離婚・宮沢りえに20年ぶりのヘアヌード出版計画(2)

       

 宮沢りえは日本人の母とオランダ人の父との間に生まれたハーフで、4月、39歳になったばかり。
 '87年、『三井のリハウス』CM、初代リハウスガール・白鳥麗子役を務めて注目を集め、一躍トップアイドルに上りつめた。
 「まさに、白鳥麗子の名にふさわしい可憐な女の子でした。それでいてハーフだったからでしょうか、Dカップはあろうかというほどの“隠れ巨乳”で有名でした」(バラエティー番組スタッフ)

 そして、ド肝を抜かれたのが'91年11月に発売されたヘアヌード写真集『Santa Fe』(朝日出版社)だった。
 「この写真集は、彼女の母親でマネジャーもしていた“りえママ”の発想によるものでした。体の線がキレイなうちにヌードを撮っておこうというものです。その前には、同じくりえママの企画で“ふんどしカレンダー”というのもありました」(出版関係者)

 『Santa Fe』の売上げは50万部とも80万部ともいわれたが、さらに驚かされたのが、'92年11月の大相撲・貴花田(現貴乃花親方)との電撃婚約発表だった。
 「当時、りえは19歳。女優として“これから”という時でしたからビックリしました。なにより、これからが“稼ぎ時”と珠算をはじいていたりえママがよく許したものだと見ていました」(芸能記者)

 案の定、婚約はわずか2カ月で解消されてしまう。
 「主婦業に専念してほしいと願う貴花田側と、仕事続行を主張するりえママとの板ばさみに、りえはあってしまったのです」(芸能関係者)

 悩みに悩んだ末、りえは母親をチョイス。
 「実の父親の顔も知らず、母ひとり子ひとりで育ったりえは、どうしても母親の言うことを聞かざるを得なかったのです」(テレビ局関係者)

 以来、中村勘九郎(現勘三郎)、市川右近、『DA PUMP』のISSA、市川海老蔵らと浮名を流したほか、サッカーの中田英寿とはディープキス写真を報じられた。
 「勘九郎とは、初めは人生の先輩として色々とアドバイスをしてもらう関係だったのが、相談しているうちに色恋沙汰に発展してしまった。交際中、京都のホテルで自殺未遂騒動まで起こし、勘九郎が釈明会見を開くという一幕もありました」(ワイドショー関係者)

 この頃が、りえが一番荒んでいたときと言っていいだろう。
 「結婚はNGだけど恋愛は自由という、ママとの暗黙の了解があったようです。だけど、その後、激ヤセしてマスコミの前に現れた姿はあまりにも痛々しかった。あの写真集で見せた美しさは、完全に消え去っていました」(芸能記者)

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