連載 怪物・江川卓伝~稀代のスイッチヒッターが語る体験記(後編)
江川卓とのトレードで阪神に移籍した小林繁と並び、球界きってのイケメンとして名を馳せた高橋慶彦。盗塁王を3度獲得し、通算盗塁数も歴代5位の477個。
【手抜きではなく技術】
そんな高橋に江川がマウンドに立っている時、盗塁しやすかったのかどうか尋ねてみると、ほくそ笑みながら答えてくれた。
「やりづらいピッチャーじゃないよね。江川さんと対談したことがあるけど、ランナーを気にすること自体『面倒くさい』と言っていたから。サードに牽制のサインを出してくれてと頼んでいたって。要は、ランナーを見てないわけ。やっぱり怪物よね。
走られることが嫌なピッチャーもいるなかで、江川さんは『点さえ取られなければいい』という考えだったから。セカンドにランナーが行くと、そこから全力で投げるから球の伸びがまったく違う。そのシーンは何度も塁上で見ているから、『それまでは手抜きだったんですか?』って聞いたことがあるの。すると江川さんは『いや、あれは手抜きじゃなくて技術で抑えている』って(笑)」
つかみどころのなさは江川のよさでもあるが、ある意味、本音なのではないか。
現役時代、ホームランを打たれるたびに「手抜き」と散々言われていたが、常に完投を考えてマウンドに上がるため、ペース配分している段階で打たれてしまうという、江川なりの言い分があった。
理にかなっている論調に聞こえるが、ほかの投手に言わせれば、打者が投手以外はすべて集中して投げていると。
【江川卓と小松辰雄】
江川のすごさを解明しようとすると、まずは比較論になる。スピードだけに特化すると、同時期に活躍した「150キロの申し子」小松辰雄(元中日)の名前が上がる。高橋にも小松について聞くと、独特の表現で答えてくれた。
「江川さんとは球質がまったく違うけど、小松も速かった。江川さんのボールは低めにこないけど、小松は低めが速い。小松はどちらかと言えば、ゴムを目一杯に引っ張ってガシャンっていう球。江川さんはゴムをググッと引っ張って、しなるようにグワンっていう感じ。それに小松は小柄で、テイクバックを大きくとって投げていたけど、江川さんは小さいテイクバックからグワッーって投げる。
178センチの体を目いっぱい使って投げる小松と、大きな体のパワーを少ない運動量でうまく腕に伝えて投げる江川。その差が、球質の違いを生み出していたのかもしれない。
「昔は面白いピッチャーがいっぱいいたよ。堀内恒夫さん、平松政次さん、米田哲也さんとも対戦したし、ヤクルトの松岡弘さんの真っすぐはえぐかった。それに84年の日本シリーズは西武が全盛期の頃で、渡辺久信、工藤公康、郭泰源もいた。90年にロッテに行った時は、ちょうど西武に潮崎哲也が入ってきて、あのシンカーはすごかった。ホームベース手前に透明のボードがあって、そこにコンと当たっているんじゃないかと思うほど、落ち方が独特だった。近鉄にも野茂英雄がいて、阿波野秀幸もよかった。阿波野の新人の時にオープン戦で対戦したんだけど、10勝すると思った。ボールのキレがすばらしかった。あと村田兆治さんのフォークもすごかったよ。(ボードゲームの)野球盤のように、ストンと落ちて消えたからね」
昭和のレジェンドから、80年代の西武黄金期を中心としたパ・リーグの名投手たちまで対戦してきた高橋。
「さすがにど真ん中のストレートは予測してないよね。あの頃のエースって、今のピッチャーと感覚が違うよね。広島で晩年の江夏豊さんと一緒にやったけど、球持ちがよくて、右打者のアウトローなんて糸を引いていたから。今のピッチャーには見られない軌道。村田兆治さんや鈴木啓示さん(元近鉄)もそうだったけど、昔の人って体全体を使ってコントロールをつけようって感じがあったけど、今はそんなことを意識しているピッチャーはいないんじゃないかな。怖さがないっていうか......でも、ボールはえげつない。松坂大輔(元西武ほか)もダルビッシュ有(パドレス)もマー君(田中将大/楽天)も、すごいボールを投げていた。それだけ進化しているんだろうけど、なんか違うよね」
【見た目も怪物だった】
92年の現役引退後、2016年までの間にダイエー(現・ソフトバンク)、ロッテ、オリックスでコーチ、二軍監督などを歴任し、選手の気質が変わってきていることは肌で感じていた。それでも高橋にとって江川は、特別で唯一無二の存在である。
「やっぱり江川さんって何かあるよね。大学時代もすごかったっていうもんね。
続けて、高橋はこう力説する。
「何度も言うけど、江川さんは見た目も怪物。よくピッチャーは『ああいうケツがなきゃダメだ』って言われていたよ。昔の人はケツの大きい人がいっぱいいたけど、江川さんは特別でかい。今でも雰囲気がある。なんやろう......色気っていうのかな。とにかくカッコいい。
若松勉さんも掛布雅之さんも色気があって、カッコよかった。ただ打つからではなく、カッコいいのよ。
多様化している社会なのに、プロ野球界は個性が埋没している気がしてならない。もちろんコンプライアンスなど、選手にとっても個性を生かしづらい環境であるのは間違いないが、それにしてもいい意味で"破天荒"な選手は減ったと言わざるを得ない。
「規則は破るためにあるものだ」
昔のアスリートはよく口にしていたが、別に規則を破ってまで破天荒になれと言っているのではない。ただ、プロフェッショナルである以上、魅せることも考えてプレーするのは重要なファクターだ。それをどう時代に合わせて表現していくのかである。
「オレは違うところで色気があったから(笑)。とにかく江川さんは、色気のある怪物だった」
最後は高橋ならではの表現で、江川の特別ぶりを語ってくれた。
(文中敬称略)
江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。