藤田浩雅インタビュー(後編)
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1991年オフにトレードで巨人に移籍した藤田浩雅氏は、桑田真澄とバッテリーを組み「1試合16奪三振」のセ・リーグタイ記録をマーク。また1994年の中日との伝説の「10・8」も経験した。
【紅白戦のテレビ中継に唖然】
── 藤田元司監督の熱烈なラブコールもあり、91年オフに高田誠捕手との交換トレードで巨人に移籍しました。
藤田 巨人では取材陣の多さに、最初は四六時中見られているようで......パ・リーグ出身の私からしたら違和感があり疲れました。当時のパ・リーグは、公式戦でもなかなかテレビ中継がないのに、巨人はキャンプの紅白戦でテレビ中継があると聞いた時はさすがに驚きました。
── 藤田さんの"捕手論"について教えてください。
藤田 自分のなかでは、低めの捕球などキャッチングに自信がありました。ブルペンで水野雄仁の投球を受けたとき、「藤田さんがいい音を出して受けてくれるから、調子がいいのかと勘違いしちゃいますよ」と言われました。
── 桑田真澄投手とバッテリーを組んで、94年に毎回を含む1試合16奪三振のセ・リーグタイ記録を達成しました。
藤田 あの試合、レギュラー捕手だった村田真一が何かの理由で試合に出られなかったんです。桑田には初めてバッテリーを組んだオープン戦で「ストレート、カーブ、シュート、スライダー、フォークと僕はどの球でもカウントを稼ぎ、勝負できるので、リードはお任せします」と言われていました。以降、桑田が投げる試合はマスクを被りたかったのですが......(笑)。当時の捕手は大久保博元もいて、彼はよく打ちましたからね。
── 93年からは長嶋茂雄監督になります。
藤田 やはり雲の上の存在です。その後、私のコーチ時代に食事会があって、長嶋さんはてっさ(フグの刺身)を2、3枚どころか、サーッと何枚も重ねて食べたという有名なエピソードがあるのですが、私も実際に目撃しています(笑)。
── 藤田流の配球論を教えてください。
藤田 投手の持っている球種、コントロールを軸にしながら、相手打者の得手不得手を掛け合わせるリードです。もちろん、前回の同じカード、直前の試合、前の打席のデータも絡ませます。阪急時代に上田利治監督から「内角をうまく使いなさい」と口を酸っぱくして教え込まれました。
── 阪急も好投手が多かったですが、当時の巨人も斎藤雅樹投手、槙原寛己投手、桑田真澄投手の強力な「先発3本柱」がいました。
藤田 斎藤はストレートとスライダーだけで2年連続20勝、槙原はストレートとスライダー、フォークで94年に完全試合。そして先述した桑田。通算150勝以上している3人が、94年にあの中日との伝説の"10・8決戦"で継投しました。ともにペナントレース最終戦で、勝ったチームが優勝。
── 中日は150キロ近いストレートと90キロ前後のスローカーブという、緩急で勝負する今中慎二投手が先発でした。
藤田 あのスローカーブを投げ始めたきっかけは、じつは私なんです。彼の著書に<92年、藤田浩雅選手の打った投手ゴロで左手首を骨折。リハビリ中、投げて痛くないのはスローカーブだけで、まさにケガの功名だった>というようなことが書かれていました。
【父親代わりとして若手の生活を指導】
── 96年に現役引退後、コーチを計7年間務めました。
藤田 07年に育成担当コーチと副寮長を兼務したんです。1週間のうち、宿直で2連泊あるのですが、夜間練習もあって、体力的にさすがにきつかったですね。プロ野球界は、基本的に月曜日が休日なのですが、疲れて外出できなかったです。
── 寮長も計7年間務めています。
藤田 簡単に言えば、宿直業務、寮内の設備の管理、選手の健康管理です。
── かつて、球団代表から「君がルールだから」と、絶大な信頼を寄せられたと聞きます。寮といえば、気になるのは門限破りです。その昔、堀内恒夫さんの指導など、武宮敏明寮長の厳しかった話は伝説として聞きます。
藤田 私は「門限繰り上げ」「夕食の義務化」「選手の自室禁煙」にしました。若手選手にとって体をつくるのも仕事のうちですから。昨年12月に新しい寮ができて、ひと昔前のようにファンが寮の周囲を取り囲むなど今は昔で、そんな光景はもうありません。
── では、選手の武勇伝とか、寮長の"教育的指導"などはないのですね。
藤田 名前は出せませんが、寮規を破った選手はいました。こちらとしてもっとも怖いのは、事件や事故に巻き込まれて野球ができなくなることです。だから「ここでは、オレはおまえの父親代わりなんだ」と毅然とした態度で対応しました。
── 藤田さんは、昨年で寮長を退任されたと聞きました。
藤田 寮長や副寮長という肩書や名称が、今年からなくなっただけです。これまでの寮長的な存在は、熊本工高出身で活躍した井上真二がチーフとしてやっています。私は副寮長的な立場で、これまでと変わらずに、選手が一人前、一流になるための後押しをしていきたいと思っています。これからも巨人を応援してください。
藤田浩雅(ふじた・ひろまさ)/1961年10月3日、静岡県生まれ。御殿場西高から関東自動車に進み、82年のドラフトで阪急(現・オリックス)から3位で指名され入団。2年目の84年に打率.284、22本塁打、69打点の成績を挙げ新人王に輝く。阪急の正捕手として活躍し、抑えのアニマル・レスリーから勝利のあとパンチを食らうことが頻繁にあった。88年には史上8人目となる代打逆転満塁サヨナラ本塁打を記録。92年に巨人に移籍し、96年に現役を引退した。