1498年、戦国時代の初期に発生した明応地震は、東海・東南海・南海地域が連動した南海トラフ巨大地震の一つに数えられている。静岡県沼津市に残る古文書には、地元の歴史を伝える一節に、「大切な書物を明応7年の津波で失った」などと記されているという。
「沼津市内に今も残る寺院の航浦院は海抜10メートルの場所に位置しますが、地震後にこの西浦江梨地区を襲った津波は最高で11・6メートルと推測され、完全に飲み込まれたと見られます。明応地震の際に起きた津波は、“1000年に一度の震災(千年震災)”によって起きたとも言われているのです」(サイエンスライター)
同市の戸田には、「平目平」と呼ばれる場所があるが、当時の津波でヒラメが打ち上げられたことから付けられたとの言い伝えもある。古い地名のため現在の地図に記載がないが、平目平は海岸から約2キロの山間にあり、標高は36.4メートル。“1000年に一度”というのも頷ける。
地震学が専門の武蔵野学院大特任教授・島村英紀氏もこう言う。
「明応地震の巨大津波では、かつて日本三大港の一つだった三重県の安濃津(現・津市)で、数千軒の民家を含め町全体が跡形もなくさらわれ、地形まで変わってしまったのです。そのため、港町の復興は約200年後の宝永地震(1707年)以降まで手付かずだったと考えられています」
ちなみに安濃津の港は、室町時代に成立した日本最古の海洋法規集の『廻船式目』で、日本の十大港湾として記されている三津・七湊の港湾都市に挙げられている。明応地震の発生から28年後にこの地を通った連歌師の宗長は、『宗長手記』の中でこうも記している。
《繁栄していた安濃津の港街は、明応地震の大津波によって壊滅し、10余年を超える年月を経た今も荒野のままであり、4~5千軒もあった人家の影はなく、ただ寺の堂塔だけがぽつんとあるだけだ》
「県庁所在地が消えてなくなるほどの巨大津波は他に例がなく、明応地震が南海、東南海、東海地域の三連動型地震だったすれば、それだけ被害が大きかった可能性はある。しかし、何しろ500年以上も昔の話なので分からない部分が多いのです。直近の南海トラフ地震は1944年(昭和東南海地震)と'46年(昭和南海地震)ですが、この時はやや小ぶりでした。そのため解放されていないエネルギーを考えると、今度来るのは同じように巨大だと考えられています」(同)
明応地震は、他にも様々な爪痕を残している。静岡県の浜名湖は、もともと砂洲が堤防の役割を果たし遠州灘から海水が流れ込むことがない淡水湖だったが、地震によって砂洲が決壊、現在の海水と淡水が混ざった汽水湖となった。また、巨大津波は地震発生から約1時間後、相模湾にまで達し、神奈川県鎌倉市にある高徳院の大仏殿をも倒壊させたという説もある。
「西日本も巨大津波による被害が出ているが、最も甚大とされている地域の一つが、和歌山県の紀の川の河口付近。この地域では地侍集団の雑賀衆が幅を利かせていましたが、塩害により稲作が難しくなったため、代わりに山中の森林資源を活用し、造船業と海運業に乗り出して栄えたのです。そんな中、彼らが出会ったのが鉄砲で、地元へ持ち帰り強力な鉄砲集団を作り上げた。雑賀衆の鉄砲隊と言えば織田信長と繰り広げた石山合戦が有名ですが、明応地震がなければ、信長もあれほど苦戦することはなかったと考えられています」(前出・サイエンスライター)
明応地震と同様、三連動タイプとされる宝永地震も、千年震災に例えられる。宝永地震に関しては様々な古文書が残っているが、特筆すべきは、当時、雲海という僧侶が愛媛県の名湯・道後温泉の入浴案内で触れた記述だ。
《湯は一瞬にして枯れ、湯に入っていた者は転倒したり、自分や他人の衣服も分からないほど騒いだりするなど、入浴者の混乱ぶりは尋常ではなかった。すぐに湯守や村役人が城下に報告したが、道後では温泉だけではなく、池、井戸、谷水まで涸渇してしまい、しかも、それは初めての体験ではなく、以前にも不出を経験していたものの、目の当たりにして驚いた》
「宝永地震は震度6以上の揺れが静岡県から九州まで及びました。津波は最大で高さ26メートルにまで達し、伊豆、八丈島から九州までの太平洋海岸だけではなく、瀬戸内海や大阪湾にまで入り込んだとされています。日本だけではなく、韓国の済州島や中国・上海までにも津波被害をもたらしたのです」(前出・島村氏)
この宝永地震から遡ること約100年前、つまり冒頭の明応地震と宝永地震のちょうど中間にあたる慶長地震(1605年)も、南海トラフ巨大地震と言われていたが、最近では否定的な見方も出始めている。地震動そのものによる被害状況の記録がわずかしか残されていないためだ。
「慶長地震からわずか100年しか経たずに宝永地震が起きていたとすると、超巨大地震のエネルギーがそこまで早くにたまってしまう可能性を示しています。ただし、慶長地震の震源については、地震学会でも論争になっている。南海トラフで起きたのではなく、八丈島のはるか南、伊豆小笠原海溝の鳥島近辺で起きたのではないかと指摘され始めているからです」(同)
慶長地震では千葉県の犬吠埼から九州までの広範囲にわたって津波が押し寄せ、八丈島では57名、阿波(徳島県)で1500名の死者をもたらしたとの記録が残っている。
「その八丈島での津波の被害を示した『八丈実記』の記録は重要です。その記述をもとにすると、八丈島へは最大10~20メートルの津波が押し寄せた可能性がある。ところが、これまで慶長地震の震源域とされてきた南海トラフの駿河湾寄りの地震をシミュレーションすると、八丈島の西側海岸での津波高は2メートル程度にしかならないのです」(前出・サイエンスライター)
ちなみに八丈島では、慶長地震発生の年と、その翌年に火山噴火を起こしている。やはり、約400年前に南海トラフで起きたとされていた巨大地震は、伊豆小笠原海溝を震源とするものだったのか。
その謎について、これまで多くの大地震や火山噴火を予測、的中させてきた琉球大学理学部名誉教授の木村政昭氏はこう語る。
「慶長地震の地震動の記録が少ないのは、伊豆・小笠原諸島沖、つまり今、リスクが増している巨大地震と同じ震源だったからです。私はこれから起きる巨大地震も本州での地震動はそれほどでもないと考えています。その代わり、巨大津波が太平洋側の港町を容赦なく襲うでしょう。津波はこれまで被害が比較的少なかった東京湾にも入ってくる。3年後のオリンピックが心配です」
これまで、東京湾への津波の高さは1メートル~1.5メートルというのが記録。関東大震災の際も発生はしているが、陸地への影響はほとんどなかった。
例えば1707年、相模トラフの千葉県野島崎が震源とされる元禄地震(M8.2)では、小田原城は完全に倒壊し、江戸城も被災。その後、城内には耐震構造を備えた“地震之間”なるものが設けられている。
「この時は津波も三浦半島で6~8メートルに達し、沿岸の家屋や寺社などが流失したが、東京湾(=当時江戸湾)の内湾と外湾を隔てる神奈川県の観音崎でエネルギーが減衰している。品川で浜側へ逃げてしまった人が波に巻き取られたなどの記録が残っているだけで、被害の記録はほとんどありません。津波被害が少なかったのは、内湾と外湾の境が狭まっていることに加え、エネルギーを減衰させる内湾の河川の多さも影響しています」(前出・サイエンスライター)
江戸時代後期の1854年、南海トラフの東側を震源とした安政東海地震(M8.2)でも、房総半島から四国にかけて津波が襲来し、伊豆に停泊中だったロシア軍艦のディアナ号が沈没した。しかし江戸では、隅田川河口だった浜町河岸(現・中央区)で水位が1~1.2メートル上がって路上に溢れ、船が破損した程度だったという。
「しかし、東京湾から真南の伊豆・小笠原諸島付近で地震と津波が発生した場合、観音崎でエネルギーが奪われることはなく、ストレートに内湾に入ってくる。そのため、これまでに経験したことのない津波被害が東京を襲う可能性もあるのです」(同)
昨今、その伊豆・小笠原諸島沖に沿った火山活動が活発になっている。今年3月、気象庁は伊豆諸島の青ヶ島から南南東に約65キロの位置にある海底火山・ベヨネース列岩に噴火警報を発表。2013年に噴火し陸地となった西之島の活動も活発で、海上保安庁は「溶岩流が海上に張り出し、面積は東京ドームの約59倍に拡大」としている。
前出の島村氏は「火山活動の静穏期が続いているが、その終わりも近い」とし、こう続ける。
「伊豆・小笠原海溝を含む伊豆沖からマリアナ海溝にかけては、過去に大地震が起きた例はあまりありません。慶長地震の震源が伊豆・小笠原諸島近辺だったのか、南海トラフだったのか、現時点では分からないのが正直なところです。南海トラフが震源だったとした場合、地震動について西日本に記録がないのは、ただ単に散逸してしまった可能性も考えられますからね」
想像を絶する巨大津波が襲う可能性が高い南海トラフ、そして伊豆・小笠原諸島付近を震源とした巨大地震。後者に関して木村氏は、規模をM8.5、時期を2012年±5年とし、いつ起きてもおかしくないと予測している。
「専門家の間では、南海トラフ地震の周期は100年~200年という見方があり、最後に起きたのが昭和南海地震で、今年はそれから71年。その点から言えば、発生にはまだ時間があるように思えますが、内陸部での地震、そして火山噴火と、何が引き金になるか分からない状況とも言われているのです」(前出・サイエンスライター)
いずれにしても“Xデー”は待ったなしの状況だ。
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