合終了後、飯原コーチは一塁側ベンチのヤクルトの福川コーチ、畠山コーチらに手を振って、笑顔で球場から送り出した。そして池山隆寛二軍監督には帽子をとり、深々と頭を下げたのだった。