ZARD・坂井泉水の衝撃的な死 事故か自殺か、当時の警察も捜査
※写真はイメージです

今年の5月27日で10回目の命日を迎えたZARDのボーカル・坂井泉水さん。

亡くなってから10年が経つが、いまだに彼女の歌声は多くの人の心に残っている。

また、その死はあまりに突然だったこともあったこともあり、様々な憶測を呼んだ。

ヒット曲を連発したZARD


坂井さんはZARDとして、1991年にデビュー。その後、ヒット曲を連発し、『負けないで』『揺れる想い』『マイ フレンド』など9作でミリオンヒットを記録している。
また、テレビなどのメディアに出演することがほとんどなく、そのミステリアスさも注目を集めた。

一見すると順調な音楽生活であったが、2000年以降、子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症と次々に病気を患っていた。
2000年には、自身の曲「Get U're Dream」がNHKのシドニーオリンピック放送時のテーマ曲になったため、「NHK紅白歌合戦に出場か?」と取り沙汰された際も、「体調がすぐれないため」と辞退している。

衝撃的だった坂井泉水の死


そして2006年6月、子宮頸ガンが発覚し、手術を受けて全摘出していた。その後回復に向かったが、翌07年の4月に肺に転移していることが見つかったことから、入退院を繰り返していたようだ。


そして悲劇は入院中に起きてしまう。
2007年5月26日、入院していた東京・信濃町の慶応大学病院の非常階段付近で大量の血を流して倒れているのが見つかった。発見後、すぐに院内の救急病棟に運ばれたが、翌日の午後に脳挫傷のために死亡した。
スロープ状になっている高さ約3メートルの地点から転落。後頭部を強打したことによる脳挫傷が直接の死因となった。

ネットでは憶測も


当時、警察は事故と自殺の両面で捜査していた。
ネット上でも、「事故だったのか? それとも自殺だったのか?」との議論が起きている。

しかし、生前の坂井さんに近かった音楽関係者などは不慮の事故による死であったのでは、と語る。
というのも、亡くなった07年年の秋には、アルバムの発売とライブツアーの実施計画があった。そのため、彼女自身も新曲用の詞を病床で書き留めるなど、復帰後に向けて意欲的な姿勢で過ごしていたという。

また、入院中に発行されたファンクラブの会報に載った坂井さんのメッセージには「体調は思わしくないが、頑張っている」という言葉とともに、前向きな姿勢が表われていた。遺書ももちろん見つかっていない。


坂井さんが所属していた事務所・ビーイングは彼女の死後、“坂井泉水が数々のヒット曲とともに、いつまでも皆様の心の中に生き続けることを願ってやまない”とのコメントを発表した。
そのコメント通り、今もなお彼女の歌声は多くの人の心に残っている。
(せんじゅかける)

※イメージ画像はamazonよりZARD Forever Best~25th Anniversary~