かつて“日本一のギャルサー“伝説のギャルサー”などと呼ばれた渋谷のギャルサークル・アンジェリークの副代表を務めたきょんさん(30代後半)は現在2児の母だ。これまでの“ギャル道”に「後悔はない」と話すが、娘がギャルになることは大反対だとも言う。
“日本一のギャルサー”の活動内容は
──“日本一のギャルサー”などと言われていましたが、そもそもアンジェリークはどのように設立されたんですか?
きょんさん(以下同) 兄弟サークルで男バージョンの『ロゴス』というイベサーがあって。ロゴスの初代総代表の先輩がクラブで見つけた超強めヤマンバギャルに「ギャルサー作ろう!」と結成を呼び掛けたそうです。
当時いろんなギャルサーがあったけど、絶対ウチらが一番目立ってました(笑)。周りやメディアからも「日本一のギャルサー」と言われていたし、やっぱり他サーよりも圧倒的に強めギャル集団でした!
──年齢層や家庭環境はどういった方が多かったんでしょうか。
基本的に大学サークルで、本来は第1(学年)の代から3年生の代なんですけど、高校生も入ってましたね。高1から上は21歳くらいまでで、私も誘われたのは16歳の頃でした。
当時、私立の高校を中退して109前の露店でバイトしてたんですけど、いつも来てくれるアンジェリークの人が「入りなよ」って毎回言ってくれてて。
実際に入ったのは18歳で、タメの第1が入るのと同じタイミングだったから入りやすかったです。
家庭環境は、割合でいうと普通の子が多いんじゃないかな。本当に学校みたいな感じでいろんな子がいて、親とこじれたからギャルになったとかではなく、本当にやりたい人たちで集まってるというか。
今のトー横キッズとは違って、そんなに家庭環境が複雑な人っていうのはいませんでしたよ。
家にも基本的には帰ってましたし、大学生も多かったんで、その子たちはちゃんと大学にも行ってました。
──確かにトー横とはよく混同されそうですね。活動としては、具体的にどんなことを?
週に1回「ミーツ」っていう集まりがあるんですよ。3カ月に1回くらいイベント打つんですけど、そのイベントのためにミーツをして内容を詰めていくみたいな。
イベントに向けてやるパラショー(パラパラのショー)の練習とか、パラ練(パラパラの練習)もしてました。
私は入る前からパラパラ好きだったんでパラビ(パラパラビデオ)見て練習してたんですけど、そんなにたくさんの曲を踊れるわけじゃなかったんで、入ってからもっと練習して。やっぱ上手くないとお立ち台に立てないんで(笑)。
集まる人数はその時々によって変動がすごかったんですけど、基本20人とかはいたような気がします。
みんなサークル愛が強いし、お立ち台の一番前の真ん中は絶対譲らないことにも必死でした。
信号の向こうまで人が殺到したパラパラステージ
──当時のギャルってみんなパラパラ踊ってましたけど、あれってどうしてあんなに流行ったんですか? さらに昔の「竹の子族」もそうですが、今思うとみんなで踊り狂ってて奇妙じゃないかと…。
なんでですかね(笑)。わからないけど、小室哲哉の影響とか?
昔からユーロビートってジャンルがあって、元々ディスコの黒服が集客目的で簡単な振り付けをつけて流行ったのが第1次ブームらしいです。それから第2次ブーム第3次ブームと流行るタイミングがあるんですよ。
ウチらの時代は第何次ブームだったか、そのタイミングで小室サウンドもめっちゃ流行って。
──ご自身がギャルに目覚めたのも安室奈美恵さんがきっかけなんですよね。
安室ちゃんが大好きだったのと、姉がコギャルみたいな感じだったんでその影響で。ヤマンバみたいな感じではなかったんですけど、中学生くらいの頃からギャルでしたよ。
学校が私立で厳しかったので、夏休みだけ髪の毛染めたりっていう感じでしたけど、クラブも昼間のイベントとかは中学の頃から行ったりしてました。
──中学からクラブ通いって結構ギャルエリートですよ(笑)。スカウトされるのもわかります。
もともと興味はあったけど、アンジェリークなんて怖いからずっと断ってたんですよ! 当時はもう、アンジェの人が通るとみんな道あけるくらい、すっごくオーラがあったし怖かったです(笑)。
見かけるときはいつも5人くらいで、ヤマンバっぽい強めのギャルが並んで歩いてました。でも入ってからは、「誰よりも強めのギャルでいる」とかのルールさえ守ればみんなめっちゃ優しかったです。
──活動の中で一番の思い出はなんでしょうか?
やっぱり109の特設ステージでみんな歌ってパラパラ踊ったことですかねぇ……。中々経験できない貴重な思い出ですし、もう信号の向こうまで人がバーっと埋まってて。
ギャルだけじゃなくサラリーマンだったり普通の方々の方が多く足をとめて観てくれて、みんな当時のガラケーで撮ってくれてたり、それはすごく貴重で楽しかったというか心に残ってますね。19歳で副代表になる前のことでした。
──逆につらいとかやめようと思ったことはなかったですか?
ないかもしれないです。厳しく忙しくはあるものの、楽しかったです。私、学校も中退だし、習い事もすっごいいろいろやってたけど最後までやり切ったことがなくて。
アンジェが人生で初めて最後までやり切ったことなんです。色んなことがある中で楽しみながら引退まで活動できたことが自分ですごいなって思います。
でもそれは本当に仲間や家族のおかげです。
ギャルマインドの効果は絶大!?
──学校代わりの青春ですね……(泣)。当時、ギャルをやっていて一番良かったと思うことは?
私、意外にもマジでネガティブ思考だったんですよ。
学校で話しかけたとき、相手が聞こえなかっただけなのに「あれは無視されてる。私なんかしたっけ……?」みたいな、もともと病み日記とかも書いちゃっってたネガティブな人間だったんですけど。
アンジェに入ってそれを変えてもらいました。メンタルが強くなれたし、自分に自信が持てるようになりました。
日記の中身は……。恥ずかしくて言いたくもないくらい(笑)。もうとにかく落ち込んだらそれをつらつらとずーって長文で書いちゃうみたいな。やばいっすよね(笑)
──まぁ、言語化や出力は大事って言いますから……(笑)。なにかポジティブになれたと実感した経験はありますか?
めちゃめちゃ、もうすべてにおいてあります! 心の中で思ってもそれを行動に移せないことが多かったんですが、困ってる人がいたらすぐ手を差し伸べたりとか。
例えば最近だと、信号が赤になっても渡り切れないおじいさんがいて、車にプープー鳴らされてたんですけど、もう瞬間的にサッと走って助けて、車に「すいません」って言って。
困ってる人がいたらすぐ動けるようになったのは、ギャルマインドのおかげだと思います。
日本人って席を譲れないとか、心で思ってても行動に移せない人が多いと思うんですけど、意外とギャルの子はできてるんじゃないですかね。
──ギャルマインドの効果すごいですね。それだけ効果があるなら、現在中学生の娘さんが「ギャルをやりたい」って言ったら歓迎ですか?
娘は「ギャルにはなりたくない」「絶対やだ!」って言ってます(笑)
──それは残念ですね(笑)。
今は娘と息子と3人暮らしで、TikTokのライブ配信や業務委託の仕事をもらって生活してます。
配信は夜にやってて、リスナーはギャル好きに限らずいろんな人がいますね。内容はすごくふざけてて、変顔とか白目とかずっとして……(笑)。
でも、それはどういう思いかっていうと、しんどいことがあったり仕事で失敗しちゃったりとか、みんなそれぞれの環境でいろんな1日を過ごしてるわけじゃないですか。
でも、1日の最後、寝る前に私のくだらない変顔とかくだらないトークで、最後は笑顔になって休んでくれればなって。
──ちなみに「もう1度ギャルをやりたい」と思ったことはありますか?
ないですないです(笑)。当時からBガールとか他のジャンルが流行っても、そっちに行こうとは思いませんでした。
「ギャルしか勝たん!」みたいな感じです(笑)。ただ、そのマインドはありますけど、もう卒業しているので、あの恰好は渋谷時代で卒業です。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班