政治は混乱し、デマが飛び交い、誰の言葉も信用できない。こういう時代に必要なのは、賢者の慰めではない。

敵を作ることを恐れず、悪態をつき続けた、クソジジイの哲学である。礼儀正しく、社交的で、誰からも好かれる人間は、敵を作らないことを最優先にしている。しかし、性格は最低最悪で、敵をつくり、希望も解決策も語らず、悪態をつき続けたショーペンハウエルは、最高の哲学を生み出した。連載「厭世的生き方のすすめ」第29回は、「嘘とデマと経歴詐称の時代に「いい人」を演じるのは無能である。ババアを突き飛ばしたクソジジイ、ショーペンハウエルの処方箋」



嘘とデマと経歴詐称の時代に「いい人」を演じるのは無能である。...の画像はこちら >>



 



■なぜ「クソジジイ」だけが真実を見抜けるのか?



 ショーペンハウエルは理想など一つも語らなかった。



 「世界は地獄である」



 「人間は醜い」



 結論は「あきらめろ」である。



 ショーペンハウエルは母親の葬式に行かなかった。母ヨハンナはヴァイマルで華やかな文芸サロンを主宰し、息子の陰気な態度を「いっしょに暮らすのは重苦しい」と手紙で罵倒した。 息子は息子で、母の浪費家ぶりと男関係を軽蔑し、決別した。



 下宿先では、お針子のババアを突き飛ばした。理由は「うるさかったから」。裁判沙汰になり、相手が死ぬまで年金を払い続ける羽目になった。

お針子のババアが死ぬと、死亡証明書の写しの隅に、こう書いた。



 「Obit anus, abit onus(ババア死す、重荷去る)」



 韻を踏んだダジャレである。クソジジイ、最高だね。



 ベルリン大学では、人気教授ヘーゲルに、わざわざ同じ時間に講義をぶつけて勝負を挑み、惨敗した。聴講者ゼロ。その後も、生涯にわたってヘーゲルを「山師」「いかがわしい詭弁家」「ナンセンス」「空虚」「精神なきもの」「無駄口」「言葉の空騒ぎ」「思考の欠如」と罵倒した。 ヘーゲルがコレラで死んだ後も悪口を加速させた。死人に鞭打つことに、何のためらいもない。





 泥棒が入ってくるのが怖かったので、寝室には装填済みの拳銃2丁と抜き身の短剣を置いていた。床屋を信頼することができないので、髭を剃らせることを拒み、生涯自分で髭を剃った。要するに、他人を一切信用していなかった。



 毎朝、自分の脈を測り、舌の色で内臓の状態を勝手に診断し、気に入らない色だと朝食を抜く。

家計簿は使用人に覗かれないよう英語でつけ、重要なメモはラテン語かギリシャ語で書いた。財産を隠すために、株券に「秘薬」というラベルを貼って薬の処方箋に偽装した。



 女性を罵倒しながら、愛人をつくり、禁欲を説きながら女を買った。子供を作るなと言いながら、私生児がいた。



 これだけ並べれば、誰でも「とんでもない人間だ」と思うだろう。



 事実、その通りだった。「とんでもない人間」である。



 性格のいい人間は、世界と折り合いをつけるために、見たくないものから目を逸らす。礼儀という名のオブラートで現実を包む。「話せばわかる」「人間は理性的な生き物だ」と信じたふりをする。



 しかし、ショーペンハウエルはそれができなかった。協調性がないから、世間に合わせて現実を加工する動機自体が存在しなかった。



嘘とデマと経歴詐称の時代に「いい人」を演じるのは無能である。ババアを突き飛ばしたクソジジイ、ショーペンハウエルの処方箋【適菜収】 連載「厭世的生き方のすすめ」第29回
イマヌエル・カント(1724−1804)



■「他人を配慮しない」という生き方



 ショーペンハウエルは、カントの物自体を「意志」と名付け直した。



 盲目的で、衝動的で、理由も目的も持たず、生を続ける力。



 理性はその衝動に仕える「足の不自由な男」にすぎず、衝動という「目の見えない大男」の肩に乗って、せいぜい行く先を告げることしかできない。彼がこの結論にたどり着くことができたのは、自分自身が誰よりもその衝動に振り回されていたからである。



 食欲旺盛で、高級レストランでは二人前食べることもあった。



 自分のことが大好きで、孤高を気取りながら評価を求めた。名声など気にしないと嘯きながら、自分を褒めた新聞記事は欠かさずスクラップしていた。



 この矛盾こそが彼の哲学の基礎になっている。



 自分のことは棚に上げる。そして言いたいことだけを言い続ける。



 これは最強の生き方である。



 愛犬には「アートマ」ーーウパニシャッド哲学における「真我」を意味する名をつけ、人間よりも誠実だと公言した。

犬が粗相をすると「この、人間め!」と叱った。いい話である。



 彼は、最後まで戦いを続けた。



 死の前年、71歳になっても家主と揉めて引っ越しした。



 人間は「年を取れば丸くなる」というが、ショーペンハウエルは尖り続けた。そして人間の欺瞞と不条理を暴き続けた。



 ショーペンハウエルという有名な哲学者が、個人的な性格としてクソジジイだったのか。



違う。



 クソジジイだったからこそ、あの哲学が生まれたのである。



 思想は人格から切り離せない。



 切り離した瞬間、哲学は安全で無害な教養に変質する。



 ショーペンハウエルというクソ中のクソの生涯と言葉を、今回一冊にまとめた。





 



 



文:適菜収

編集部おすすめ