学法石川(福島)にとって33年ぶりとなるセンバツを間近に控えていた今年2月。大栄利哉の視界は真っ暗になっていた。
その日は風が強かった。ロードバイクに乗っていた大栄は、体や車体を煽られまいと慎重にペダルを漕いでいたが、気まぐれすぎる突風によって転倒し、左足に激痛が走った。
靭帯の損傷および一部断裂、さらに腓骨骨折。診断結果からもわかるように、大ケガだった。
「なんで、こんな目に遭わないといけないんだよ」
瞬時に絶望がよぎった。
【2年生ながらチームの大黒柱】
大栄は2年生でありながらキャッチャーのレギュラーで、4番バッターでもある。そして、背番号「2」を背負いマウンドにも立つ。チームの大黒柱としてセンバツでも躍動が注目されていただけに、学法石川にとっても大打撃となった。
その素質は、仙台育英(宮城)の監督時代に2度の甲子園準優勝の実績を誇る佐々木順一朗も認めるほどで、大栄にピッチャーを兼務させたのも監督のこんなひと言からだった。
「少年野球を始めた時みたいにさ、野球を楽しんだらいいじゃない」
昨年の夏、新チームが始動するタイミングでピッチャーを兼務させたことについて、佐々木はこのように意図を語る。
「どこでも守れる子なんです。ファーストもサードも守れますし、キャッチャーをやると守りを引き締めてくれる選手なんで『ピッチャーをやらせたら面白いだろうな』と」
もちろん、そこには技術的な資質も含まれていた。遠投は110メートル。
元来、前向きな性格である大栄にとって、それは願ってもいないチャンスだった。
「正直、ピッチャーをやりたい気持ちは前からあったんですけど、キャッチャーも楽しかったんで、いいかなと思っていて。監督さんからそう提案いただいたときに、今まで以上に野球をすることが楽しみになりました」
それまでキャッチャーひと筋だったのは、6歳上の兄・陽斗の影響が大きい。
佐々木が仙台育英の監督を退任する2017年に指導を受け、18年と19年に甲子園のマウンドに立っている兄と、上のステージでバッテリーを組むことを目標としていた。ピッチャーに挑戦することを伝えた際にも、「おまえはいつか俺とバッテリーを組むんだから、キャッチャーのままでいいよ」と言われたという。それでも「決めたからにはやりたい」と伝えると、「じゃあ、頑張って腕を振れ!」と後押ししてくれたのだという。
昨秋、大栄は兄の激励に従い、目一杯、腕を振った。公式戦初登板となった県大会準決勝の聖光学院戦で2イニングを投げ、1奪三振、ノーヒットと上々のデビューを飾る。そして、翌日の東日大昌平との3位決定戦では先発し、7回途中2失点と好投。チームの東北大会出場に貢献したのである。
【センバツでの1打席】
東北大会で背番号2のピッチャー・大栄は、ますます強烈な印象を与えていく。盛岡中央(岩手)との初戦は救援登板、聖和学園(宮城)との2回戦は先発し、ピッチャー→ファースト→ピッチャーと立ち回った。
ピッチャーを本格的に始めてから3カ月。まだ急造の域から脱しきれておらず、なによりこの段階での大栄は最速143キロとスライダーしか持ち球がなかった。にもかかわらず、これだけのパフォーマンスを発揮できたひとつの要因として、大栄はキャッチャー目線の投球を挙げている。
「プレーヤーとしては『キャッチャーとしての自分が一番』と思っていたので、実際に自分が投げるようになるまではピッチャーの気持ちがわからなくて......。それが、『きつい場面では、初球から厳しいボールを投げるのは不安だな』とか『早めに追い込んでも無理に三振を狙うんじゃなくて、変化球で打ち取る省エネの方法もあるんだな』とか、キャッチャー目線だけじゃなく、客観的にピッチャーの心理を見られるようになったことが大きかったです」
昨年秋の大栄は、4番バッターとして全12試合に出場し打率.435。キャッチャーとしては6人のピッチャーを牽引した。特筆すべきはピッチャーの成績で、チームトップとなる5試合29イニングを投げて防御率0.93と突出した数字を残した。
キャッチャー兼ピッチャー、そして4番バッター。かくして大栄は、"三刀流"として全国区に名乗りを上げたのである。
「ピッチャーを始めたばかりで怖いもの知らずでしたけど、だんだん怖さが生じていると思うんですね。そこを乗り越えるためには、常時138キロくらいにスピードを上げるとか、全体的に質を上げないと」
秋の飛躍を踏まえ、佐々木はこのように注文をつけていた。
バッティングは、確実性を高めるためにスイング量を増やす。守備では、東北大会で浮き彫りとなった課題である、キャッチングとブロッキングの精度を高めた。急成長を遂げるピッチャーとしては、9回を投げ切るための体力を養い、カットボールにスプリットと新たな変化球をマスターすることもできた。
それだけに、2月の強風によって引き起こされた悲劇が悔やまれてならない。
なんで、俺が──。
たしかに、そうよぎったことは事実だ。しかし、大栄は「最初はそんな気持ちになったんですけど、落ち込まずにすみました」と語る。
背景にあったのは、チームの中心メンバーである、上級生の岸波璃空と福尾遥真の存在だった。静養のためひとり部屋に移されていた大栄のもとへ、ふたりが毎日のように顔を出しては「腐らずに頑張れ」と、前向きな言葉を贈り続けてくれていたのだという。
大栄はリハビリに専念し、そして「出場は難しい」とされていたセンバツの舞台に立つことができた。
健大高崎(群馬)との初戦。
「本当にすばらしい球場で、ずっとプレーしていたいなって思わせてくれました。夏は先輩たちと戻ってきて、今度はちゃんとした形でプレーしたいです」
【チームのいい見本になる選手】
センバツ後の4月から下半身の練習メニューを少しずつ増やしていった。細くなった左足の筋肉を増やすため、坂道ダッシュなどのアジリティを高めていき、5月上旬にはすべてのプレーにおいてトップフォームまで状態を取り戻すことができたのだという。
万全を期して臨んだ春の県大会。学法石川の主戦を託されていたのは、背番号2だった。
先発した初戦の会津工戦で2回をパーフェクトに抑えて復活をアピールすると、つづく東日大昌平戦では2失点の完投劇を演じた。だが、昨秋から佐々木が懸念していた「怖さを知ること」。それが現実のものとなったのが、準決勝の聖光学院戦だった。
先発したこの試合、バッテリーエラーなどミスが重なったとはいえ、6回を投げ7安打4四球。自責点は3ながら6失点と、相手に飲み込まれる大栄の姿があった。
昨夏の県大会決勝が蘇る。タイブレークとなった延長10回裏に4点差を逆転されるなど、王者の力をまざまざと見せつけられた。
「力の差を感じました。相手の全員で束になって向かってくる姿勢もそうですし、一人ひとりの気迫も怖く感じました」
言葉だけを捉えれば、感情はネガティブだ。しかし、大栄はうつむくことなくひと言、ひと言を強く結んでいた。
「自分たちの弱さが出たと思って、夏はチームとして心をひとつに戦っていきたいです」
その佇まいは、恐怖心すらプラスに転換しているようでもあった。
「大栄は物怖じしませんから。努力家ですし、チームのいい見本になる選手なので」
監督も認める2年生の中心選手。センバツの苦難を経て復活した男が3本の刀を研ぐ。一段と切れ味が増した武器を携え、自ら誓った場所へ舞い戻る。
(文中敬称略)