秋山幸二、石毛宏典らの移籍から始まったダイエー再建。石毛は選手会長だった藤本博史に「試合後のミーティング」を提案した
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石毛宏典が語る黄金時代の西武(1)
秋山幸二 後編

(前編:新人・清原和博に4番を奪われた秋山幸二に「遠慮するところじゃない」>>)

 西武ライオンズの黄金時代に活躍した秋山幸二は、1993年オフに衝撃の大型トレードで福岡ダイエー(現ソフトバンク)ホークスに加入。それに続くように、翌年には石毛宏典と工藤公康もFAでダイエーに移籍した。

 1993年はリーグ最下位など、Bクラスが続いていたダイエーに、どのように"最強の西武イズム"が注入されていったのか。現ソフトバンク監督の藤本博史とのやりとり、のちにリーグ屈指の強豪になる礎が築かれるまでを石毛が語った。

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ダイエーの主力として活躍した(左から)小久保、松中、秋山

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――西武で長らく主力として活躍されたあと、秋山さんは1993年のオフに、石毛さんは1994年のオフにダイエーに移籍。再びチームメイトとなりました。

石毛宏典(以下:石毛) 私や工藤公康はFAで移籍しましたが、秋山はトレードでの移籍でした。西武からは主軸の秋山、先発ローテーションで投げていた渡辺智男、入団3年目の内山智之。ダイエーからは走・攻・守の三拍子揃った佐々木誠、エースの村田勝喜、左腕の橋本武広という3対3の大型トレードでしたね。これは当時、西武の指揮官だった森祇晶監督が考案したトレードだったんです。

――大型トレードの翌年には石毛さんと工藤さんも移籍しました。当時Bクラスに低迷していたダイエーでしたが、「勝ち方を知る西武の黄金時代メンバーがチームを変えていってほしい」という機運が高まっていたように思います。

石毛 当時は根本陸夫さんがダイエーの監督や球団専務をされている時代で、チームの再建を託された中で「根本・森」の関係でトレードを画策し、強い西武のマインドや技術などをチームに注入していこうと思ったんでしょう。そこに西武の主軸だった秋山、その翌年に私と工藤がFAで入ったわけですから、必然的に周囲は期待しますよね。

 加入からしばらくして、ダイエーの選手会長だった藤本博史(現ソフトバンク監督)から「チームを強くするために、何かを始めたいんです」と相談されたので、「西武では、試合が終わった後に反省会をやったり、野球を覚えるためのミーティングをしていたよ」と教えたんです。それで「ウチもやりましょう」となったので、「(1995年からダイエーの指揮を執っていた)王貞治監督に、ミーティングをやることを了承してもらってくれ」と藤本に言いました。そこから試合後のミーティングが始まりました。