先の見えない大変な日々が続いています。会社にも行かず、友だちにも会えず、うちの中にいると、つい”ひとり”になってしまった気がして、寂しい気持ちになることも。

そこで、ウートピは「1往復エッセイ」を始めます。気になるあの人へ「最近、どうですか?」とたずね、「こちらはこんな感じです」と回答する。そんなささやかな現状報告と、優しくて力強いメッセージをお届けします。

今回は、前回の聞いた人と答えた人をスイッチ。紙芝居作家の飯田華子(いいだ・はなこ)さんから、詩人でイベントオーガナイザーの内田るん(うちだ・るん)さんにこんな質問が届きました。

【るんさんへ】

少し前から、なんとなく時代の変遷にいるような感覚がありました。

フェミニズムの浸透やLGBTという語の認知、また「誰も傷つけない笑い」が支持を集めるなど、「どーせ変わんないでしょ」って思ってきたものがちょっとずつ変わっていくような気がしていました。

るんさんはそのような感覚がありましたか?

また、新型コロナウイルスによって日本も世界も変化を余儀なくされていますが、これまでの流れはどのようになっていくと思いますか?

「ステイホーム」が1週間過ぎた頃、感じたこと

飯田さんへ

お返事をどうも。ワンマンライブの延期、残念ですね。

私も自分の弾き語り曲を、某バンドさんにアレンジとバックバンドをお願いしたプロジェクトを去年の夏から進めていて、4月4日に初ライブの予定でした。(勿論、無期延期になりました) 次に人前でバンド演奏をしたり、ライブを観たり出来るのは、一体いつになるやら……それすら、今書いてて初めて思い出すほど、この1ヶ月は気の滅入るニュースばかりで脳がパンパンでした。ひたすら署名をしたり、官邸に「ご意見」を送りつけていました……。

あらゆる予定をキャンセルして「ステイホーム」し始めて1週間くらいした頃、だんだん夢から覚めたような心地がしてきました。今まで私の生活を占めていた予定や約束って、なんだったんだろう、と。家にただ居て、家事をするだけで1日が終わる日々でも、「今日も、私も家族も友達も健康だった」というだけで、何の罪悪感も感じず神に感謝して眠れます。私にとって「重要なこと」って案外少ないのかも、と思いました。

かと思うと些細なことで半日くらい落ち込みます。でも人生の目標も方針も「自分と他人の命と健康を守ること」だけで良くなってしまったことは、私にとっては一種、気が楽になったところもあります。

私は、詩人でアーティストでフェミニストだ

飯田さんが言うとおり、「ものをつくる人」は、自意識や他者からの視線、評価、遠回しな嫌味などとの戦いがつきものです。場合によっては、もうその戦いの記録のみで「何かを発言する人」として成り立ってしまうほどです。

私は長いこと、自分を「アーティスト」だと思っていませんでした。でもどうやら、自分の考えを軸にして生きてるってだけで、どうやら「アーティスト」らしいです。言われてみれば確かにそう言えなくはないな、と。「じゃあ人類皆アーティストやんけ」と茶々も入りそうですが、「自分の考え」より、「親の考え」「世間の考え」などを軸にして生きてる人も沢山いますから、そこの線引き程度の意味でなら、成り立つと思います。

それで私は開き直って、「詩人でアーティストでフェミニストだ」と名乗ることにしました。たまに「詩集を出してるんですか?」と野暮な事を聞いてくる人もいますが、こんなもん心意気と責任の話です。私は言葉の力を信じる人間として、あらゆる性差別を許さない、と決めて、どんなにささやかながらも、社会や、自分自身と戦うんだ、と。

飯田さんからの質問ですが、ここ数年でフェミニズムも、LGBTQも、概念や、その存在が知られて広まってきたのは、この20~30年くらいの中で言えば「大きな変化」だと思いますし、それはSNSによる、ひとりひとりの声の可視化によるところが多いだろうと思います。新しいツールとともに、新しい社会観も広まっていく……素晴らしいことでもあり、危険な面も含むことだと思います。SNSによる「連帯」は、レイシズムやファシズムをも生み出す土壌でもあると思うので。

でも個人的には、女性の地位向上のためにあらゆる方面から働きかけていた先人たちの努力が、少し実ったというか、「今年は豊作だった!」くらいの印象です。「原始、女性は太陽だった」と平塚らいてうが世の女性たちに呼びかけて、多くの日本人女性が勇気づけられたのが、もう100年以上も前ですから。

それからもずっと、あらゆる差別を解消するために、政治や公教育の活動だけでなく、映画・漫画・小説・音楽などなどのエンタメの中でも、多くの人々が繰り返し訴え、伝えてきたものが、静かに人々の心の中に根付いていったのだと感じます。

それこそ、飯田さんの作品だって、そうだと思います。ファンの皆さんの中に、「おんなに生まれたこと」という呪いと祝福について、考えるきっかけを与えていると思います。すべてが、今起きていることに繋がっていると思います。

すべての事象は、計り知れない流れの上で繋がってるのではないか

そういう意味では、この「新型コロナウイルス」という災禍は、私たち人類にとって、どういう流れの上にあるものなのか……考えてしまう毎日です。疫病や天災に、人類の「日頃の行い」が関係しているなんて思うのは傲慢な空想かも知れませんが、バタフライ効果と言いますか、すべての事象は、計り知れない流れの上で繋がっているように思います。

飯田さんの言う通り、私たちのこれまでの生活は、色んな人たちの「心」も「命」も踏みつけにしながら作られてきた、砂上の楼閣でした。安く買える洋服やお菓子のために、遠くの国の小さな子供たちが劣悪な環境と待遇で酷使されていることを、知っていながらそのシステムに乗っかり続けました。そして、いまだに降りる勇気はない。

でも、ウイルスは無理やり私たちをそこから引きずり降ろそうとしています。それに対して、人類はどうするのか。すべてシェアして助け合うのか? より深い分断と絶望か?

もしかしたら、これが「最後の審判」なのかな、と。

*内田さん、飯田さんありがとうございました! 次の1往復エッセイは、トミヤマユキコさんと山本ぽてとさんが登場予定です。
(special thanks:須田奈津妃)