■【連載 経営トップの挑戦】 第8回 Sansan〔株〕代表取締役社長 寺田親弘

ビジネスにおいて、名刺は重要な資産だ。それなのに、活用できていないケースは数多い。引き出しに名刺が溢れて、欲しいときに見つけられない。あるいは、アプローチしたいキーマンの名刺を隣の席の人が持っているのに、それを知る術がない。それでみすみすビジネスチャンスを失ってしまう。

そんな課題を解決するための法人向けサービス『Sansan』を提供しているのがSansan〔株〕だ。個人向けの名刺アプリ『Eight』も展開している。名刺管理という、一見、地味にも思える事業でイノベーションを起こしているSansanの創業社長・寺田親弘氏にお話をうかがった。

■拡大のスピードを上げるため、あらゆる施策を「上乗せ」する

――今年5月、PFUとコラボしたオフィス向けスキャナ『ScanSnap iX500 Sansan Edition』が発売になりました。名刺をスキャンすると、そのままそのデータをSansanのアプリで管理できるようになるスキャナですね。名刺管理サービスを提供する御社がスキャナを手がける理由はなんですか?

寺田 当社が目指しているのは、ビジネスにおいて日常的に発生している「名刺管理」という問題の解決を入り口にして、働き方を革新しよう、ということです。これを実現するためには、パソコンやコピー機がオフィスに当たり前にあるように、名刺管理サービスも「当たり前」の存在にならなければなりません。

諸説ありますが、日本には100万社以上の企業がありますから、「当たり前」になるためには、少なくとも10万社に使っていただくことが必要でしょう。リリースから9年経って、今、Sansanを使っていただいているお客様は約4,000社です。順調に増え続けているのですが、これまでの延長線上で、ソリューションとしてSansanを売っていくだけでは、時間がかかりすぎます。

そこで考えたのが、コモディティ(日用品)として販売することです。どこのオフィスにもあるスキャナ、その決定版と言える製品として、『ScanSnap iX500 Sansan Edition』をSansanと一緒に販売するわけです。『ScanSnap iX500』はシェアNo.1のパーソナルドキュメントスキャナですから、インパクトは大きいと思います。

「月額課金だったクラウドのサービスを、モノとして売り切りで販売する」という形は、おそらく他に例がないのではないでしょうか。

――売り切りなのですか?

寺田 このスキャナを買っていただくと、名刺500枚までの利用なら、何人でSansanを使っても料金はかかりません。ある程度までの大きさの会社であれば、スタートするにはこれで十分でしょう。500枚を超えたら、必要に応じたライセンスを追加購入することができます。

――PFUとは、以前から別の形でのコラボをしていたのでしょうか?

寺田 今はスマホがありますから、スマホのカメラからSansanのスマホアプリに名刺を取り込むことができます。しかし、創業の頃はガラケーしかなかったので、スキャナを使ってPCに取り込むしかありませんでした。ですから、サービスの一部としてScanSnapにタッチパネル式のコントローラーを添えてお客様に貸出しをしてきて、それは今でも続けています。

個人向けのEightについても、マーケティング施策の一つとして、『喫茶室ルノアール』や全国のコワーキングスペースに、名刺スキャン専用のScanSnapを置かせていただいています。

――『ScanSnap iX500 Sansan Edition』を実際に販売するのはPFUですか?

寺田 そうです。ScanSnapの商流で、コラボレーションモデルとして販売していただきます。

――PFU以外の他社ともコラボを進めていくのでしょうか?

寺田 日用品として企業に入っていくために価値があることだと思えば、やっていきます。たとえば、昨年はNTTドコモさんとの協業を始めました。全国のドコモの法人向け販売チャネルで、Sansanのスマートフォンプランを販売していただく、というものです。

他にも、コモディティ化のためにあらゆる可能性を視野に入れて検討しています。

――これまで事業を拡大してくる中で、最も大きな課題はなんだったでしょうか?

寺田 やはり、スピードをどう上げるかということです。「世の中に当たり前にあるものを作ろう」「世の中のインフラになろう」と言うのは格好良いですが、実現するのはそう簡単ではありません。

「名刺管理サービスの市場が盛り上がってきて、その中でNo.1になった会社」という見方をされることもあるのですが、実際はそうではなくて、当社がパイオニアとして市場を創ってきました。拡大していく市場の中で勝つための戦いをするほうが、ビジネスとしては効率が良いでしょう。

しかし、私たちは誰かが起こした風の流れに乗るのではなく、自ら風を起こす側でありたいと思っています。だから、自分たちで起こした風のぶんだけ一歩一歩進んでいく状況なので、そのスピードをいかに加速するかということに常に向き合っています。

――スピードを上げるための施策として、他にどのようなことをされてきたのでしょうか?

寺田 たとえば、SansanのテレビCMを打ちました。B to Bのクラウドサービスで、企業広告ではなくサービス自体のテレビCMを打ったのは、当社が初めてかもしれません。始めたのが4年前で、今では当社の定常的なマーケティング戦略の中に組み込んでいます。

――B to Bのサービスだと、テレビCMの効果は限定的だと考える人が多いのではないかと思いますが。

寺田 ウェブ広告とテレビCMとでROI(投資対効果)を比べれば、ウェブ広告のほうがずっと良いです。でも、ウェブ広告だけよりも、加えてテレビCMも打つほうが、さらに拡大のスピードを上げられる。そこに価値があると思います。当社は、市場の中で最適化した戦略を取ろうとしているわけではなく、市場自体を最大化することを考えていますから。

もちろん、マス広告において名刺管理というキーワードが有効かどうかや投資と回収の中長期的な試算など、裏づけとなることはさまざま考え抜いたうえでの判断で、決して博打を打ったつもりはありません。

今年からは地方での展開も積極的に進めています。これまでは東京に集中していたのですが、リソースが充実してきたので、大阪、名古屋、福岡にも法人営業拠点を設けて、大きなイベントも大阪、名古屋、福岡、広島、仙台で開催しました。

――一般的な、企業を訪問して行なう営業活動も続けている?

寺田 もちろん続けています。新しいことをやっているのは、あくまで非連続に成長するための上乗せです。そうでないとスピードが上がりません。

■「当たり前」の存在になるため、SansanとEightだけに集中する

――当初、御社のサービスはSansanだけでしたが、2012年からEightも始められました。どのような狙いがあったのでしょうか?

寺田 二つあります。一つは、Sansanをいくら広げても、届く人には限界があること。Sansanは法人向けなので、名刺管理に困っていても、勤めている会社が導入しなければ、使えないわけです。その人たちに届けるために、個人向けで無料のサービスを提供するのは、いわば必然でした。

もう一つは、名刺をソーシャルとつなげることで、名刺のあり方そのものを変えられるのではないか、ということです。名刺は、今の言葉で言えば、ものすごくソーシャルでモバイル性の高いものです。これだけソーシャルでモビリティに富み、世界中に普及しているビジネスツールは、他にないのではないでしょうか。名刺のソーシャルな価値を最大限に引き出すことは当社がやるべきだし、そのためのリスクは取るべきだと考えました。

――採算は度外視ということですか?

寺田 採算は今でも取れていません。細かく課金していくモデルも考えたのですが、名刺のソーシャルネットワークとしての価値を引き出すためには、まずはあまねく普及することが不可欠です。そのためには、無料か、少額でも課金されるかとでは、大きな違いがあります。

今はEightのユーザーが100万人を超えてきて、ソーシャルネットワークのイメージが見えてきたかな、というところです。具体的には、名刺管理をコアとしながらも、フィードを搭載し、ビジネスSNSの方向へ進化しています。紙の名刺を介さずにつながる機能もありますし、BluetoothやWi-Fiを使ってスマホ同士で名刺のデータをオンラインで交換する機能もあります。

マネタイズについては、一部、有料のプランを設けたり、広告を掲載したりということを、実験的にしているところです。これからさらに300万人、500万人とユーザーを増やして、ソーシャルな価値をさらに高め、ビジネスとして成立させることを目指しています。

――Eightのユーザーになったのをきっかけに、自分の会社でSansanを導入する、というケースはありますか?

寺田 Eightへの投資を正当化できるほどではありませんが、その流れはありますね。ただ、EightがビジネスSNSになっていく一方で、Sansanはあくまで企業が組織の資産として名刺を管理するためのサービスですから、だんだんと両者は離れてきています。

――御社のサービスの特長の一つに、取り込んだ名刺の情報をオペレーターが入力するので、正確性が高いということがあります。しかし、事業を拡大していくとオペレーターの数も増えていくので、コストが高くなるのではないでしょうか?

寺田 テクノロジーもかなり使っています。当初はすべてオペレーターが手入力をしていましたが、今は、手入力が必要な部分と機械で自動的に処理できる部分を組み合わせて効率的にデータ化していますから、名刺1枚をデータ化するコストは徐々に下がっています。そのぶん、お客様にお支払いいただく料金も下げてきています。

――技術開発にも力を入れられているのですね。

寺田 画像解析や機械学習の技術者だけでも10人近くいて、専門の部署で研究を続けています。スマホのカメラで撮った名刺の写真についた陰影を取って、機械が文字を認識しやすくするためには、どうすれば良いのか。統計的に名刺のどこに会社名が書いてある確率が一番高いか。当社はそういったことをひたすら研究していますから、世界で一番名刺に向き合っている会社だと思います。

――そうした技術を使って、SansanとEight以外の事業も始めようというお考えは?

寺田 「ビジネスの出会いを資産に変え、働き方を革新する」という当社のミッションがあり、それを実現するための具体的なビジネスモデルとしてSansanとEightを提供しているので、この二つを深めていきます。

こと日本のベンチャーにおいてはさまざまなサービスを展開する印象があるかもしれませんが、世界で使われているサービスを見れば、たとえばフェイスブック社はFacebookしかやっていませんよね。エバーノート社もEvernoteだけ。そのように一つのサービスだけに集中して深掘りしないと、世の中で「当たり前」になるようなサービスは作れないと思っています。

ただ、Sansanが企業のインフラに、Eightがビジネスパーソンのインフラになれば、その上に乗るサービスは多様性を帯びてくるでしょう。LINEというインフラの上でゲームができたり、音楽が聴けたりするのと同様です。

■「昔は紙の名刺を使ってたんですか!?」と若者が驚く世の中を

――お話に出たフェイスブック社もエバーノート社もシリコンバレーのベンチャー企業です。寺田社長は三井物産時代にシリコンバレーで勤務されたことがありますが、その経験は影響していますか?

寺田 「シリコンバレーで刺激を受けて起業した」というストーリーだとウケやすいのかもしれませんが、そういうわけではありません。小学生くらいのときから、「起業したい」というより、「起業する」と思っていました。戦国時代の本を読んで「俺も天下を獲りたい!」と思うちょっとイタい感じの少年で(笑)、周りを見ると父が起業していたので、「現代で天下を獲る手段はこういうこと(ビジネス)なんだな」と単純に思ったんですね。自分にとっては自然な流れで、起業するのが特別なことだとは思っていませんでした。

ただ、シリコンバレーでひたすらベンチャー企業を回ったことで、「ビジョンやコンセプトで会社をドライブしていく」ということを体感できたことは良かったと思います。シリコンバレーにもいろいろな会社がありますが、基本的には「世界をどう変えられるのか」から考えているんです。5人の会社でも「私たちは世界をどのように変えようとしているのか」というプレゼンをする。そこで、「じゃあ商品を見せてくれ」と言うと、「まだない」と答える。それが普通です。これは日本とはだいぶん違うなと思いました。

ひと口に起業すると言ってもさまざまな角度があるということにはっきりと気がついたのは、実際に起業してからです。偉大な会社を作ることをモチベーションにしている「経営者タイプ」の人もいれば、偉大な事業を作ることをモチベーションにしている「事業家タイプ」の人もいる。経営者タイプにとっては、事業は手段。逆に、事業家タイプにとっては、事業の利益をいかに大きくするかが重要であって、会社が大きくなるのは結果にしかすぎないわけです。1人の人間の中に両者が共存していますが、両者は明確に違う。

僕の場合は、実現したいビジョンがあって、そのためには事業をしなければならないし、事業をするためには良い会社と優秀な人材がなければならないし、と考えるタイプ。だから、「ビジョンで会社をドライブしていく」というスタイルが合っているのだと思います。

――ちなみに、シリコンバレーでは名刺を交換する文化はあるのでしょうか?

寺田 あまりないですね。でも、むしろ米国西海岸が異例なのではないでしょうか。世界中で見ると、名刺管理という問題を抱えて、その解決を必要としている人は億単位でいると思います。

また、たとえばEightを使えば、初めて会った人とスマホ同士で名刺のデータを交換することで、前職の情報などまで伝えることができます。すると、その出会いの意味は、紙の名刺を交換するよりも高くなる。紙の名刺は使わないという人たちも、そうした出会いには価値を認めるかもしれません。そうなれば本望です。

――海外展開も進めている?

寺田 現状では、シンガポールのマーケットで英語版のSansanの展開にリソースを投入しています。

――最後に、どのような将来像をどのように描いているのか、お教えください。

寺田 今、スマホを使われていますか?

――はい。

寺田 ですよね。ガラケーだったら、「なんでガラケーなんですか?」って聞かれるでしょう。でも5年前だったら、スマホを使っていると「なんでスマホにしたんですか?」と聞かれました。気がついたら、世の中の人たちの質問の方向が逆になっているんです。

こういう変化は、意外といろいろなところで起こっていると思います。名刺でも「不可逆な当たり前」を生み出せれば、同様なことが起こるでしょう。Sansanが当たり前になって、若者が「名刺って昔は紙のまま机の中に入れてたんですか? それでどうやって営業してたんですか?」と驚く世の中。あるいは、Eightが当たり前になって、「名刺って紙だったんですか? それで名刺入れなんていうモノがあったんだ!」と驚く世の中。そういうものを思い描いています。

■「大嫌い」だからこそ、本気で解決したい

インタビュー中、最も印象的だったのは、「なぜ名刺にこだわるのですか?」と尋ねたとき、寺田氏が「いや、こだわってないんですよ。むしろ大嫌いです(笑)。オールドファッションで、前近代的で」と答えたことだ。それほど強く問題意識を持っているからこそ、それを解決することを本気で目指しているのだな、と納得した。「好きなことをやりたい」と思う人は多いが、「面倒だからなんとかしたい」というのも、大きなモチベーションになるわけだ。

続けて寺田氏は、「でも、やってみると奥行きがある世界で、やればやるほど課題と可能性が見えてくる。だからやり続けているのです」と話した。名刺に関して世界で一番知見を有しているであろう会社となり、その世界一の知見を使って世界を変える新たな価値を生み出すことへの使命感が強まってきたという。

名刺は、当たり前すぎて気に留める人も少ない、小さな紙切れだ。しかし、本気で向き合うと、新しい世の中が姿を現わしてくる。「昔はみんな紙を配って回ってたんだよ」と言う日が来るのが楽しみになる取材だった。

寺田親弘(てらだ・ちかひろ)Sansan〔株〕代表取締役社長
1976年、東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業後、99年に三井物産〔株〕に入社。情報産業部門で勤務後、米国シリコンバレーに転勤。帰国後、社内ベンチャーの立ち上げやセキュリティ関連会社への出向を経て、2007年に退職し、Sansan〔株〕を設立。B to Bの名刺管理サービス『Sansan』を開始。11年、The Entrepreneurs Awards Japan U.S. Ambassador's Award(駐日米国大使賞)受賞。12年、個人向け名刺アプリ『Eight』を開始。(写真撮影:まるやゆういち)(『The 21 online』2016年06月25日 公開)