連載 怪物・江川卓伝~攻略法を見つけた谷沢健一の執念(前編)
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元中日の主砲・谷沢健一が江川卓から放ったホームラン。それはただのホームランではなかった。
プロでの江川の全盛期は20勝した1981年と言われているが、82年シーズンも好調を維持し、6月27日の時点で10勝を挙げるなど、2年連続の20勝は間違いないと見られていた。このホームランは、82年シーズン序盤のものであり、谷沢自身も「よく覚えている」と語り、解説してもらった。
【全盛期の江川卓からホームラン】
1982年4月22日、平和台球場での中日対巨人戦。1対0と巨人リードで迎えた8回表、中日の攻撃で5番・谷沢を迎える場面だ。
<怪物・江川卓対不死鳥・谷沢健一>
"昭和の名勝負"と言われた江川と掛布の戦いは、小細工なしの力と力のぶつかり合いだった。一方、江川と谷沢の勝負は、技術が最高潮に達した者同士の意地のぶつかり合いのように見えた。
谷沢のバッティングフォームは、なんとも言えない美しさがある。バットをピッチャー寄りに寝かせて微動だにせず、始動する際に少しだけヒッチし、足も上げずにレベルスイングでボールを捉える。
好打者だからすばらしいフォームなのか、すばらしいフォームだから好打者なのかはわからない。いずれにしても、メジャーのホームランバッターのような構えから、フォロースルーまで理に適ったフォームから完璧とも言えるスイングで、全盛期の江川が投じた高めのストレートをホームランにしたところが、谷沢の一流打者としての証だ。
この時点で中日は4勝6敗2分の5位。まだ4月ということもあり、一喜一憂するには早いが、開幕ダッシュに失敗したことだけは事実だった。
江川は前年、20勝6敗で史上6人目の投手五冠を達成するなど、まさに絶頂期だった。当時解説者だった400勝投手の金田正一が、「江川の天下が、最低でも5年は続く」と断言するほど、打者を圧倒していた。
この試合の江川は、前年の好調さを維持し、万全の状態だった。とくに江川にとって、中日は"お得意さん"である。
【意地と意地の真剣勝負】
マウンドの江川は余裕しゃくしゃくといった佇まいで、ただでさえ大きな体がより大きく感じる。
江川は捕手のサインを見る際、両足を揃え、膝を少し曲げ、両膝の上に両手を置き前屈みになってのぞき込む。テレビ画面には、江川の大きなお尻が突き出るように映る。足腰を鍛えれば鍛えるほど腰回りが大きくなり、この下半身の大きさこそがパワーの源となっているのだ。
サインが決まると、体を起こして左足を引き、両手を抱えて真上に上げてから少し後頭部方向に曲げて間を置くワインドアップが、なぜかふてぶてしく見える。そこから反動をつけて振り上げた左足を顔の位置まで高らかに上げ、一瞬だけ膝を伸ばし、軸足を少しヒールアップするポストポジション(軸足だけで立ったときの姿勢)。このダイナミックな姿こそ、江川卓の真骨頂である。
そこから体重移動とともにキャッチャー方向につま先が着地する間、ほとんど力感のない右腕は小さめなテイクバックから鞭のようにしなりながら縦に円運動し、つま先が着地すると右ヒジを支点にした右腕はしなやかに伸び切り、スナップを効かせたボールが「パチンッ!」と放たれる。
弾道はライフルのように鋭く、正確無比なコントロールなうえ、大砲のような威力を持つ真ん中高めのストレートが唸りを上げる。
「ズバーン」と引き裂かれるようなミット音と、「ブルン」と砂埃が舞い散るほどのフルスイング音が共鳴したようだった。
空振りで1ストライク。ボールはバットのはるか上を通過し、見送ればボール。それだけボールが伸びている証拠だ。あまりに力感がなく、ゆったりしたフォームから繰り出されるボールの威力とのギャップが激しすぎる。
江川の高めのストレートは、物理の法則を無視したホップするボールとも言われ、誰もまともに打ったことがない。この当時もスピードガンはあったが、今と比べるとかなり性能が悪く、今だったら160キロ近くは出ていたと言われている。
「オレの高めの球は打てないって」と深奥でつぶやくかのように、江川は当然といった表情でキャッチャーからの返球を受けとった。
【4球続けて高めのストレート】
2球目、いつものようにゆったりしたモーションから、軽々と投げ込んだ。真ん中高めギリギリのストレートが「ギュイーン」と加速してくる。その球に谷沢が反応すると、その刹那「ガシャ!」という音とともに、ボールはバックネットに当たりファウル。
「当てた⁉︎」といった具合に、江川はほんの少しだけ顔を崩した。
谷沢はすぐさまバッターボックスを外し、バットを体の手前で小さく振り、左腕を軽く回しながら、再びバッターボックスに入った。しかし、右手でストップとかざしながらバッターボックスをすぐさま外し、バッティンググローブをはめ直した。
「次はカーブか......⁉︎」
ここまでストレートが2球続き、江川の切れ味鋭いカーブがそろそろ来るだろうと予測してもいいタイミングだが、谷沢にとってカーブなどなかった。
第1打席で真っすぐを引っ張り、ライト前にヒットを放ている。タイミングは合っていた。谷沢は自分に言い聞かせるように「真っすぐだ」と、心の中で反芻した。江川の早いテンポに合わせてしまうと術中にはまってしまう。だから谷沢は、自分のペースを保ちながらバッターボックスに入り直したのだ。
2ストライクからの3球目も、ややインコース寄りの高めのストレート。谷沢は渾身のフルスイングをするも、球審の腕あたりに当たるファウル。
「よし、タイミングは合っている」
ここまで遊び球なしのストレート3球。マウンド上の江川を見る限り、真剣勝負を挑んでいるのがわかる。
谷沢は静かに燃えていた。江川の顔を凝視するがごとく睨みつけている。
そして4球目、ワインドアップから投じられた豪速球がまたしても高めに入った。
「カキーン!」
寸分狂わぬシャープなスイングから放たれた打球は、ライトスタンドに突き刺さった。
谷沢は喜びを隠しきれない様子で、ダイヤモンドを回った。ホームランを打てたことはもちろんだが、あの江川がカーブなしの4球連続して高めのストレートで勝負し、それに打ち勝ったことがなによりうれしかった。
全盛期の江川のインハイのストレートをホームランにしたのは、掛布と谷沢だけ。奇しくも、ふたりとも習志野高OBである。
江川は下位打線によく打たれていた。それを「手抜き」と、よくマスコミに叩かれた。しかし、対戦相手の一番いいバッターには力のこもった球を投げていた。
超一流は、超一流を知る。谷沢も小細工なしでのフルスイングで面白いぐらい空振り三振を食らった。敵味方関係なく、これぞ最高峰の勝負だ。この時、谷沢はまだ確固たる江川攻略法を見つけていない。ただあとになって考えれば、この打席こそ、谷沢が発案した江川攻略法を存分に駆使した打席だったというのがわかるのだった。
(文中敬称略)
つづく>>
江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。