11月11日、ランコ・ポポヴィッチは羽田空港にいた。鹿島の監督を電撃解任され、妻と共に帰国の途につくためである。
――メンタルとは別に、戦力については開幕前はどのように考えていたのか。
「(ヨシプ・)チャルシッチが入団できない。そして夏のウインドウでは(佐野)海舟も海外移籍でいなくなる。(柴崎)岳も準備期間でケガをして離脱していた。これは逆に自分の手腕が試されていると感じました。その状況でベストを尽くすしかない。選手の潜在能力を引き出すのが私の務めでした。海舟がシーズン中で抜けるのはわかっていたので解決策を用意しておかなくてはいけない。苦しいなか、練習で知念(慶)のプレーを見ていて彼ならボランチができると思いました。30歳を手前にしてFWにコンバートをしろというのは、酷なことでもありましたが、彼は真剣に取り組んでくれました。その結果、あのコンビが誕生しました。
――大分時代から、若手の育成やポジションの変更によって選手の潜在能力を引き出していたが、日本人選手の特性について考えていることはあるか。
「戦術的に約束事を決めて、細かく時間を使っていくのが今の世界のサッカーの潮流です。でも自分は違います。最後は選手に自由を与えたい。決まりきったことを続けるのは成長がない。同じシチュエーションがサッカーにはない。日本人の良さを考えれば、型にはめない方がいいのです。実は日本人選手にはクリエイティビティとアイデアがある。彼らが持っているポテンシャルは想像以上に大きい。
――5月の月間優秀監督賞受賞からの夏場の失速はどう見ていたのか。
「海舟が移籍し、知念も体調不良、そしてチャッキー(アレクサンダル・チャヴリッチ)が2カ月以上のケガを負ってしまった。重要な選手が3人ピッチからいなくなった。そうなるとさすがに対応は厳しくなりました。プロとして言いますが、間違いなく先発とベンチの差はあります。すべての選手が同じクオリティではない。5人の交代が認められてから、ベンチのメンバーが充実しているところが強いチームということになってきました。チャッキーをベンチに置いていたのはそういう理由で、新しいエネルギーを後半に注入するためです。彼は先発でないことに最初は不満だったかもしれませんが、やがて理解をしてくれました」
――キャリアハイを出した選手も多いが、それぞれの選手たちに対して感じていたことは。
「(鈴木)優磨は日本人らしくない強い責任感とメンタルを持っていた。
――解任を吉岡宗重フットボールダイレクターから告げられたときの内心はどんなものだったか。
「吉岡さんも任を解かれました。そのことが気になったので、『私を選んだことを後悔していないか』と聞きました。
――今の日本のサッカーのインフラについてはどう見ていますか。
「Jリーグの選手たちは私が初めて広島に来たときに比べて格段にレベルが上がっています。また、日本のメディアは非常に礼儀正しいです。ただ、結果から逆算して論調がだいたいひとつになっています。内容やプロセス、戦力を見ずして、勝てば称賛、負ければ手のひらを返して叩くということの繰り返しです。プロの記者ならば、サッカーにはいろんな見方があるはずです」
――日本を去っていくにあたって残したい言葉があれば。
「クラブの公式リリースにも出しましたが、これがクラブの判断ならば、それを尊重します。