
《この度、思う心ありまして、神戸山口組三代目熊本組を離脱する事を決心致しました。今後は神戸山口組ならび三代目熊本組とは一切関係ない事を誓います》
2月19日、岡山県警に脱退届が出された。この差し出し主は、神戸山口組(井上邦雄組長)・藤原健治舎弟頭補佐率いる三代目熊本組(岡山)のナンバー2、横森啓一若頭だった。
突如、決行された脱退劇。その背景には、依然として続く六代目山口組(司忍組長)との分裂抗争に関わる意外な理由が隠されていた。
決行当日、集合場所で待つ横森若頭の元に、次々と熊本組最高幹部らが姿を現したという。新たな団結を誓い合うようにして、その一人一人と固い握手を交わしたのち、全員が消息を絶ったのである。
「どれほどの人数が集まるかは、フタを開けてみなければ分からなかったようだ。しかし、実際には熊本組の主軸である執行部メンバーを含め、複数の直参が『出る』と決めた横森若頭に賛同した。藤原組長にしてみれば、思いもよらない出来事だったのではないか」(他団体幹部)
横森若頭らが離脱したという話は、瞬く間に業界内外を駆け巡った。
「一昨年の年末に太田守正・元太田興業組長が辞めて以降、神戸山口組からは直参の離脱、引退などが相次いどった。昨年の9月に福原辰広・元邦楽會会長が引退してからも体制を組んで固めとったし、横森若頭は神戸山口組の直参候補の一人と見とった。今回の離脱は青天の霹靂やったで」(ベテラン記者)