皆さんは「恋愛工学」についてご存じでしょうか。
月間100万PVの人気ブログ『金融日記』の管理人で、有料メルマガ「週刊金融日記」を発行する藤沢数希さんが、科学や金融工学の知見をもとに提唱する男性向け恋愛ノウハウが「恋愛工学」。
ですが、この「恋愛工学」、女性陣から「テクニックが強引すぎる」「女性をモノとしか扱っていない」と批判があるのも事実。今回は「恋愛工学はなぜ女性に嫌われるのか」について考えてみたいと思います。
恋愛論ってどんなものなの?そもそも、「恋愛工学」のような恋愛論ってどんなものなんでしょうか。
男性向けの恋愛論(恋愛本)には大きくわけると2種類あります。それは、「元からモテてる人が書いた本」と「非モテが書いた本」です。
「元からモテてる人が書いた本」というのは、芸能人やモデル、モテることが商売であるホストクラブの人が書いているような本です。このパターンの本は女性向けでも、「有名モデル、女優やキャバクラ嬢が語るモテ術」といった感じで出版されているので、ご存じの方も多いかもしれません。ここで書かれているのは単純明快で、「心もちを変えろ」ということです。「相手への感謝の気持ち」「周りに優しくする」といったことで自分もモテるようになる、という、セルフコントロールについて語るのがその趣旨。
一方、「非モテが書いた本」とは、以前モテなかった(で、モテるようになった)人が書いた本です。今回取り上げる「恋愛工学」や最近ドラマ化された水野敬也『LOVE理論』(文響社)なども「非モテが書いた本」に当てはまります。
そのストーリーを補強するためにロジック、恋愛工学やLOVE理論が必要となります。つまり、男性向けの恋愛論とは基本的に「セルフコントロール」と「ロジック」という2つの要素で成り立っていることになります。
恋愛工学が嫌われるワケでは、基本的な内容が同じなのになぜ「恋愛工学」は嫌われるのでしょうか。『LOVE理論』は「理論」といいつつ、セルフコントロール的な要素もあり、単なる恋愛論にとどまらない営業論、社会人論としても楽しく読むことができます。
例えば「合コンでは異性よりも、同性の幹事に気に入られるように自分の役割に徹しろ」という「日本代表理論」は、恋愛というよりも社会人の処世術として参考になります。
一方で「恋愛工学」は、突き詰めれば「ある理論を実践すれば誰でもモテるようになる」というもの。その元ネタであるニール・ストラウス『ザ・ゲーム 退屈な人生を変える究極のナンパバイブル』(パンローリング)からしてロジックが全面に押し出されています。
しかし、最初からモテてる人はモテるためのロジックなんて必要とするでしょうか。つまり、そうしたロジックは突き詰めれば詰めるほどナンパオタク臭く/非モテ臭くなってしまうのです。
ロジック型の恋愛論に対する女性からの評価があまりよくないのは、女性がそもそもロジック型の恋愛論に慣れていないことに加え、それが往年の男性向け情報誌『ホットドッグ・プレス』のような恥ずかしさがあり、さらにその読者は童貞っぽい印象があるためではないのでしょうか。
ただ、それの何がいけないというのでしょうか。モテなかった人がモテるように努力する。そのこと自体を非難することはできないはずです。
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そして、メルマガの中に垣間見える「選ばれしもの感」。
「週刊金融日記を購読しているようなハイスペックな方々は、英語が話せるグローバル人間が多いと思うのですが」(「週刊金融日記」第142号 人生相談コーナーより)
「僕たちプレイヤーは、この恋愛工学という知恵の実をかじってしまったんだ。もう、もとの世界には戻れないんだよ」(「週刊金融日記」第70号 人生相談コーナーより)
まるで、落合信彦の著作を読んでいるかのような昂揚感に包まれます。
つまり、落合信彦先生における「モサド」や「オイルマネー」が恋愛工学における「聖帝十字撃」や「非モテコミット」なのです。さしずめ、恋愛工学のコミュニティは勝ち組クラブのようなものでしょうか。
確かに、それを否定するのはたやすいのですが、世の中で「モテたい」と渇望する男性がいる限り、世の中から恋愛工学をなくすことはできないのではないのでしょうか。
(古田ラジオ)