「嫌なら辞めろ」が当たり前だった…知られざる“プロ野球選手の劣悪労働環境” 労組結成で球界を変えた舞台裏〈中畑清×大椿裕子対談〉
「嫌なら辞めろ」が当たり前だった…知られざる“プロ野球選手の劣悪労働環境” 労組結成で球界を変えた舞台裏〈中畑清×大椿裕子対談〉

選手個人の権利がなかなか認められない球界で、選手の権利のために立ち上がった男たち――その戦いが細やかな取材で克明に綴られているのが木村元彦著の『労組日本プロ野球選手会をつくった男たち』(集英社インターナショナル)。今回は本書でその奮闘を明かした中畑清と、非正規雇用や労働組合などに関する社会課題に詳しい元参議院議員・大椿裕子氏の対談が実現した。

労組結成前夜の圧力

大椿裕子(以下、大椿) 『労組日本プロ野球選手会をつくった男たち』を読ませていただいて 一番強く共感したのは、その切実さなんです。労働組合がなかったら、自分たちの権利は守られない。健康や命も守られない。だから絶対組合を作らなきゃいけないんだという。

それも中畑さんが、自分ひとりではなくて、全球団、2軍の選手のためにもとそれを立ち上げられていった経緯に凄く惹かれました。ゼロから作るうえで何が最初、厳しかったですか。

中畑清(以下、中畑) 我々の場合は世間とのギャップがあったんだよね。プロ野球選手は一人一人が個人事業主の社長でみんながお金を持っている、世間から見れば、恵まれた環境の人たちという、誤解されやすいところがあったんですよ。

でも実態は全然違っていて、恵まれているのはほんの一握りの選手だけで、当時は何の発言権もなく、何の要求も通らずにいつクビになってもおかしくない生活。そこをまずファンに理解してもらうところからだったね。

大椿 選手会を労働組合にするということについては、どなたから、具体的なアドバイスはあったんですか。

中畑 山口恭一さんというまだ選手会が一般社団法人時代の事務局長、参与の方がいて、我々選手が何を要望しても誠実な対応をされないのを見た彼から、「経営者サイドに要求に応じてもらうには、組合しかないよ」というアドバイスを受けました。

山口さんは、選手が退団した後の共済金制度を作ることに尽力されていて、よく話をしたんだけど、以前も選手が労組を作ろうと行動を起こそうとした時に、圧力がかかって潰されたことがある、と教えてくれてね。

それで認可されるまでは、情報漏洩しないようにマスコミ対応をしっかりしながら、隠密で都労委(東京都労働委員会)に通った。

あとは弁護士の長嶋憲一先生に相談して申請するには、何が必要なのかを教えてもらいながら、動いていきましたね。

大椿 それまで中畑さんの中には労働組合を作るっていう発想が特にあったわけではなかったんですね。何の知識の無いところから、立ち上げられたのは、やはりここで何かを変えないといけないという強い意志を感じられた結果なのですね。

中畑 ええ、それまで労働組合というのはイメージの中になかったです。だってプロ野球界はそういう世界じゃなかったからね。でも本当にこのまま、選手が何の権利も与えられずに、夢も魅力も無い世界のまま進んでいけば、野球界は絶対に衰退すると思ったから、未来のためにやるしかないと思いましたね。

経営者側にいた人も全体のことを考えて応援してくれた人がいたんです。それが長谷川実雄(巨人代表)さんや、坂井保之(西武代表)さんだったんです。君はすごいことをやろうとしている、実現したら、野球界が変わるぞと。

でもここまで変わるとは思わなかった。組合は野球界全体が変われるぐらいの組織なんだって今になって再認識することもできたわけですよ。

大椿 NPB(日本野球機構)との折衝のときに、「お前の誰が後ろにいるんだ?」とか言われたそうですね。プロ野球選手にこんなことができるはずが無いという偏見ですが、中畑さんは労働法とかも独学で勉強されたし、何より英断を下した。

私はそれを知って気持ちが熱くなりました。ポーランドの造船所の労働者で、自主管理労組「連帯」を作ってノーベル平和賞を受賞したワレサさんも「俺は5ページも本を読めないが、5秒で決断できる能力がある」と言っていました。たたき上げの強さですね。

                                                                ※

たたき上げは、大椿も同様であった。関西学院大学に勤務していた際に理不尽で一方的な雇止めに遭い、その切実さから立ち上がって国会議員にまで上り詰めた。国会での腹の座った質疑のやりとりは、これが一年生議員か?と政治部記者たちを驚かしたが、団体交渉で鍛え上げた地頭と担力が独特のプレゼンスを放った。かような人物だからこそ、中畑の労組創設時の苦労がより一層、深く理解されている。

権利を訴えたくとも「嫌なら辞めろ」

大椿 本当にこれ分かるなあ、と思う局面が多々出てきましたから。私の家は野球とか全く見ない家で野球に詳しいわけではないんです。でもその野球を全然見ない私でも選手会の会長を務められた往年のスターの皆さんは名前が分かるんですよ。

なんでだろうと考えたら、野球以外の番組でテレビに出られる機会がとても多かった。

プロ野球選手の歌合戦とか、運動会とか。シーズンオフもああいうお仕事をされていんですね。

中畑 ポストシーズンが無かったんですね。プロ野球選手は個人事業主、それぞれ社長だと言われていましたけど、まったく自由が無い社長なんですよ。当時は365日、24時間拘束されていてキャンプや練習時間を入れると自由な時間なんかほとんど無い。

苦労してレギュラーになってこれでいい生活ができると思ったら、オフも拘束される。環境改善の要望を出しても球団からは、嫌なら辞めろと言われる。都労委には、その選手の置かれている労働実態を事細かに文章化して提出したんですよ。そうしたら、こちらが驚くくらいすぐに労働者性(※ある人が法律上「労働者」として扱われるかどうか)を認めてくれたんです。

申請してここから先、まだまだ山あり谷ありかと思っていてその覚悟も準備したんだけど、あんなにスムーズにいくとはと思ってなかった。都労委が驚くほど、労働勤務時間が酷かったんです。統一契約書に縛られて、契約交渉も一方的で本当に選手の立場は弱かった。

大椿 契約条件が折り合わなくても他球団との交渉が一切、できないわけですから、ここで契約してもらわなかったらもう野球ができない。そう思ったら、球団が何かふっかけてきた時にそれに応じるしかないですね。

中畑 FA(フリーエージェント)を勝ち取るまでは、そういう形がずっと続いていましたからね。例えば、打者は3 割打って一流の世界、つまり一流でも 7 回は失敗しているわけです。

そこで給料を上げさせないための酷い交渉になると、その7 回失敗しているマイナス情報を我々の前に出して攻撃してくる。3割打っているのにプロのプライドもズタズタです。野球選手にとって交渉事というのは、一番苦手な分野ですからね。それで文句を言ったら、やめさせてもいいという仕組みだったんです。

大椿 都労委への書類を制作するためには12球団の全選手にアンケートを取る必要があったと思うんですが、どこでどういう風にやってらっしゃったんですか?

中畑 他球団は主力選手が仲間として皆、協力してくれました。大きく動き出したときは会議室を借りて関係者以外、マスコミも全部シャットアウト、それで2 軍の選手と 1 軍の選手をすべて合同で説明会をしました。

2軍の選手は最初、組合と言っても理解していなかった。でも 1 軍のトップ選手になると、あ、そんなことができるんだと言ってくれてね。

でも組合にして最終的に喜んでくれたのは、2軍の連中でした。

1軍の最低年俸保証が それまで380万円だったのを要求して、800万円まで勝ち取ることができた。2軍選手なんて年俸が300万円にいかないのがほとんどなのに、1軍登録されると試合に出なくてもそれが日割りで加算されるんで、一日で7~8万円になったかな。

年俸380万円なんて俺の同級生のサラリーマンよりも安かったんだから。そこを底辺から変えて、プロ野球に入って良かったと胸を張って思えるようになって欲しかった。

大椿 この1985年に中畑さんが労働組合にしていたことで、2004年に古田さんたちが、ストライキが打てたわけですね。その判断をしていたことが、いろんな人の心に響く体験だと思いました。

中畑 野球ファンじゃない人にもそれを理解してもらっただけでも嬉しいですよ。

大椿 ごめんなさいね(笑)

中畑 いえいえ(笑)。野球界は改めてそういう世界だったのかって気づいてもらって、だから変えないといけないと動いたことはすごく大事で、自分は良い苦労をしたんだと思いますね。創設のときは、野球人として 一番をいい成績残さなきゃいけないと思った年だったけど、野球どころじゃないんだもん。

これは将来のためにやんなきゃいけないことだと、なんか使命感みたいの背負っちゃった。

それと自分で言うのも何ですが、キヨシがやるなら協力するよ、と各球団の選手たちが同調してくれた。これは大きかったですね。

経営者との交渉と野球の共通項

大椿 それと選手会労組が、組合として結果を出され続けていること。中畑さんの立ち上げもそうですが、例え労働法を詳細に知っていても、組織化や闘争に勝てるとは限らない。ここのタイミングでこの要求を出すぞ、と言うのは、歴代の会長さんたちが、見事にその勘所、攻め所がわかっていて、権利を勝ち取っていかれた。

岡田(彰布)会長のときは選手たちの悲願だったFA権を、担当者を根回しの段階で説得して獲得された。そして古田会長のときの球団減を止めたストライキ、それと新井(貴浩)会長は、東日本大震災のときに被災者に寄り添ってシーズン開幕の時期を遅らせること、さらにWBCのスポンサー権も米国の独占から日本に持ってこさせることに成功しています。

あのときは、元駐米大使のコミッショナーがアメリカに何も言えなかったのに、新井さんはそれを成し遂げた。それらはやはり、野球で培われた勝負師の感覚ではないかと思うのです。

中畑 それはあるかな。むしろ、労働法とか、勉強し過ぎていてもだめだったかもしれない。野球は基本、ピッチャーとバッター、一対一の勝負で重要なのは駆け引き。カウントのどこで勝負するか。

交渉事も同じようにどこで何を要求してどこで、落としどころを持ってくるか。それがポイントになるよね。権利の獲得は一気に行くときもあれば、徐々に攻めて、次代につなぐときもある。FAなんかはそうだったかな。

あとは、横のつながりだね。やはりチームスポーツだから、自分は犠牲になってもバントで送るとか、ここは悔しくても敬遠して次の打者で勝負するとか。球団は違っていてもいざとなれば同じ方向に向いて一枚岩になることは、試合する上でも慣れている。それと同時に選手だけでなく球界全体のことを常に考えて動いていたからね。

                                                                ※

FA(フリーエージェント)の権利を日本球界で最初にNPBに認めさせて、選手にもたらした三代目選手会会長の岡田彰布が同様のことを語っていた。岡田はFA権取得に必要な年数(当時10年)やその他の補償金など、条件面ではまだ不満があったけれども駆け引きの中で消化して説得していったという。

正確なデータを取った上で「一軍40人枠」など、経営者側にとっても都合の良い制度の提案をしながら、担当者(伊藤潤夫中日球団代表)の共感を引き出し、ここが落としどころだという段階で締結させた。

岡田会長の折衝能力で、岩石よりも硬いと言われていた統一契約書の重要部分がこれで崩れた。不満なら辞めろ、飼い殺しだぞと言われていた時代からすれば、大きな権利獲得の節目となった。移籍の自由が担保されたことで、年俸が格段に上がっていったのである。

二度の監督就任で阪神の黄金時代を構築した岡田の勝負勘と未来を見据える視座は当時から、発揮されていた。

現在まで初代の中畑から11代目の近藤健介まで11人の会長がいるが、そのうちの5人が監督に就いている。歴代会長たちは、チームを率いるリーダーシップと大局的な勝負のポイントを見据える勝負師であった。野球選手が組合のトップを張れるのか?ではなく、野球選手だからこそ、張れたのだ。

直前にヤクルト脱退も揺らがなかった信頼

大椿 その勝負をかけるポイントの見つけ方、団結の仕方、今、労働運動をやってる人たちが聞いてもすごく参考になると思うんですよ。私も自分が雇止め解雇になって、労働組合に入って3 年 9 ヶ月経っていたけど、結局職場に戻ることはできなかったんです。

それからは自分と同じような非正規で働く人たちを中心に労働組合の役員として活動をしてきてたんです。切実な問題に向き合っていながらも、今の労働組合は本来何をすべきかということを忘れてないかな?って思うことが度々あるんですよね。

中畑さんが、12球団、まったく違うチームの選手を連帯させられたのは、どんな戦略だったのでしょう。

中畑 結局、球団は違っても同じ野球の仲間としての意識っていうのかな。仲間を信頼することですよ。例えば、ヤクルトの選手会が開幕の前日に脱退すると言ってきましたね。

大椿 そうでしたね。オーナーの圧力で切りくずされて11球団になっていたのですね。

中畑 野球界はあれが基本だったんですよ。圧力でいくらでも首切りはできるし、選手が呼びつけられて、「お前ら文句言うならいらないんだよ」って有無を言わさず従わされる。俺はその脱会した連中の立場も分かるんですよ。

だからあのときも(角)富士夫が、「中畑さん、申し訳ありません。脱退します」って言って来たときも怒らなかったし無理に説得しようとも思わなかったですね。オーナーから「お前らなんか一発で首できるんだ」って言われたら、それまでだから。「分かった、ただ一方的にクビにさせないための組合なんだぞ」とだけ告げて、あとは戻って来るのを信じていました。

ヤクルトというチームの中でこのままじゃいけないということを俺と一緒に自覚してくれる仲間の存在は信じていましたね。まず脱退を受け入れて復帰の時間は与える、そうするとよけいに絆も強くなるわけ。そうしたら、尾花(高夫)がヤクルトの選手会長になって復帰させてくれました。

連帯は仲間を信じることですね。俺は人に恵まれたと思うんです。常に敵対心を持って戦ったら、成功しなかったんじゃないかな。だって、野球全体を良くしようと思う気持ちは経営者だって我々、労働者だって同じじゃない? そこも信じたよね。

大椿 本当、役者が揃っているなと思いましたね。あの落合(満博)さんが、選手会を抜けながら、FA権を取得したとたんにこれを利用するところとか、もうざわざわしながら読んだんです。うわっ、フリーライド(ただ乗り)した、と。

落合さんは 統一契約書の1 点ここを狙って突破していこうとしたけど、中畑さんは、周りの理解を得ないと自分たちの運動は大きくしていけない、権利も獲得できないからまずは身近な要求を 1 つ 1 つ実現して行こうという戦略でしたね。

中畑 いきなり統一契約書に迫っても一般的なファンは理解できないじゃないですか。我々はマスコミを通じて常に見られていますから。それよりもロッカーに空調設備をつけて欲しいとか、ポストシーズンを確立してオフに身体のケアをする自由を担保して欲しいとか、分かりやすいことから発信していった。

その先にFAがあったり、ポスティングがあったり、いろんな権利を得ていったんです。俺は自分に何の見返りが欲しくて動いたわけではないけれど、それは今の若い選手たちも知っていて欲しいことではあるね。最近は非加盟の選手も増えていてそれは残念なことだね。

大椿 先輩方が苦労して作ってきてくれたから、今私たちが享受できているものがたくさんあると思います。

労働運動だけじゃなくって障害者運動とかもかつては介護者を自分で見つけてこなきゃいけないような時代もあったなか、当事者の運動によって介護制度が整ってきて、今はそれが当たり前の様になった。未だに障害者差別はあるけれど、若い人たちが運動に参加しなくなったという声も聞きます。いろんな運動において先輩方が作ってきてくれたものへの敬意を失ってはいけないと思いますね。

実社会での労働組合の現在地

中畑 そうだね。歴史は知っていて欲しいね。今、労働組合って実社会の中でどんな立ち位置にあるの?

大椿 労働組合の組織率は 16% という割合で決して多くはありません。これは組合側にも問題があって、大きなナショナルセンターは本当に労働者のために戦っているのかと思うところがあります。

私のような非正規労働者からすると、4割も非正規労働者がいるのは深刻です。実態は労働者なのに、フリーランス、個人事業主にどんどん置き換えられていっています。野球選手たちがそこに労働者性があったように同じく労働者性があるのにそれ包括できるような制度がないんです。

国は多様な働き方とか自由な働き方とかそういう言葉に置き換えているんですけど、私は世の中が悪くなったのは非正規労働者を増やし続けてきたからだと確信を持っています。日本人がどんどん貧乏になったり、子供を産まなくなってきていますが、非正規労働者をこんなに増やしたら当たり前じゃないですか。貧困はどんどん広がります。

中畑 それは怖いことだよね。

大椿 やっぱりこの深刻な問題が今、国の重要課題になっていないなというのが、 2 年 4 ヶ月の短い間でしたけど、私が国会に行って強く感じたことでした。

雇用の安定を確保することが、私はこの国がやるべき最優先の課題だって思っています。非正規雇用の人たちの雇用は統一契約書に近いですよ。

中畑 俺たちの世界と一緒だね。言葉では個人事業主で社長扱いたけど、自由の無い中身の薄い社長で。

大椿 そうそう、本来は正社員として雇用すべき仕事が、非正規、個人事業主に置き換えられています。何の自由も権限もない。雇う側の都合でいつでも切られますし、とりわけ個人事業主は労働法の外側に置かれています。理不尽な事があっても、闘う方法すら奪われています。

かつては安定していたから多くの人が住宅ローンなども組めたけれど、今は無理です。今、公務員も例えば区役所で働いている人たちの 4 割が非正規労働者なんですよ。直接雇用の会計年度任用職員と言って1 年ごとの不安定な契約の人たちのことが問題になってます。

中畑 それはまるでプロ野球の俺たちみたいな世界だね。

大椿 プロ野球選手会が労組にしたっていうのは、他の人たちにも使える手法だなと思っているんです。私の友達で歌舞伎の大部屋俳優をやっている人がいるんです。所属は様々ありますが、基本は松竹からの給料で、これが安いんですよ。

要するに彼らも個人事業主。事務所から今月はこういう役をやれと言われてやる。まさに労働者性があるわけですよね。彼らも自分たちの労働環境に不満を持ちながらも何もすることができないまま、舞台に立ちたいんだったらここにいるしかないという。私はずっとプロ野球選手会を真似て組合作ったらと言い続けてたんですよ。

中畑 お手本の教科書にされたというじゃないけど、ゴルフ界とかサッカー界、他のスポーツの選手たちからもどうやって組合作ったんですか?教えて下さい、という相談は結構受けたよ。

あと審判も組合に入れて下さいと言って来た。裏方の人ほど組合はあってしかるべきだと思うね。音楽家のユニオンもあったね。

大椿 そうですよね。俳優の世界も小栗旬さんが労働組合を作りたいと思っているみたいな話が、報道で出ては消えてって感じですね。中畑さんならどうまとめていかれますか。

中畑 俳優の世界はまとめるのが大変だろうね。皆、プライドが高そうだから。自分なら、まずトップクラスにいる北大路欣也さんとかをまず説得しに行くかな。こういう世界を作りたいんです、みんなで協力し合う世界にしたいんで、ぜひお願いします、と。

プロ野球選手会も王さん、長嶋さんのON2人がタッグ組んで動いてくれたら、もっと早く成立していたと思う。俺も「お二人が賛同してくれたら、必ず成功するからお願いします」と直訴に行ったんだけど、ダメだった。まだまだ上の世界に弱い人たちだったからね。

「キヨシ、まだ時期尚早だろう」ってやんわり断られて、だったらと自分でやりだしたんだけど。本当はその世界のトップの人が松明を掲げてくれると動き出すよね。

大椿 そうですね。大切ですね。今日は本当にお会いできて貴重なお話が聞けて良かったです。

中畑 いえいえ、お疲れさまでした。

構成/木村元彦

労組日本プロ野球選手会をつくった男たち

木村 元彦
「嫌なら辞めろ」が当たり前だった…知られざる“プロ野球選手の劣悪労働環境” 労組結成で球界を変えた舞台裏〈中畑清×大椿裕子対談〉
労組日本プロ野球選手会をつくった男たち
2025/11/62200円(税込)240ページISBN: 978-4797674712初代会長の中畑清、FA制度導入の立役者・岡田彰布、球界再編問題で奮闘した古田敦也、東日本大震災時に開幕延期を訴えた新井貴浩、現会長の曾澤翼など歴代選手会長に聞く、日本プロ野球選手会の存在意義とは。 2025年現在から40年前の1985年11月に設立された「労働組合日本プロ野球選手会」。 一見、華やかに見える日本プロ野球の世界だが、かつての選手たちにはまともな権利が与えられておらず、球団側から一方的に「搾取」される状態が続いていた。そうした状況に風穴をあけたのが「労働組合日本プロ野球選手会」であった。大谷翔平選手がメジャーリーグで活躍する背景には、彼自身の圧倒的な才能・努力があるのは言うまでもないが、それを制度面で支えた日本プロ野球選手会の存在も忘れてはならない。 選手たちはいかに団結して、権利を獲得していったのか。当時、日本プロ野球の中心選手として活躍しながら、球界のために奮闘した人物や、それを支えた周りの人々に取材したスポーツ・ノンフィクション。
編集部おすすめ