「衣笠祥雄」のニュース (56件)
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「リリーフは落ちこぼれ」の時代、稀代の大エース・江夏豊はなぜ野村克也の提案を受け入れ抑え転向を決断したのか
セーブ制度導入50年〜プロ野球ブルペン史江夏豊が振り返るリリーフ専任という前例なき挑戦(前編)1979年11月。抑えとして広島の優勝に貢献した江夏豊が、セ・リーグMVPに選出された。リリーフ専門の投手...
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「明日から江川卓のケツに回れ」と長嶋茂雄に言われた新浦壽夫は「オレ、エースじゃないのか?」と憤慨した
連載怪物・江川卓伝〜巨人のエース・新浦壽夫の証言(後編)前編:江川卓の入団時に巨人のエースだった新浦壽夫の矜持>>1979年、巨人に入団した江川卓だったが、「空白の1日」問題による余波で、キャンプ、オ...
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【長嶋清幸コラム】「マメ、出てこい!ここでタイマン張れ!」と星野さんが・・・
【長嶋清幸ゼロの勝負師(19)】前田智徳との“事件”があって、俺の周りの空気がトレードという感じになってきた。1年前の1989年には高橋慶彦さんがロッテにトレードされ、これがプロ野球の世界ということは...
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【長嶋清幸コラム】高卒の新人・前田智徳 すごい人材には見えんかった
【長嶋清幸ゼロの勝負師(17)】山本浩二監督が信頼する水谷実雄コーチの打撃理論を何とかして吸収したかった。でも、難しくてできない。やっても自分の感覚と全然違うもので、もう取り返しがつかなくなっていた。...
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【長嶋清幸コラム】山本浩二さんに大きな借りを返せなかったのは自分自身の汚点
【長嶋清幸ゼロの勝負師(16)】山本浩二監督1年目の1989年のオフ、俺がずっと慕っていた高橋慶彦さんがトレードで放出された。伏線は2年前だった。87年の開幕2日前、地元でチームの激励会があった。毎年...
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【長嶋清幸コラム】座右の銘は「体心技」体が強くなかったら心はついてこない
【長嶋清幸ゼロの勝負師(15)】1980年代、カープの春季キャンプは地獄だった。守備がヘタだったから週2度の特守をやらされ、マンツーマンで外野ノックを300球捕らなければならなかった。その後でトレーニ...
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【長嶋清幸コラム】長嶋茂雄さんに受けた指導 「人を踊らせる言葉」でヘロヘロに
【長嶋清幸ゼロの勝負師(12)】長嶋茂雄さんと同じ名字ということで、小さいころから周りにも言われたし、長嶋さんはスター選手ですごい存在の人って思っていた。でも阪神ファンだったからテレビで見ながら「巨人...
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【長嶋清幸コラム】山本浩二さん、衣笠さん…いかついイメージだった広島の先輩たち
【長嶋清幸ゼロの勝負師(9)】1979年、静岡自動車工高からドラフト外で広島に入団した。同級生でドラフトで入った選手たちは有名どころの高校だから周りも知っている。入団発表でみんなと顔を合わせた時、「は...
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【長嶋清幸コラム】86年日本シリーズ 3連勝のあと4連敗…初めて野球の怖さを知った
【長嶋清幸ゼロの勝負師(8)】野球の怖さを思い知らされた。1986年の西武との日本シリーズは、広島の3勝1敗1分けで第6戦から地元広島に移った。3連勝しながら第5戦で投手の工藤公康にサヨナラ打を浴びて...
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【長嶋清幸コラム】阿南新監督を男にするぞ!2年ぶりリーグVも日本シリーズで…
【長嶋清幸ゼロの勝負師(7)】1986年がまた強烈な1年だった。前年に古葉竹識監督が勇退され、阿南準郎監督が就任された。俺も主力の一員になってはいたけど、打率が3割に届いたことがなく、いつレギュラーを...
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【長嶋清幸コラム】「こんなことがあるんやな」西本さん、江川さんから連夜のサヨナラ弾
【長嶋清幸ゼロの勝負師(4)】1984年は打撃に波があり、ノーヒットが続いたことで7月、古葉竹識監督に「スタメンを外してください」と申し出た。でも、監督に「ヒットはそのうち出る」とたしなめられ、気持ち...
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プロ野球界に広がる打撃理論のルーツ 最大流派の家元は「何苦楚魂」の〝怪童〟
古来、日本の武術には様々な「流派」というものがある。剣術で言えば「北辰一刀流」「示現流」などが知られているが、バットを用いる日本プロ野球にも「流派」というものが存在する。そこで本紙は、打撃コーチを歴任...
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早大時代の恩師がゲキ 鳥谷よ“便利屋”になれ!
今季不振でレギュラーの座を剥奪された阪神・鳥谷敬内野手(35)が2日、西宮市内の球団事務所で契約を更改し、現状維持の年俸4億円でサインした。5年契約2年目の今季は打率2割3分6厘、7本塁打、36打点と...
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カープ黄金時代を予言した男
【ネット裏越智正典】広島34年ぶりの日本一はならなかったが、CSが始まろうとしていた10月11日、最終ステージで待ち構えていた広島の松田元オーナーが「優勝パレードは日本一になったときだけ」と言明した....
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伊勢孝夫氏が猛虎軍団に苦言 金本采配ここがアウト!
阪神が11日の巨人戦(甲子園)を1―3で落とし、3連敗で勝率5割に逆戻りした。前回4月27日の試合で完投白星を許した巨人の先発・田口にまたしても7回途中3安打に抑えられる貧打を露呈。金本知憲監督(48...
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【新井2000安打】忘れられない地獄から天国へのプロ1号
広島の新井貴浩内野手(39)が26日のヤクルト戦(神宮)で、3回無死二塁の第2打席で相手先発の成瀬から左翼線へ適時二塁打を放ち、史上47人目、広島では山本浩二、衣笠祥雄、野村謙二郎、前田智徳に続いて5...
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【正田耕三連載コラム】三村監督に教わった「一流の脇役を目指せ」が僕を変えた
【正田耕三「野球の構造」(39)】チームスポーツである野球には役割分担があります。4番打者のような長距離砲ばかりを並べても得点力が上がるわけではありません。何としてでも塁に出る人、走者を効果的に進める...
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ソフトバンク・栗原「捕手から大成」路線も
ソフトバンク期待の若手・栗原陵矢捕手(23)が自慢の打力で猛アピール中だ。紅白戦を含む直近の実戦10試合で打率4割(30打数12安打)、3本塁打、8打点。特に2日から始まった練習試合ではオリックス戦で...
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阪神・鳥谷 連続試合出場が1939試合でストップ
阪神・鳥谷敬内野手(36)は29日、ソフトバンク戦(甲子園)で出番がなく、連続試合出場が1939試合(歴代2位)でストップした。新人イヤーの2004年9月9日から試合に出続け、元広島の衣笠祥雄氏が持つ...
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男気あふれる広島・重松良典球団常務が一人で流した涙
【越智正典「ネット裏」】名代表、西野襄の勇退後、東洋工業の経理課長からカープの代表に就任(球団常務)した重松良典は仕事には痛烈であったが情の人でもあった。サッカーの日本リーグ時代の役員を務めていたので...
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杉作J太郎「山本浩二さん、衣笠祥雄さんらのモミアゲに感じたダンディズム」
【広島カープLOVE著名人「旨酒をくみかわそう」】優勝当日はめちゃめちゃ熱く、そして暑くなり過ぎました。きっと何のこっちゃとツッコミを受けるんじゃないかなと思いますが、実を言うと優勝の瞬間は京都市内の...
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【追悼 衣笠祥雄氏】ソフトB達川ヘッド「すし屋なのに締めはステーキだった」
ソフトバンクの達川光男ヘッドコーチ(62)が24日、広島黄金期の大先輩でもある衣笠祥雄氏を悼んだ。ソフトバンクのヘッドコーチ就任後、昨年のキャンプの際に「若いキャッチャーを怒るなよ。怒ったら今の子は伸...
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日本ハム・荒木二軍監督 プロ初登板で衣笠さんと対戦「威圧感どころじゃない」
日本ハムの荒木大輔二軍監督(53)が24日、広島OBの衣笠祥雄さん(享年71)の訃報を受けて、思い出を語った。プロ初登板は1983年4月26日の広島戦(神宮)で、8回から救援。最初の対戦相手が衣笠さん...
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鉄人・衣笠祥雄氏が死去 19日までテレビ解説
プロ野球記録の2215試合連続出場で「鉄人」と呼ばれ、国民栄誉賞を受賞した元広島の衣笠祥雄氏が死去したことが24日、分かった。71歳だった。京都府出身。1965年に平安(京都)から広島に入団。山本浩二...
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丈夫さだけではなかった衣笠氏 ドクターを驚かせた“鉄人の血”
“側近”から見た鉄人とは――。23日に上行結腸がんのため71歳で死去した衣笠祥雄氏を現役時代に支えていた広島の福永富雄球団トレーナー部アドバイザー(75)が、故人の我慢強さと医者をも驚かせたエピソード...
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衣笠さん告別式 盟友・江夏豊氏ら出席
広島のOBで「鉄人」の愛称で親しまれ、23日に上行結腸がんのため死去した衣笠祥雄さん(享年71)の告別式が24日、東京都内でしめやかに営まれた。近親者やごく親しい関係者約30人のみで行われ、野球関係者...
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【衣笠さんお別れ会】緒方監督「秋に日本一の報告ができるように精一杯頑張ります」
4月23日に上行結腸がんのため死去した衣笠祥雄氏(享年71)のお別れの会が28日、広島市内のホテルで営まれた。会場には献花台が設置され、広島の緒方孝市監督(49)やコーチ、選手の他に1975年のリーグ...
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守備も打撃もケタ違いだったプロ…オープン戦で二軍落ち
【正田耕三「野球の構造」(21)】1985年、カープ入団1年目の率直な感想は「とんでもない世界にきてしまった」というものでした。中学、高校、社会人と、それなりに厳しいチームで野球をしてきましたが、プロ...
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広島・鈴木誠也 骨折“現場”でお祈り&清めの塩
右足首を骨折した昨年8月23日以来の横浜スタジアム。24日のDeNA戦で18日の戦列復帰から初めてスタメンに名を連ねた広島・鈴木誠也外野手(23)はケガ防止に万全を期した。試合前の守備練習では“現場”...
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阪神・金本監督 連続フル出場は「衣笠さんの存在が大きかった」
阪神・金本知憲監督(50)が24日、急逝した広島OBの衣笠祥雄さん(享年71)を悼んだ。「何年か前から体調が悪いと聞いていたが、元気な姿を見せられていて、よくなっているのかなと思っていた。ビックリして...