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電柱の町名表示は「森下仁丹」のアイデアだった

2004年7月25日 00時00分

右:大正6年船場小学校前の電柱広告、左:京都の市中に残る町名看板(画像提供:森下仁丹)

初めて訪れる街を散策するときお世話になるのが電柱の町名表示。

行政サービスの一貫なのだろうと勝手に思っていたのだが実はこれにはちゃんとした発案者がいた。その発案者とは森下仁丹の創始者、森下博。

そもそも電柱を広告に利用することに許可が下りたのは1890年(明治23年)。森下博はその3年後の1893年(明治26年)に売薬店、森下南陽堂を創業。広告は商売の柱であると同時に広く社会に役立つものでなくてはならないという「広告益世」の理念で積極的に広告宣伝に力を入れていった。

その「広告益世」の代表的なものが電柱広告に同時につけた町名の表記。来訪者や郵便配達人が家を捜すのに苦労しているという当時の人々の悩みに応え、1910年(明治43年)からは、仁丹のトレードマークである「大礼服マーク」の入った町名看板を次々に掲げ始めたのだった。

当初、大阪、東京、京都、名古屋といった都市部からスタートした町名看板はやがて、日本全国津々浦々にまで広がっていく。ちなみに「天は自ら助くる者を助く」「時を空費するは無情の奢侈なり」などいわゆる格言看板、広告も森下仁丹が元祖。森下仁丹ホームページに先月30日にオープンした「森下仁丹歴史博物館」には、「大礼服マーク」の由来やそのデザインの変遷など人に話したくなる「へぇ」が満載だ。(こや)

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