元ホンダ・浅木泰昭連載
「F1解説・アサキの視点」第1回 後編

 ホンダの技術者として、F1最強のパワーユニット(PU)と日本一売れている車N-BOXを開発した稀代のエンジニア・浅木泰昭氏。2023年にホンダ退職後は、モータースポーツ解説者としても活躍している。

 そんな浅木氏による新連載がスタート。記念すべき第1回のテーマは、「なぜ世界各国の自動車メーカーは今、F1を目指すのか?」。

 2026年に車体とPUのレギュレーションが一新されるF1は、アメリカのGM(ゼネラルモータース)やドイツのアウディが新たに参戦予定だ。さらに、ホンダはアストンマーティンと組んでワークス復帰し、フォードはレッドブルとともにPU開発を行なう。そして、トヨタもハースと技術提携し、F1への関わりを強めている。

 前編では、自動車メーカーがF1へ続々と参入する背景に、リバティメディアのプロモーションによるF1人気の高まり、とくに巨大マーケットである北米での人気爆発が背景にあると、浅木さんに解説してもらった。

 そしてF1参戦の裏側にはもうひとつ、自動車メーカーが「喉から手が出るほど」欲するストーリーがあるという。

自動車メーカーのF1続々参戦の裏側に「喉から手が出るほどほし...の画像はこちら >>

【地球のためになるというストーリー】

 自動車メーカーにとって、アメリカでのF1人気爆発に加え、もうひとつ魅力的なのは現在のレギュレーションです。F1は2030年のカーボンニュートラル実現を目標に掲げており、2026年から100%カーボンニュートラル燃料(CNF)の使用を義務づけると同時に、電動化比率が現行の約2割から5割へと大幅に引き上げられることが決まっています。

 パワーユニットを開発・製造する自動車メーカーは自腹で予算を準備してF1に参戦しています。そういう状況では、株式会社の自動車メーカーとしては膨大な予算を払う大義名分がないと、株主や投資家を納得させることができません。

 では、大義名分とはなんぞやと言えば、商売のためになるということと、地球のためになるということ。このふたつなんです。

 F1活動を通してCNFの開発や電動化を推進することで、カーボンニュートラル社会の実現に貢献する。だから我々、自動車メーカーが地球上に存在する価値があるし、株主を含めてF1の活動を支援してください、というストーリーです。

 ただ騒音をまき散らして、地球環境を破壊しているようなプロジェクトにお金を払ってまで参戦すると言っても、誰が賛成するんですか? ということです。

 しかも人気があればあるほど、それが地球環境に悪いというストーリーになった瞬間、諸刃の剣になる可能性もある。環境団体などがレースの時に「F1が地球を汚している元凶だ」などと書かれたプラカードを持ってサーキットにやって来られたら、たとえ少人数であったとしても自動車メーカーにとっては大きなダメージになります。

 そもそもF1をはじめとするレース活動はお金が儲かりません。そのうえにブランドイメージも下げるような事態は一番避けたいことなのです。だからこそ地球のためにF1が貢献するのだというストーリーは喉から手が出るほどほしいし、そこをうまく考えたレギュレーションになっていると私は思います。

【F1は今も「走る実験室」だが......】

 ホンダの創業者・本田宗一郎さんはF1を「走る実験室」と呼びましたが、今でもF1は最先端技術を磨く場になっていると思います。2026年からはいろんな燃料メーカーがF1というフィールドで戦うためにCNFを開発・製造することになります。作ればノウハウが蓄積されていくのではないか、というのが私の期待です。

 今、CNFがなぜ普及しないかと言えば、コストが高く、大量生産の技術がまだないことです。

でもF1がある程度のコスト高を許容し、そこで開発を続けていくと、もっと安く、大量のCNFを生産できるような技術がF1発でできるかもしれません。そうすると、F1が地球を救ったというストーリーが生まれる可能性があるわけです。

 それは電動化の推進に欠かせないバッテリーやモーターにしても同じことが言えます。F1で磨かれた技術が電気自動車やハイブリッド車などに搭載され、世の中の役に立つと言えるレギュレーションになっています。

 ただ最近、F1の運営側から、自然吸気のV8エンジンやV10エンジンに回帰しようという声が上がっています。地球のために別にならなくても、もっと音が大きくて、安いエンジンで、マシンも軽いほうが競争として面白いのではないのかという意見が出ています。

「地球のためになっている」というストーリーがないのであれば、自動車メーカーがF1に参戦し続けるのは難しくなります。自動車メーカーがいなくなるということは、技術開発競争が事実上なくなるということです。それは世界最高峰のF1にとって本当にいいことなのか......と、私は感じています。

第2回へつづく

前編から読む

<プロフィール>
浅木泰昭 あさき・やすあき/1958年、広島県生まれ。1981年に本田技術研究所に入社し、第2期ホンダF1、初代オデッセイ、アコード、N-BOXなどの開発に携わる。2017年から第4期ホンダF1に復帰し、2021年までパワーユニット開発の陣頭指揮を執る。

第4期活動の最終年となった2021年シーズン、ホンダは30年ぶりのタイトルを獲得。2023年春、ホンダを定年退職。現在は動画配信サービス「DAZN」でF1解説を務める。初の著書『危機を乗り越える力 ホンダF1を世界一に導いた技術者のどん底からの挑戦』(集英社インターナショナル)が好評発売中。

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