1948年の創刊から70年以上、暮らしの知恵を伝えてきた雑誌『暮しの手帖』(暮しの手帖社)。2016年には創業者の大橋鎭子さんの軌跡をモチーフとしたNHK連続ドラマ小説「とと姉ちゃん」も放送され、話題になりました。

「丁寧(ていねい)な暮らし」と言えば『暮しの手帖』と思っている人も少なくないのでは? ところが、1月に発売された最新刊(第5世紀4号)の表紙に躍ったのは「丁寧な暮らしではなくても」というコピー。

『暮しの手帖』といえば、丁寧な暮らしを紹介する雑誌の旗振り役ではなかったの? 今号から新編集長に就任した北川史織さん(43)にコピーの真意や同誌が目指すことなど前後編にわたって聞きました。

「丁寧な暮らしではなくても」に反響

——子供の頃、実家の本棚で『暮しの手帖』に触れたことのある人は多いと思います。でも、仕事などに追われて暮らしがおろそかになっている自分には到底まねのできない「別世界」というイメージがあり、購入には至りませんでした。だから、最新号の「丁寧な暮らしでなくても」というキャッチコピーがとても意外で、『暮しの手帖』の今を伺いたいと思いました。

北川史織編集長(以下、北川):今回のコピーに目をとめてくださった方が多いことは実感しているのですが、正直、これほど反響があるとは思っていませんでした。

今号の巻頭に、写真家の砺波(となみ)周平さんと志を美さんご家族の暮らしぶりを追った特集を掲載しているのですが、この特集のタイトルとして生まれた言葉なんです。

——この1冊全体のコピーなのかと思っていました。

北川:もちろん、1冊に込めたメッセージでもあります。でもこのタイトルは、最初は「ふつうの暮らしがいとおしい」だったんです。全然違うように思えますよね(笑)。

いったんはそれで進めていたのですが、一緒にこの記事をつくっていたライターの渡辺尚子さんが、「このタイトルは記事の内容を言い得てはいるのだけど、先に模範の答えを提示してしまっている感じがする。

記事から何を感じるかは、読者一人ひとりの自由な領域じゃないかな。

“いとおしい”という感情までタイトルにするのはつくり手の奢(おご)りというか、読む人の自由を支配して、その先の思考を奪ってしまうんじゃないかな」とおっしゃったんです。

確かにそうだなあと思い、読む人が「暮らし」について改めて考えてくれるようなタイトルにできないかと再考することにしました。

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「丁寧な暮らし」のラベリングにモヤモヤ…

北川:今号のあとがき、「編集者の手帖」にも書いたのですが、私はそもそも「丁寧な暮らし」という言葉にまつわる風潮にモヤモヤしてたところがあり、いつかチャンスがあったら、それについて書きたいと思っていました。

皆さんが『暮しの手帖』をどう思ってくださっているのか気になって、インスタグラムなどでときどきエゴサーチすると、誌名と一緒に「#丁寧な暮らし」とハッシュタグが付いていることが多いんです。

暮らしぶりを写真に撮ってアップされていること自体はすてきだし、否定するつもりはまったくありません。

「子供のお弁当を作るの、大変だな」と思っていても、朝に写真を撮ってアップすることが励みになることもあるでしょう。

でも、一方で「丁寧な暮らし」というのがフレーズ化していて、最近は揶揄(やゆ)ややっかみの対象になっているような風潮も感じていました。「時間とお金にゆとりがあるから、 “暮らし”を楽しむことができるんじゃない?」というような……。

「丁寧な暮らし」というラベルが付いたとたん、なぜか画一的に捉えられてしまう。皆さんがハッシュタグを付けてアップされている写真の後ろには、それぞれ違った暮らしがあり、いろんな工夫や思いがあるわけです。

それなのに、揶揄ややっかみの対象になるのはなんだか悲しいし、暮らしって、他人が批評することなのかな、と疑問にも感じていました。

丁寧な暮らしではなくても…『暮しの手帖』新編集長に聞く、話題のコピーの真意

誰にでも「自分なりの大切な暮らし」がある

——確かに、暮らしは他人が批評するものではないし、他人と比べるものでもないですね。

北川:私は未婚で長年一人暮らしをしています。編集の仕事が好きなので、つい夢中になって、遅くまで働いていることもよくあるんです。

ただ、「私には暮らしがない」と思ったことは一度もありません。人に誇れるようなものではないけれど、自分には自分なりの暮らしがあると思っているし、どんなに忙しくても、それを手放したくないですね。

例えば80歳で一人暮らしの男の人にだって「暮らし」はありますよね。

誰にでも「暮らし」はあって、生涯を終えるまで大切なこと。それは一人ひとりが違っていて、どんな形であっても、たとえ「丁寧」でなくても尊いのです。

そんなことをつらつら考えていて、取材させていただいた砺波さんの暮らしぶりを思ったとき、ふとこのコピーが浮かんだのです。

丁寧な暮らしではなくても…『暮しの手帖』新編集長に聞く、話題のコピーの真意

砺波さんのように「写真家で田舎暮らし」なんていうと、それこそ「ゆとりのある人」だと思われそうなのですが、ご本人にはそういう意識が全然なくて、地域に溶け込み、周りの人たちと関わりながら暮らすのが楽しいとおっしゃいます。

妻の志を美さんとかわいいお子さんとの暮らしを、飾らずに撮った写真は心に届く力があります。でも、やっぱり家族といってもそれぞれ別個の存在で、けんかもすれば、日々いろいろあって、理想通りとはいかないんですって。

砺波さんは、それを丸ごとひっくるめて「いとおしい」とおっしゃるんですね。

そうしたことを思い出したとき、以前から考えていたこととリンクして、「丁寧な暮らしではなくても」という言葉がぽっと浮かんだというのが正直なところです。

——編集部内から反対意見はありませんでしたか?

北川:反対はなかったのですが、ちょっと危ういタイトルではあると思いました。読者の方からご批判も受けるかなと思いましたし、実際、快く思わなかった方もいらしたようです。

でも、届いた多くの声は意外なほど温かく、「ほっとした」という声もいただきましたね。そこで、今の人は「丁寧」という言葉にプレッシャーを感じているのかな、と思いました。

暮らしに「正しい」も「間違っている」もない

——「プレッシャーを感じている」というのは? 読者からそんな声があったのですか?

北川:「今まで『暮しの手帖』を遠巻きに見ていたけれど、自分には入れない“正しい世界”のように思っていた」といった、今回、初めて買ってくれた方からの声も届いています。

暮らしに「正しい」も「間違っている」もないので、私たちは、「正しさの押しつけ」はしたくない。もちろん、無料でさまざまな情報が手に入るこの時代に、お金を出して買っていただく本ですから、古びない「知恵」を載せていきたいと努力しています。

今号でまずお伝えしたかったのは、「どんな人にも、一つひとつ異なる大切な暮らしがある。暮らしのあるあなたに読んでもらいたい」という私たちつくり手の思いです。

「自分の『暮しの手帖』なんだ」と思って手に取ってくださったら、こんなにうれしいことはないですね。

丁寧な暮らしではなくても…『暮しの手帖』新編集長に聞く、話題のコピーの真意

後編は3月14日(土)公開です。

(聞き手:新田理恵)