次代を担う逸材たち~アマチュア野球最前線 
第11回 千葉商科大・吉川凌平

「先月でアルバイトをやめました」

 千葉商科大4年の吉川凌平は、爽やかな笑みをたたえながら言った。

 下級生時は最大で週4回入っていた宅配ピザのアルバイト。

その頻度は高学年になるにつれて減っていき、4年の春にはやめていた。大学卒業後の進路を「プロ一本」と退路を断ったためだ。

【大学野球】メジャースカウトも熱視線の最速156キロ右腕 「...の画像はこちら >>

【元プロコーチも絶賛する探究心】

 吉川は3年秋のリーグ戦で最速156キロをマーク。同年12月には大学日本代表候補に選出され、愛媛県松山市での強化合宿に参加している。身長186センチ、体重90キロの大型右腕。今秋にはプロ志望届を提出する予定のドラフト候補である。

 千葉商科大は千葉県大学リーグ1部に所属する。同校からのドラフト指名となると、1997年にダイエー(現・ソフトバンク)に3位指名を受けた木村茂までさかのぼらなければならない。なお、木村は現在、千葉商科大のコーチを務めている。

 29年前のエースが母校の後輩を鍛え、プロに送り込もうとしている──。そんなストーリーであれば、わかりやすい。だが、50歳になった木村に尋ねると、「僕なんて何も教えてないですよ」と笑い飛ばされてしまった。

「吉川は入学した時から探究心があって、野球に対する姿勢がすばらしかった。

誰に何かを言われなくても、自分で率先して練習できる子なんです」

 そして、木村は噛み締めるようにこう続けた。

「プロで活躍できるだけの内面を持っていますよ」

 木村はプロで7年間プレーし、通算13試合に登板したものの、一軍で勝利を挙げることはできなかった。自分以外にも、厳しい世界でもがき苦しむ選手を大勢見てきた。木村は自戒を込めるように、こう語った。

「コーチからいろいろと教えられて、潰れてしまった選手を腐るほど見てきましたから」

 吉川は千葉県の強豪高校・習志野の出身である。といっても、当時は3番手格。慢性的な右肩痛に悩まされ、満足のいく練習ができなかった。吉川は「ごまかしながらやっていました」と打ち明ける。

 毎週月曜のオフは病院に通い、右肩の治療。平日の練習は指導者がやってくる練習序盤のブルペン入りを避け、右肩痛を悟られまいと努めた。土日の試合になると、肩の痛みを押して投げていた。肩痛の原因について、吉川はこう自己分析する。

「自分のケア不足もあったと思うんですけど、投球フォームがよくないなか、疲労が残ったまま練習をしていたのが原因だと思います」

高校野球引退後に転機】

 高校3年間を通じて結果を残せなかった吉川だったが、ひとつだけ揺るがないものがあった。それは「プロになりたい」という幼少期からの夢だった。

「小さい頃から目立つ選手ではなかったんですけど、なぜか自信だけはあって。どんなに遠回りしてもプロに行くと決めていました。高校時代は『おまえがプロなんか無理だよ』って、いろんな人から言われました。自分のなかでは『勝手に言ってろ』って思っていましたね」

 端正な顔立ちの内側には、強烈な負けん気が潜んでいる。

 高校3年夏の千葉大会が終わったあと、吉川は指導者の勧めで強豪大学の練習に参加している。だが、すでにスポーツ推薦の枠は埋まっており、進学は絶望的だった。そこで、吉川は先輩が進学していた千葉商科大への進学を決意する。吉川は「チームは関係ない」と考えていた。

「地方リーグであっても、速い真っすぐを投げて、結果を残し続ければ、プロのスカウトも見てくれると思っていました。結局は自分次第だなって」

 高校野球引退後、大きな転機があった。中学時代の指導者を介して知り合った、トレーナーの土橋恵秀(つちはし・けいしゅう)の指導を受けたのだ。

 土橋は早稲田大に在学中、和田毅(元・ソフトバンクほか)と二人三脚で投球フォーム修正に取り組み、劇的な進化に寄与したことで知られている。その後も和田の専属トレーナーとしてNPB、MLBの現場を経験している。

 吉川は土橋のもとで肩のリハビリに取り組みつつ、さまざまなトレーニングドリルを伝授された。もともと「地味なトレーニングが好き」と語る吉川にとって、コツコツと取り組める土橋のドリルは性に合ったという。

「ひとりで練習することは、集中できるので好きなんです。ウエイトトレーニングなんかは『重い......』となっちゃうんですけど、細かい動きのトレーニングのほうが自分は好きですね」

【大学野球】メジャースカウトも熱視線の最速156キロ右腕 「おまえがプロは無理」と言われても吉川凌平が貫いた信念
大学進学後に急成長した吉川凌平 photo by Takahiro Kikuchi

【昨年秋に最速156キロをマーク】

 大学進学後は学業とアルバイトと並行して、トレーニングに努めた。野球部の全体練習は短く、スキルアップするには自主練習に励むしかない。吉川は「和田さんみたいに、スピードガンの数字が出なくても真っすぐで押せる投手になりたい」という思いで取り組み続けた。高校時代に悩まされた右肩の痛みは消え去り、最速139キロだった球速はどんどん伸びていった。

 昨秋には最速156キロを計測するまでに進化したが、吉川の自己評価は高くない。

「まだまだフォームが悪いので。体幹や下半身の使い方が課題です。

なるべく体の力を入れたくないんですけど、体幹以外が力んで体が開いてしまう時があるんです」

 ドラフトイヤーとなる今春は、スタートから出遅れた。リーグ戦開幕前に風邪を引いて調整が遅れ、さらにフォーム修正に時間を要した。球速は150キロに届かず、チームは開幕6連敗を喫するなど、リーグ戦最下位に沈んだ。

 千葉商科大の池田朝美監督は、苦渋の表情でエースをかばった。

「就活中の4年生が試合に来られなくて、慣れていない下級生がエラーをしてしまう試合も多かったんです」

 しかし、5月2日にナスパ・スタジアムで開催された国際武道大との一戦は、吉川の復調を思わせる投球内容だった。球速こそ最速146キロにとどまったものの、指にかかったストレートで国際武道大の強打者を次々に詰まらせた。

 カットボール、スライダー、フォークなどの変化球も冴え、5安打1失点で完投。バックネット裏にはMLBスカウトも視察に訪れるなか、リーグ屈指の強豪相手に今季初勝利を挙げた。吉川は「先週くらいから感覚がよくなってきました」と明かした。

「質のいい真っすぐで押して、カウントが取れるのは自分の長所です。まだまだ出力は上がっていないですけど、地道にやっていけば上がっていくと思います」

 大学生とはいえ、まだまだ素材型の投手だ。これから野球に専念できる環境に身を投じた時、信じられないような化け方をしても不思議ではない。

 そして、その可能性をもっとも信じているのは、ほかならぬ吉川自身なのかもしれない。「もし、プロに進めたとしたら?」と、仮定の質問をすると、吉川は穏やかな笑顔でこう答えた。

「ワクワクしかないです。1年中、野球のことだけを考えて生活できるなんて、最高です。大学日本代表候補合宿の時も野球への意識の高い選手ばかりでしたけど、プロはそれ以上ですものね。そういう人と話すのは楽しいので、早くその舞台に行きたいです」

 高校時代から注目を浴びたエリートではなくても、20歳を超えて花を咲かせる選手が出現する。これぞ大学野球の醍醐味だ。

 今年7月で22歳になる吉川が抱く今の野望は、「日本の顔になること」。"一念岩をも通す"を実践してきた男だけに、その言葉には夢物語とは思えない説得力があった。

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