【独占】中道改革連合とは何だったのか。落選した吉田はるみが明...の画像はこちら >>



現在、国会を賑わせている高市首相陣営による“誹謗中傷動画”作成疑惑。告発者である松井健氏による証言と『週刊文春』の報道が続いている。

この動画のメインターゲットとなったのが、「中道改革連合」だ。岡田克也氏や枝野幸男氏ら所属議員を標的にしたショート動画が1日100本単位で大量投稿されていたと報じられ、有権者のイメージ悪化を狙った形跡が浮き彫りになっている。



しかし、中道改革連合が先の総選挙で大敗した理由は、こうした動画の存在だけとは断言できない。拙速な合流、理念なき政党、道筋の見えない合併――。支援者も戸惑うほどのスピード設立に、世間からは「単なる数合わせ」「野合」との厳しい批判を浴びた。「社会支援機構チキラボ」の調査によると、旧立憲民主党支持者の約4割が中道改革連合に投票しなかったという結果も出ている。



この大惨敗という濁流が渦巻くなか、中道にさらなる衝撃が走った。先の総選挙で同党から出馬したものの、一歩及ばず議席を失った旧立憲民主党の代表代行・吉田はるみ氏が、中道改革連合を離れる決意を固めたことが明らかになったのだ。彼女は今後、無所属の立場から、再び草の根の活動に身を投じることになるという。



結党から数ヶ月という短期間で、なぜ彼女は袂を分かつ道を選んだのか。そして、党が用意した落選議員への支援金を即座に辞退した背景には、どのような信念があったのか――。阿佐ヶ谷にある事務所を訪ね、現在の胸中と、激動に満ちた政治人生の原点に迫った。

(取材日6月9日)





■ 政治家・吉田はるみの原点は?「高額医療費制度」に救われた過去





「本日はよろしくお願いします」



 阿佐ヶ谷駅近くにある吉田氏の事務所の扉を開けると、彼女は笑顔で出迎えてくれた。



 政治の道を志したきっかけから聞いてみると、高市内閣で負担額が引き上げられた「高額医療費制度」だったという。彼女の母親が脳梗塞で倒れた際、この制度のおかげで危機を脱した。



「恥ずかしいことに、当時は高額医療費制度のことを何も知らなくて、医療費が払えず破産するかもと思い詰めていました。そんな時に『こんな制度があるんだ。こういうことを決めるのが政治なんだ』と身をもって知ったんです。その後、私自身も甲状腺がんを患いましたが、それを乗り越えられた時、これは世の中のために仕事をしろということなんだな、と。それが政治家を目指した原点です」



 大病を患っても、経済的な理由で命を諦めなくて済む社会を作りたい。門を叩いたのは自民党ではなく、当時の民主党だった。



「どういう社会を作りたいかと考えた時、当時の民主党が掲げていた『コンクリートから人へ』という理念、そして人生のピンチにおけるセーフティーネットを大事にする姿勢に強く共感しました。それに、私は八百屋の娘で政治家の知り合いもいません。そんな実績のない新人にもチャンス(公募)をくれる党であるという点も大きかったです」





■「排除」の論理に迎合しない!激動の2017年総選挙





 吉田氏が最初に国政に出馬したのは2017年。

当時は小池百合子東京都知事が率いる「希望の党」が旋風を巻き起こし、政権交代の勢いを見せていた。しかし吉田氏は、希望の党への合流を選ばず、急遽結党された「立憲民主党」から出馬する。



「あの時、東京の民進党メンバーは全員排除されましたよね。当初は全員が希望の党に合流するという話でしたが、他県で公認が決まるなか、東京だけは一向に話が進まない。みんな戦々恐々とする中、時間的に『これは私たちが排除された側だな』と察しました」



 希望の党の小池代表(当時)による「排除します」発言は、今も政界の歴史に残る。政策に同意できない者を容赦なく切り捨てる姿勢に対し、吉田氏は抗った。



「当時、松尾明弘さん、鈴木庸介さん、そして私ともう一人の候補者の4人で『無所属宣言』をしました。その翌日に立憲民主党が立ち上がるというお話に発展し、合流することになったんです。あの『踏み絵を踏ませる』『排除する』という論理に対して、絶対に迎合してはいけないという強い思いがありました」



 結果は、自民党公認の石原伸晃元幹事長を追い詰めるも、野党票の分散により落選。ここから彼女の長い浪人生活が始まる。





■恐怖のストーカー、そしてコロナ禍の「お困りごとチラシ」



【独占】中道改革連合とは何だったのか。落選した吉田はるみが明かす「野合新党」の限界、無所属での再出発
阿佐ヶ谷を中心に杉並区を駆け回って”地域のお困りごと”に耳を傾けてきた 写真:AC



 選挙後は、立憲民主党東京都第8区総支部の支部長として次の戦いに備える傍ら、早稲田大学エクステンションセンターや法政大学、目白大学、青山学院大学、神田外語大学などで教鞭を執り、生計を立てていた。



「大学の仕事以外にも、試験の校正や単発の講演会など、依頼をいただければ何でも受けていました。

あの時期はかなり多忙でしたね」



 浪人中の苦労について尋ねてみた。いいことも悪いこともあったようだ。



「悪い方の思い出としては、事務所の目の前までストーカーのような方が来て、廊下でお弁当を食べて待っていたことがありました。当時はビルの4階が事務所で逃げ場がなかったので、本当に怖かったです(苦笑)。



 逆に良かったのは、コロナ禍で閉店寸前だった地元の飲食店を助けられたことです。政治活動として何か役立ちたいと考え、各種支援金や制度の案内を載せた『お困りごとはありませんか?』というチラシを杉並区内に配りました。すると困窮している飲食店から連絡があったんです。店主の方は職人や料理人なので、パソコンを触ったこともない。私たちが申請のヘルプをしたり、お話を聞いたりしたことで、『助けてくれてありがとう』と言っていただけた。今でもそのお店が頑張って営業を続けている姿は、私の大きな励みになっています」



 地元で草の根の活動を続けていた吉田氏。しかし、2021年の総選挙直前、再び彼女を揺るがす事態が起きる。れいわ新選組代表の山本太郎氏が、東京8区からの出馬を検討していると報じられたのだ。

野党共闘により、吉田氏が別の選挙区へ回されるか、あるいは無所属での出馬を迫られる恐れが出てきた。



「山本さんが出馬するという話が出た途端、周囲から『吉田が降りろ』という雰囲気が高まりました。でも、こちらは3年間必死に活動してきて、この選挙にすべてをかけている。『そんなはしご外しは勘弁してくれ』というのが本音でしたね。執行部がどんな裏交渉をしていたのか私は何も知らされておらず、さすがに酷いなとは思いました。



 当時、私は一回も当選していない単なる一候補者ですから、党から外すと言われたら抵抗する術はありません。『それでも私は無所属でも出る。すべてをかけてやるんだ』と腹を括っていたので、気持ちにブレはありませんでした」



 結果的に山本氏は東京8区からの出馬を撤回。吉田氏は見事、自民党の石原伸晃氏を破り、初当選を果たす。



「当時、山本さんとは直接お話しできる立場ではありませんでしたが、今思えば、山本さんもご自身の意思をそのまま通せたわけではなかったのかもしれません。私は外されそうになった側ですが、山本さんもまた組織の論理に翻弄されていた。その点では、ある種のシンパシーを感じます」







■「一期生の役割は当選すること」永田町の迷信は無視





 永田町には「一期より二期、二期より三期」という言葉がある。

当選回数を重ねてこそ政治家として一人前、という迷信だ。若手議員の多くが次の選挙を気にして地元周りに奔走する中、2021年に初当選した吉田氏は、2024年に当選1回目にして党の代表選挙に出馬するという前代未聞の行動に出た。



「朝の駅立ちなどは当然やります。でも、国会での質疑を後回しにしてまで地元周りを優先するのは違うと思うんです。『一期生の役割は次の選挙で当選することだ』という永田町の常識に、私はずっと違和感を持っていました。だって、私に投票してくれた有権者は『吉田を次の選挙で当選させるため』に票を入れたわけではないですよね。一期目だろうが十期目だろうが、国会に送られた以上は国会議員としての仕事を100%やらなきゃいけない。だから、そうした慣習には抗っていました。もちろん、議員活動以外の時間で徹底的に地元周りも並行していたので、休みはまったくなく、そこは大きな課題でしたね」



 彼女の代表選出馬は、硬直化した永田町に一石を投じるきっかけとなったはずだ。



 同年10月の総選挙で、吉田氏は自民党公認候補に比例復活すら許さない圧勝で二期目を決める。2025年には立憲民主党の代表代行に就任し、高市内閣との論戦のエースとして期待された。しかし、突如行われた解散総選挙の波に呑まれ、新党「中道改革連合」から出馬するも落選の憂き目に遭う。



 もし、あの時吉田氏が立憲民主党の代表だったら、この新党は誕生していたのだろうか。そんな意地悪な問いをぶつけてみた。



「おそらく、中道改革連合という形の新党は作っていなかったでしょうね。新党という形ではなく、大きな野党のスクラム(選挙協力)という形で、他の野党と一緒に戦う仕組みを作っていたと思います。



 あの総選挙で、高市首相は不意打ちのような奇襲を仕掛けてきました。それに対抗するためには、公明党や国民民主党、共産党も含めて『一度テーブルについて、みんなで固まって対抗しよう』という戦略を立てたはずです。実際の新党結成は、奇襲攻撃にパニックになり、こちらも『えっ?』と思われるような極端な行動を取らざるを得なかったのでしょう。野党間で熟議する時間が圧倒的に足りなかった。それでも、やはりそれぞれの党が持つ本来の強みやカラーは、大事にすべきだったと思います」





■マイナスに作用した合流、あまりに長い「敗戦の総括」



 急ごしらえの中道改革連合は、公示前から大幅に議席を減らす大惨敗を喫した。そして今、立憲出身の落選議員たちの「離党ドミノ」が止まらない。吉田氏もまた、その決断を下した一人だ。 選挙戦の最中、地元での手応えはどうだったのか。



「結党から選挙までがあまりにもあっという間で、周囲の声を聞く余裕すらありませんでした。ただ、落選が決まった後に、支持者の方々から厳しい声がボロボロと寄せられましたね。『なんで合流したの?』『この先どうなるか分からない党に票は入れられない』『なぜ選挙協力じゃダメだったのか』……。中には『吉田さんは無所属で出ればよかったんだ』という声もありました。私自身、本当は立憲民主党の看板で出たかった。でも、その選択肢は消えていたんです。党の代表代行である私が無所属を選べば、新党に水を差してしまう。組織人としての葛藤がありました」



 中道改革連合本部は5月に敗戦の総括文書をまとめた。そこでは、旧立憲と旧公明の足し算が機能せず、無党派層の離反を招いて「マイナス」になったことや、安保法制を合憲と認めた基本政策が立憲支持層の離反を招いたと分析されている。





【独占】中道改革連合とは何だったのか。落選した吉田はるみが明かす「野合新党」の限界、無所属での再出発
中道改革連合の野田佳彦共同代表(当時)



「その総括文書、とにかく長いんです(苦笑)。あれでは支持者の方に最後まで読んでもらえません。地元の支援者からも『短い要約版がない』『有権者の気持ちに立っていない』と怒られました。みんな忙しい中、何枚もの文書を読む余裕はありません。中身も大事ですが、高市首相のメッセージ発信は非常に端的でクリアです。彼女の政策すべてに賛同はしませんが、情報を端的に国民に伝えるという点においては、私たちも猛省し、学ばなければならない重要なポイントだと思います」





■「二つの財布」のリアルと、国会へ戻ったらやりたいこと





 



 落選し、再び浪人生活に逆戻りした吉田氏だが、その表情に暗さはない。



「秘書さんたちの再就職先が無事に決まり、ようやく自分の活動に集中できるようになりました。今は大学の仕事や貿易事務の仕事をしながら政治活動を続けていますが、これがすごく学びになっています。現場の方々と一緒に働く機会が増え、大学では学生の就職活動やキャリアの現実に触れる。今の社会問題の『渦中』に身を置けていることが、今の私の強みです。



 よく落選議員の資金繰りが不透明だと批判されますが、浪人中は『二つの財布』を完全に分ける必要があります。一つは政治活動のためのお金(寄付や党からの支援金)。これは政治活動以外には使えません。もう一つは、自分が食べていくための生活費です。ここをごっちゃにしてしまうから批判を浴びます。与党の落選議員には多額の支援金が出る一方、野党は自己資金で稼ぐしかありません。私は『まずは1期生や初挑戦の方に回すべきだ』という思いから辞退を申し出ましたが、落選議員を取り巻く厳しい実態が、まだ世間に知られていないのだと感じます。



 現在は、毎週『ボランティアデー』を設け、地域の皆さんに助けてもらいながら、生活と政治活動を両立させる仕組みを整えています」



 現在の中道改革連合は、憲法問題や皇室典範改正の議論においても存在感を示せていない。国民投票法については与党案に賛成してしまった。旧立憲・旧公明の合流の壁は厚い。吉田氏自身は、これらのデリケートな問題にどう向き合うのか。



「憲法改正について『指一本触れるな』とは思いません。議論を妨げるべきではない。例えば首相の解散権の制約や、同性婚を念頭に置いた24条の改正などは、必要であれば大いに議論して改憲の選択肢もあり得ると思います。ただ、9条に自衛隊を明記する自民党案への合流は反対です。



 皇位継承については、女性天皇容認派です。いまの時代、女性天皇は当たり前。直系長子での継承が一番すっきりします。現在議論されている、旧宮家の子孫を養子にする案には違和感があります。600年も遡る血筋の方は、実質的にほぼ他人ではないでしょうか。皇室の伝統の本質は『男系男子』という形式ではなく、『常に国民に寄り添い、その痛みを共にすること』だと、今の天皇陛下もおっしゃっています。これまで一般の国民として生きてきた男性を、男性であるという理由だけで皇族に迎えて、本当に国民から敬愛される対象になるでしょうか。自民党内が『国旗毀損罪』のような、今すぐ成立させる必要のない議論ばかりに熱心なのは、あまりにも情けないと感じます」



 最後に、再び国会に戻った際に成し遂げたいことを聞くと、彼女の目は一層輝いた。



「教育改革です。今の画一的で偏差値偏重の教育は、子どもの自殺や不登校、発達障害を抱える子たちの生きづらさにつながっています。教育予算をしっかり確保し、スクールカウンセラーの増員や、教員の業務負担軽減を行い、外部の専門家を巻き込んだ教育環境に変えたい。



 どの国を見ても、若い世代が生き生きしている国には勢いがあります。若い世代がのびのびと育ち、学校や消費活動を元気にしていく、そんな活力ある日本をもう一度作りたいですね」



取材・文:篁五郎

編集部おすすめ