福田秀平インタビュー(前編)

 日本シリーズは横浜DeNAベイスターズの"下剋上"で幕を下ろし、プロ野球はシーズンオフに突入した。日本シリーズ直前に行なわれたドラフト会議では多くの若者が指名を受けたが、その一方で何人かの選手が戦力外通告を受けた。

 そんな選手たちが新天地を求めて自らをアピールする場が、12球団合同トライアウトだ。今年は11月14日にZOZOマリンスタジアムで行なわれる。

 だが今年8月、NPBは「一定の役割を終えた」として、トライアウトを今回限りで廃止する方向であることが報じられた。

 たしかに、トライアウトを経て再びNPBに復帰するのは、過去の合格人数を見てもそのハードルは高いと言わざるを得ない。NPBや一部のファンからは"形骸化"を指摘されているトライアウトだが、選手目線ではどうなのだろうか。

 2023年にトライアウトに参加し、くふうハヤテベンチャーズ静岡(以下、くふうハヤテ)に入団して今シーズン限りで現役引退した福田秀平に、自身のトライアウト挑戦を振り返ってもらうとともに、その意義について尋ねてみた。

福田秀平が語るトライアウトの意義 「区切りをつけるという意味...の画像はこちら >>

【トライアウトに参加した理由】

「正直(トライアウトは)受けたくなかったですよ」

 福田にトライアウトに挑戦した理由を尋ねると、第一声はそれだった。

 23年のトライアウトは、福田のほかにも阪神で新人王を獲得した高山俊、広島のリーグ3連覇に貢献した薮田和樹らが参加していたが、彼らのように一軍での実績がある選手はトライアウトを敬遠しがちだ。心情面では、福田も例外ではなかった。

「けっこうみんな言うんですけど、やっぱり嫌なんですよね。特に一軍でずっとやってきた人は、『受ける前に決まっているでしょ』という風潮があるし、『見せものじゃねえし』っていう話も聞きます」

 だが、福田はトライアウトを受けた。しかも挑戦を決めたのは、ロッテから戦力外通告を受けてから「わりとすぐ」だったという。

「僕は肩の問題でずっと苦しんできましたけど、(ロッテ在籍中の)最後のほうは投げることもバットを振ることもできるようになってきて、その姿を家族にもお世話になった人にも見せないといけないなと。

そして(野球を)やるって決めたのなら、やっている姿を見せないとどこも興味を持ってくれないと思いました」

 福田はロッテ移籍初年度の2020年6月、死球により右肩甲骨を骨折した。ケガが治りきらないままプレーしたことで肩の痛みは悪化し、結果的にはロッテ在籍の4年でわずか89試合の出場にとどまり、54安打5本塁打6盗塁と寂しい結果に終わった。

 だが回復の兆しが見えたことで、「もう1回勝負したい」という思いが芽生え、トライアウト参加を決意した。

 心のなかでは「これが最後かも......」という思いはあった。それでもトライアウトまでの約1カ月間は、同じく戦力外になった谷川唯人や西川僚祐らとロッテの施設を借りて練習を重ねた。また、ソフトバンク時代の先輩だった川﨑宗則とも自主トレを行ない、「もう大丈夫やん、肩」という後押しもあった。

 そして迎えたトライアウト当日、福田はライトフェンスを直撃する二塁打を放つ。トライアウト直後は「1本打ててホッとした」と口にしていたが、じつは別の感情もあったことを明かした。

「あっ、(スタンドに)入らないんだと(苦笑)。やっぱり、相当パフォーマンスが落ちているのを実感しました。自分ではいいパフォーマンができると思い描いているし、ずっと追い求めているんですけど......したくてもできない歯痒さをずっと抱えていました。『しょぼいな、オレ』みたいな感じでしたね」

 それでも一軍の実績があり、トライアウトでも1安打、2四球と気を吐いた福田のもとには、複数のオファーが届いた。

 熟考の末、2024年度からウエスタンリーグへの参戦が決まっていたくふうハヤテへの入団を決めた。最後は社会人野球との二択で悩んだというが、「ゼロから立ち上げるチームの1年目に携われるって、こんな機会は二度とない」という思いが決め手となった。

【一般企業からもオファー】

 当初はトライアウト参加にうしろ向きだった福田だが、現役を退いた今は「受けてよかったなって、本当に心から思っています」と語る。

「NPB以外の球団からのオファーは(トライアウトの前から)あったんですけど、受けてからのほうが断然多かったですね。くふうハヤテにも『トライアウトでの姿を見て』というふうに言われましたし......」

 トライアウト前後で、オファーの数に違いが表われる。福田のように一軍での実績がある選手であっても、実際にグラウンドに立つかどうかで、選択肢の数に影響を与えるということだ。さらに、それだけではなかった。

「一般企業からもオファーをいただいたんです。『ベンチでずっと声を出していた』とか、『打席に入るまでベンチ前でアップしていた』とか言っていただいて、『そういう姿が後輩の見本になるから、オファーさせていただいた』と。トライアウトは、プレー以外の姿を見せる場所でもあると思います」

 NPBのスカウトなら、普段からファームの試合をチェックしており、プレー以外の部分である人間性などもある程度はわかっているはずだ。だが、NPB以外の球団や一般企業となればそうはいかない。逆に言えば、トライアウトはテレビでは伝わらない部分をアピールできる場でもある。

 福田はそれを実感しているからこそ、トライアウト廃止の報道について、こんなことを口にした。

「正直、NPBはトライアウトの1回じゃ(獲得を)決めないでしょうし、廃止は選手がコントロールできる部分ではないんですけど......。ただ、独立リーグとか社会人の選択肢をどうするのかなという興味はあります。それぞれ球団やチームでトライアウトや入団テストをやるのか、それとも過去の実績やイメージだけでオファーするのか、とか。

 独立リーグや社会人のチームは、トライアウトを見たいんじゃないかなって、個人的には思っています。今の時代、野球に携わるってNPB以外にもいろんな形があると思うんですよね。(独立リーグや社会人は)野球をあきらめる場所にもなり得るし、いろいろ決断できる場所でもあります」

 福田が言うように野球界の裾野は広い。国内野球の最高峰がNPBであるということは言うまでもないが、「野球を続ける」ことを第一に考えるなら選択肢は広がる。福田のようにボロボロになるまで野球を続けたいと願う選手にとって、独立リーグや社会人野球、海外リーグは重要な受け皿である。

【トライアウトは出会いの場でもある】

 一方で受け入れる側にとっても、NPBでプレーしてきた選手は大きな影響を与えるため、ニーズが尽きることはない。

 トライアウトがなくなるということは、そんな選手とチームの接点が小さくなるということである。

 福田のもとには、今年戦力外を受けた選手から多くの相談が寄せられているという。そんな選手たちに福田は「受けてみな」と背中を押している。

「新たな発見があるし、もしかしたら今まで応援してくれた人に見せる最後のユニフォーム姿になるかもしれない。なにより、自分に区切りをつけるという意味でも、オレは本当に受けてよかったと思う。だから、『もし悩んでいるなら受けてみな』って言うようにしています。どんな選択をするにしても、その1日は決断するのに大きなポイントになるので。後悔なくやりきってほしいなっていう思いはありますね」

 トライアウトとは区切りの場であるとともに、出会いの場でもある。その出会いというものは、NPBに限ったことでも、野球に限ったことでもない。

 福田はくふうハヤテを退団した今でも、都内と静岡の両方に家を持っている。

「静岡に行って、この1年すごくいい出会いがありましたし、せっかくご縁をいただいたので、僕ができることをやっていけたらいいなと思っています」

 福田にとって、静岡はつい1年前までまったく縁がなかった地だ。だが福田は、第二の人生でも静岡に関わり続けたいと願っている。そんな出会いがあったのも、葛藤を乗り越えてトライアウトに挑戦したからである。福田の言葉と経験には、トライアウトの意義が詰まっているように思えてならない。

つづく>>


福田秀平(ふくだ・しゅうへい)/1989年2月10日生まれ、神奈川県出身。

多摩大聖ヶ丘高から、2006年の高校生ドラフトでソフトバンクから1位指名を受け入団。内外野守れるユーティリティープレーヤーとして活躍し、15年には32回連続盗塁成功の日本記録(当時)を樹立。19年オフ、FAでロッテに移籍。23年に戦力外通告を受け、24年はウエスタンリーグに新規参入した新球団「くふうハヤテベンチャーズ静岡」でプレー。58試合に出場するも、ケガに苦しみシーズン限りでの現役引退を表明した。

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