達人政治家の処世の極意 第一回「田中角栄」

       

 戦後政治史の中で、一方で金権政治家の声もあったが、カリスマ性において突出していたのが、田中角栄元首相であった。
 その天才的な政治手腕と「情と利」を駆使した人心収攬術で一政治家としては前代未聞、最盛時史上最大の141人の派閥を擁し、全国津々浦々に広大無比の人脈を構築して圧倒的な影響力を発揮、長く政治権力の座を死守したことは知られている。ために、名言・至言は溢れるほどあり、その一つが表記のそれである。

 田中は配下の若手議員などに、よくこう言っていた。
 「世の中は白と黒ばかりではないぞ。敵と味方ばかりではない。その中間に広大なグレーゾーンがある。そこを取り込めるかが、人の支持が集まるかどうかの最大のポイントだ」。そして、続けた。「その辺がわからん奴に天下が取れるわけがない」と。
 結果、その配下から実に6人の総理大臣を輩出させた。異例である。竹下登細川護煕(もりひろ)、羽田孜橋本龍太郎小渕恵三鳩山由紀夫であり、彼らはその田中の言葉を常に胸に置き、天下を取ったのだった。

 田中は旧制高等小学校卒、汗と涙、人に揉まれ、裸一貫で働く中でこうした言葉を学び取った。組織というものは、自分を支持してくれる人間が一握りはいる。他方、人の言動すべからく気に入らずの強固な批判、反対派がやはり一握りはいる。その間に、自分に利があれば支持し、損となれば距離を置くという“日和見組”が山のようにいる。この日和見組が、まさに広大な中間地帯、グレーゾーンというわけだ。
 しかし、このグレーゾーンの人間がドッと動けば、組織内の世論となることが重要だ。この世論を取り込めば、自分にとっての支持の輪が一挙に広がるということである。田中はそのために、「バカになってでもグレーゾーンへの目配り、気配りを忘れるな。面倒と思っても、そうした連中の意見に耳を傾けろ。我を通すだけが能じゃないぞ」とも教えたのであった。

 一方、田中にはその死後、後継としてのちに外務大臣になった田中真紀子という娘がいる。女性議員の中での政治センスは群を抜き、がんじがらめの官僚制度に風穴を開けられる人物とされ、「日本初の女性総理大臣はこの人」との声もあった。しかし、結局は父親の最も大事なDNA(遺伝子)を欠落させていたことで、そのチャンスを逸したのだった(現在、落選中)。
 なぜ、真紀子はチャンスを逸したのか。
 まさに、父親が死力を尽くしたあのグレーゾーン取り込みのための目配り、気配りがまったくできていなかったからにほかならない。我を通すことが優先され、例えば外務省でも省内改革を目指したものの、逆に外務官僚からヘキエキされて距離を置かれる結果となり、改革の志半ばで外相も解任されてしまうというテイタラクだったのだ。

 そうしたグレーゾーン取り込みの“秘策”として、田中は次の言葉も強調した。
 「自分の言葉で話せ。借り物は必ず人が見抜く」と。田中は自分の名代で演説に出掛ける秘書などに、こうクギを刺したものだった。「いいか。わかったようなことを言うな。気の利いたことを言うな。そんなものは聴いている者は一発で見抜く。借り物でない自分の言葉で、全力、誠心誠意でやれ。そうすれば、人は聞く耳を持ってくれる」

 自分の言葉で話せるかどうかは、人を説得できるかどうかの大きな分かれ目になる。
 よくシタリ顔でウンチクを傾け、まくし立てたりする話し手がいるが、よく聞いていると自分の言葉がないことがある。本、新聞、テレビ、あるいは友人、知人から借りた“他人の言葉”の羅列だったりする。
 しかし、ある程度、世の中で揉まれた聞き手なら、そんな借り物は信用していないということである。「こいつは何もない男だ」、会社に戻るより早く、商談決裂の電話が入っていたりするのである。

 稚拙でも構わない。自分の少ない経験に、この仕事への意欲をプラス、とにかく誠心誠意、自分の言葉で話すことだ。
 第一、かわい気がある。かわい気があれば、相手は少なくとも聞く耳を持ってくれる。身を乗りだしてくれるということである。「説得の極意」ということである。“論語読みの論語知らず”が通用するほど、世の中は甘くない。

 「真理は常に中間にある」。このこと一つを人生訓にしただけで、周囲の見方は大きく変わる。人間、時にバカになることも必要ということである。=敬称略=

■田中角栄=第64・65代内閣総理大臣。新潟県出身。働きながら専門学校で土木業を学び、後に共栄建築事務所と田中建築事務所を設立。その後、衆議院議員選挙に当選。通商産業大臣、大蔵大臣、郵政大臣、内閣総理大臣などを務めた。

小林吉弥(こばやしきちや)
 永田町取材歴46年のベテラン政治評論家。この間、佐藤栄作内閣以降の大物議員に多数接触する一方、抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書多数。

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