今中慎二が語る名打者たちとの対戦 前編
かつて中日のエースとして活躍し、1993年には沢村賞も受賞した今中慎二氏は、現役時代に数多くの名打者たちと名勝負を繰り広げてきた。そのなかでも印象的だった対戦を振り返る前編では、オリックス時代のイチロー氏、巨人にFA移籍して1年目の落合博満氏について語った。
【カーブに体勢を崩しても「あそこまで飛ばすのか」】
――今中さんは1995年のオールスターゲーム第1戦で、セ・リーグの2番手として登板。パ・リーグの1番打者のイチローさん(当時オリックス)と対戦していますが、印象はいかがでしたか?
今中慎二(以下:今中) オールスターなので、打たれる、抑えるとかにはそれほどこだわっていませんでした。イチローとの対戦を楽しみにする気持ちがあったとは思うんですが、「真っすぐで抑えたる」といった心境ではなかった気がします。カーブを投げているので、おそらく通常の試合と同じ気持ちで投げていたんだろうと。もしいつもより意気込んでいたら、カーブは投げませんから。
――1球目にスローカーブを投げましたが、イチローさんはその軌道に驚いたのか、ボールを避けるようにしてしゃがんでいました。
今中 今みたいに交流戦もない時代でしたし、対戦するとしてもオープン戦ぐらいなので、「どんなボールを投げるんだろう」という感じだったんじゃないですか。セ・リーグの左打者たちは自分のカーブの軌道に慣れていたのか、そういう反応はあまりしなかったですから。今みたいにデータの精度が高いわけではなかった時代でしたしね。
――実際に対戦してみて、イチローさんのスイングなどはいかがでしたか? 当時のイチローさんは"振り子打法"で、体の重心を大きく移動させていました。
今中 ずっと足を上げていましたよね。最後も、球種はカーブだったと記憶しているんですが、イチローは腰砕けのような体勢でバットを振って、センターフライだったと思います。ボールを避けながらバットを振っていたのですが、「よく当てたな」と思いましたよ。
――イチローさんはギリギリまで引きつけてスイングするため、「バットがいきなり出てくるように見える」と話す投手もいますね。
今中 まさにそんな感じでしたね。あのセンターフライもそんな感じでした。「ボールを避けるのかな?」と思ったら、いきなりバットが出てきたんです。それもセンターまで飛ばしている。振り出しが遅いのでファウルになるならわかるのですが、センターに、しかもあそこまで飛ぶんだ、と思いました。とにかくスイングスピードが速くて、当てるのがうまかった印象ですね。
――オールスターでの対戦でしたが、「真剣勝負の場面でも対戦したい」と思いましたか?
今中 当時は交流戦がなかったですし、そこまでは考えませんでしたけど、同じリーグで対戦する機会が頻繁にあったら大変なことですよね。当時のセ・リーグには打率.380打つような打者はいなかったので(イチロー氏は1994年に.385、2000年に.387をマーク)。たまに対戦する分にはいいんでしょうけど。
――オールスターでイチローさんと話をする機会はありましたか?
今中 1995年はなかったですが、その前の年にナゴヤ球場で行なわれたオールスターではサインを求められましたよ。イチローは初めてのオールスターだったんですが、「この(中日の)帽子に憧れていました」と言いながら、テレビのインタビューを受けていた僕のところに来たんです。
まぁ、テレビ向けのイチローのファンサービスだったんじゃないですか(笑)。その後は普通に話したような記憶があります。オールスターや、夜に食事に行った時にたまたま会ったことはありますが、じっくり話すことはあまりなかったですね。今は侍ジャパンでチームメイトになったり、交流戦があったり、自主トレを一緒にやったりしますが、当時はそういう接点がなかったですから。
【「10.8決戦」など大事な場面で打たれた落合】
――同じく天才打者と称される、落合博満さんとの対戦についてもお聞きします。「10.8決戦」(※)の時は落合さんを抑えることを強く意識されていたそうですが、シーズン中の対戦でも常に意識する存在でしたか?
(※)1994年10月8日にナゴヤ球場で行なわれた中日vs巨人。両チームの最終戦時の勝率が同率首位で並び、勝利したチームがリーグ優勝という大一番だった。
今中 その年は、落合さんが FAで中日から巨人へ移籍した1年目でしたし、対戦の時は意識せざるをえませんでした。ただ1994年に関しては、「10.8決戦」を迎えるまではあまり打たれていた印象はありません。大事な場面でも、そんなに打たれていないはずなので。
――「10.8決戦」では、落合さんに先制のソロ本塁打や勝ち越しのタイムリーを打たれましたが、それまで抑えていたピッチングと攻め方を変えたんですか?
今中 意識して攻め方を変えた、というわけではなかったですね。
――勝負で白黒をつけたいという意識は、すべての打者に対して持つものなんですか?
今中 特定の打者に対して、です。ただ、どんな状況でも勝負しにいくわけではなく、点差など試合展開にもよりますけどね。昔であれば、長嶋茂雄さんや王貞治さんにはどのピッチャーも「勝負したい」という意識が強かったと思いますし、ピッチャーの本能みたいなものは昔も今も同じなんじゃないかと。
――落合さんのバッティングの印象はいかがですか?
今中 スイングスピードが特に速いわけではなく、タイミングのとり方にも特徴があるわけではないのですが、"いらっしゃい"と待ち構えられている感じなんです。こちらが落合さんの間合いに入っていってしまうような感覚。そうならないように投げたいのですが、たぶん徐々にハマっていってしまうんでしょうね。
――落合さんに苦手意識はありましたか?
今中 キャリア通算の対戦成績はわからないのですが、"やられている"と思います。それは被打率が高いという話ではなく、大事な場面でどれだけやられたか、ということ。どうでもいい場面で打たれる分にはいいのですが、「10.8決戦」のような場面でどれだけ打たれたか。1994年も、「10.8決戦」までにどれだけ抑えていても、リーグ優勝が決まる試合で打たれたら元も子もないです。
苦手意識がある打者には、あえてフォアボールを出すこともありました。やはり大事な場面で打たれるか打たれないかは、勝敗に直結するので。逆に4割打たれていようが、大事な場面で抑えられる打者はそれでいいと思っていました。
――ちなみに以前のインタビューで、落合さんがFAで巨人に移籍する前に「対戦する時はカーブを狙う」と言われたと話していましたね。
今中 そうですね。それとプロ入り2年目の時、一軍キャンプのシートバッティングで「カーブを投げてくれ。ライト前に打つから」と言われたことがあったのですが、そのとおりに簡単にライト前ヒットを打つんです。そのイメージも残っていましたし、やっぱり落合さんみたいな人に言われると頭にずっと残っちゃうんですよ。
――カーブは投げづらかったですか?
今中 ヒットを打たれてもいい状況であれば、まったく気にせずにカーブも投げていました。ただ、大事な場面ではやっぱり投げづらかったです。それが「10.8決戦」でも出たのかはわかりませんし、自分との戦いでもあるんですが......落合さんとの対戦はそういった心理戦も含めて印象に残っています。
――ほかに印象に残っている打者はいますか?
今中 元広島の前田智徳ですね。
――イチローさん、落合さんが「天才」と評した前田さんですか! 後編でゆっくり伺えたらと思います。
今中 わかりました。
(後編:天才たちが認める天才・前田智徳のバッティングとは 「ほかの打者と対峙している時にはない感覚」>>)
【プロフィール】
◆今中慎二(いまなか・しんじ)
1971年3月6日大阪府生まれ。左投左打。1989年、大阪桐蔭高校からドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。2年目から二桁勝利を挙げ、1993年には沢村賞、最多賞(17勝)、最多奪三振賞(247個)、ゴールデングラブ賞、ベストナインと、投手タイトルを独占した。また、同年からは4年連続で開幕投手を務める。2001年シーズン終了後、現役引退を決意。現在はプロ野球解説者などで活躍中。