
アフリカや中東の一部で見られる「女性器切除」などの差別的で残酷な風習。2014年のナイジェリアでは、イスラム過激派グループ「ボコ・ハラム」に拉致された数百名の女子生徒を救出しようとするも、一部の少女は組織に留まるという特殊な反応もみられた。
根強く残る女性差別を分析した『家父長制の起源』より、その理由について一部抜粋、再編集してお届けする。
「女性器切除」の残酷な風習が今でもなくならない…
家父長制社会ではさまざまな要素が複雑に絡み合っている。それは、世界各地で女性器切除(FGM)が根強く残る現状にも大きく影響している。
アフリカや中東の一部で広く見られるこの風習の起源は、紅海沿いでの奴隷貿易にさかのぼると考えられている。当時、女性の奴隷は性的奴隷として売買されていた。
当時も今も、女性器切除は性行為をできなくするか、あるいは耐えがたい苦痛を伴うようにするために行われる。目的はただ、結婚前の少女の処女性と結婚後の女性の貞節を守ることである。だから、ある意味で、これは女性を将来の夫に縛りつけようとする暴力的な性的束縛であるとも言える。
世界保健機関(WHO)によると、現在存命中の2億人以上の女性や少女が女性器切除を受けており、さらに毎年300万人がその危険にさらされている。しかも、母親や親族の女性が少女にそれを強要することが多い。
自らがその身体的、精神的な苦痛を経験したにもかかわらず、年配の女性たちは女性器切除の継続を許し、時には法の目をかいくぐって娘に切除を強制する。母親らは、切除が求められる世界に娘を入れるための準備だと信じている。
この通過儀礼を受けなければ、娘はコミュニティのなかで夫を見つけられないかもしれないと母親たちは恐れているのだ。
そして社会で自分が果たすべき役割は、私たちのアイデンティティに組み込まれている。自分がその役割を果たさなければ社会が崩壊するかもしれないと考えるとき、そのアイデンティティはさらに重要になる。
人々が文化に縛られてもいると、悲惨な結果が生じる。その結果、想像できないようなことが実際に起きる。
2007年、エチオピア南部の大地溝帯で暮らすアルボレ族の長老が、政府や慈善団体や宣教師の圧力を受けて、コミュニティでこの風習の廃止を決定したところ、当事者の少女たち自身がそれに抵抗したという。
この決定時に居合わせた社会人類学者のエチ・ガバートが、あるティーンエイジャーの言葉を書き留めていた。
「父や祖父から伝わる文化なのです。私たちの原点です。手放したくないのです」。
「文化は捨てられません。母が切除してくれないのなら、自分で切除します」と少女は言ったという。
悪しき風習に身を委ねることは、道義的には非難されるべきかもしれないが、ほかにほとんど選択肢がない場合、現実的だと思える場合もあるのだ。
「不倫した妻」を殺害した姑は「英雄」になった
考古学者のキャサリン・キャメロンが言うように、彼女が研究する歴史上の社会では、捕虜となった少女や若い女性が生き延びて安定を得るためには、多くの場合、妥協が必要だった。
安全は、捕虜となった先の主人との結婚という形でもたらされることもあった。逃げられる望みがないのなら、せめて妻としてなら地位を変えられるチャンスがあるかもしれないからだ。
「年齢を重ねれば、女性たちは影響力や権力を手に入れることができました」と彼女は説明する。
「ほかの集団から連れて来られた14歳の若い少女には、力も何もありません。集団内のほかの女たちに酷使されたり、男たちにレイプされたりと、恐ろしいことが起きるかもしれません。でも、それを乗り越えて、ある男性の妻になれば、一種の安定が得られます」。
結局、彼女はただひたすら最善を尽くす。夫との結びつきが強くなればなるほど、生活は安全になる。
「子どもができれば、別次元の地位が得られます。男性の子どもを産めば、地位を向上させることができます」。
権力をもつ年配の男性たちが支配する体制の制約のなかで、女性たちは生き抜くためにさまざまな戦略を立てているのだ。
父方居住の父系家族に嫁ぐ若い花嫁は、いま苦難を経験していても、やがて姑として、義理の娘に対して権力を振るえるようになる。
「彼女は男性には服従するが、年齢を重ねて若い女性たちに対する支配権を手に入れることで、それが帳消しになるのだ」と、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院の開発学の教授だったデニズ・カンディヨティは書いている。
だから、年配の女性たちは、若い女性だけでなく若い男性に対しても、ジェンダーに基づく義務に従うようにと圧力をかける。女性にも男性にも、異性婚をして子どもをもうけるようにと強要する。
父方居住の家族で息子を産んだ母親は、誰かが結束を乱して「間違った」相手と結婚し、パートナーへの愛情と年長者への忠義が対立してしまうことがないように気を配る必要がある。
見合い結婚や強制結婚は、そのための手段となってきた。家族のなかの年長者に対する務めを守り、家を機能させるための手段だった。これは、家父長制を維持するために女性が果たしている一つの役割だと言える。
そのことがよくわかる事件が、北西イングランド元首席公訴官のナジル・アフザルが2020年に発表した回顧録で詳しく紹介されている。
イギリスでいわゆる名誉犯罪(不道徳とみなされる行為をした者に、家族や同胞の者たちの名誉を傷つけたという理由で私的な制裁を与えること。時に死に至らしめることもあり「名誉殺人」とも言われる)の撲滅に向けた活動を長年行ってきたアフザルは、ロンドンのヒースロー空港に勤務する若い税関職員だったスルジット・アスワルの事件を取り上げている。
16歳で不幸な見合い結婚をしたアスワルは、別の男性と不倫関係に陥った。やがて、彼女は夫に離婚を求めたが、それに激怒した夫の母親が彼女の殺害を命じた。
アスワルの夫とその母親は、犯罪を隠蔽しようとしたが、アスワルの兄のジャグディーシュが正義を求める運動を展開したのち、2人とも終身刑を受けた。
だが、この事件についてアフザルを特に困惑させたのは、夫の母親が殺人に対してほとんど反省の意を示さなかったことである。刑務所で面会したとき、母親はパンジャブ語でアフザルを罵倒した。
「彼女は25年間、刑務所に収監されることになっても気にしていなかった」とアフザルは書いている。母親に言わせれば、自分は英雄だったのだ。家族の名誉を守った英雄だった。
ボコ・ハラムに拉致された少女が組織に留まりたがる理由
2014年、ナイジェリアでボコ・ハラムに拉致された数百名の女子生徒を救出するための必死の取り組みを促そうと、ソーシャルメディア上でハッシュタグを用いて「#BringBackOurGirls」という呼びかけが広く展開された。ホワイトハウスのミシェル・オバマからバチカンのローマ教皇フランシスコまで、世界中が団結したキャンペーンだった。
監禁中に亡くなった可能性の高い少女のニュースがたびたび報じられ、時には、何とか脱出に成功した少女に関する記事もあった。しかし、誰も予想していなかったことがあった。
拉致された少女たちの一部は、自由の身になっても、自分たちを拉致した男のもとに留まることを選んだのだ。
拉致され、過激な思想を植えつけられると、心に傷が残る。
拉致した相手の子どもを出産すれば、少女は家族を捨てる気にはなれない。それに、両親は必ずしも少女たちの帰宅を歓迎していなかった。だが、そこには別の原因が影響している場合もあった。
BBCが報じた記事で、ある若い女性は、「ボコ・ハラムの妻として周りの人たちの尊敬を集めるのが楽しかった」とジャーナリストのアダオビ・トリシア・ヌワウバニに語っている。その若い女性は女の奴隷を何人も支配下に置くことができたという。
ボコ・ハラムのメンバーを過激思想から脱却させる活動に携わってきた精神分析医は、次のように説明する。
これらの少女たちは家父長的なコミュニティで生まれ育ち、ほとんどは働いたこともなく、権力も発言権も与えられていなかった。それが突然、捕虜としてではあっても、自分の言いなりになる30人から100人もの女性たちを指揮するようになった。すると少女たちは、どちらが自由かと比較して考えるようになる。
彼女たちはたとえ故郷に戻っても、「戻る先の社会ではそんな権力はもてない」と悟ったのだろう。
文/アンジェラ・サイニー(訳=道本美穂) 写真/Shutterstock
家父長制の起源 男たちはいかにして支配者になったのか
アンジェラ・サイニー (著), 道本 美穂 (翻訳)
《各界から絶賛の声、多数!》
家父長制は普遍でも不変でもない。
歴史のなかに起源のあるものには、必ず終わりがある。
先史時代から現代まで、最新の知見にもとづいた挑戦の書。
――上野千鶴子氏 (社会学者)
男と女の「当たり前」を疑うことから始まった太古への旅。
あなたの思い込みは根底からくつがえる。
――斎藤美奈子氏 (文芸評論家)
家父長制といえば、 “行き詰まり”か“解放”かという大きな物語で語られがちだ。
しかし、本書は極論に流されることなく、多様な“抵抗”のありかたを
丹念に見ていく誠実な態度で貫かれている。
――小川公代氏 (英文学者)
人類史を支配ありきで語るのはもうやめよう。
歴史的想像力としての女性解放。
――栗原康氏 (政治学者)
《内容紹介》
男はどうして偉そうなのか。
なぜ男性ばかりが社会的地位を独占しているのか。
男が女性を支配する「家父長制」は、人類の始まりから続く不可避なものなのか。
これらの問いに答えるべく、著者は歴史をひもとき、世界各地を訪ねながら、さまざまな家父長制なき社会を掘り下げていく。
丹念な取材によって見えてきたものとは……。
抑圧の真の根源を探りながら、未来の変革と希望へと読者を誘う話題作。
《世界各国で話題沸騰》
WATERSTONES BOOK OF THE YEAR 2023 政治部門受賞作
2023年度オーウェル賞最終候補作
明晰な知性によって、家父長制の概念と歴史を解き明かした、
息をのむほど印象的で刺激的な本だ。
――フィナンシャル・タイムズ
希望に満ちた本である。なぜかといえば、より平等な社会が可能であることを示し、
実際に平等な社会が繁栄していることを教えてくれるからだ。
歴史的にも、現在でも、そしてあらゆる場所で。
――ガーディアン
サイニーは、この議論にきらめく知性を持ち込んでいる。
興味深い情報のかけらを掘り起こし、それらを単純化しすぎずに、
大きな全体像にまとめ上げるのが非常にうまい。
――オブザーバー