◆「テスト」をなくし「通知表」をなくせば、学校が変わるのか?
「テスト」をなくし「通知表」をなくせば、「学校が変わる」と思っている人がいるようですが、私に言わせれば、そう思っている人ほど、「テスト」や「通知表」に対しての思い入れが強いのではないでしょうか。
そもそも私は、「テスト」や「通知表」をなくせば「学校が変わる」という考えそのものが、よく理解できません。
茅ケ崎市にも通知表をなくした学校がありました。しかし、「テスト」や「通知表」をなくしたほうが良いと考えている人たちに、評価と授業は一体化しているものだから「テスト」や「通知表」をなくすのならば「授業」そのものを考え直さなくてはならない、というような視点があったのか疑わしいところがあります。通知表がなくなった後、授業が変わったという話は聞いたことがありません。
もし、働き方改革の流れの中で「テスト」や「通知表」をなくすということを考えているのであれば(そんなことはないと思いますが)、それはまたおかしな話になるし、本末転倒です。そもそも「学校は変わらなくてはいけない」所ではなく「学校はそう易々と変わってはいけない」所なのです。
4月5日の朝日新聞に、3月31日で西新宿小学校の校長先生を退職された方(「通知表」や「宿題」廃止を進めた方)のインタビュー記事が掲載されていました。私はその記事を読み終えた後、「フーッ」と体から力が抜けそうになったのです。直後に出てきたのは
「『学校を変える』というのはこういうことではないでしょう」
という言葉です。短いインタビュー記事だったので現場の詳細は分かりませんが、「学校は学ぶ所である」という根本的なことが、彼の思いから抜け落ちているように思えてなりませんでした。
西新宿小学校の前校長先生は改革を進めた背景を次のように語っています。
「教師がテストや点数を通じてではなく、ひとりの存在として子どもたちを見る。そんな学校を作りたいという理想がありました」
さらに続けて、
「きっかけは、授業中に落ち着かないことで有名だったある子どもの存在です。教師たちは手を焼いているというけど、放課後に遊んでいる時はすごく穏やかで、他の子と仲良くしている姿が印象的でした。同じ子が、場が違うと全く違う顔を見せる。これは子どもが悪いのではなく、学校のシステム自体に問題があるのではないか。そう思うと、オセロの白黒が一気に変わるように学校の見え方が変わったのです」
と語っているのです。
読み終えた後の私は愕然としました。本当にこれだけの理由で「宿題」や「通知表」をなくし、「テスト」をなくしたいと思ったのかと、俄かに信じられませんでした。このような話だけが「宿題」や「通知表」そして「テスト」をなくす理由だというのであるならば、それはあまりに説得力に欠ける話です。
◆西新宿小学校の前校長先生の不見識を問う
この記事から私がまず指摘したいことは次のことです。
西新宿小学校の前校長先生は、「テストや点数を通じてではなく、ひとりの存在として子どもを見ることを求めている」、そのためには「テスト」や「通知表」は必要ない、却って邪魔になるという考えのようですが、「『テスト』や『通知表』があると、教師が子どもをひとりの存在として見ていない」という判断こそが、偏見的であり独善的であるように私には思えます。
はっきり言わせてもらえば、長い間、「テスト」や「通知表」を必要だと思ってやってきた教師が、「子どもをひとりの存在として見ていない」ということではない。
思うに、教師が子どもをひとりの存在として見られないのは、システムの問題よりも教師の資質によるところであり、教師の学びの足りなさによるものではないか。もっと個人的な教師の問題なのではないか、ということです。長い期間、教師を経験してきて言えることですが、「テスト」や「通知表」がなくなったとしても、子どもをひとりの存在として見られない教師は存在するし、いなくならないと思います。
次に指摘したいことは、「子どもは場が違うと全く違う顔を見せる。これは子どもが悪いのではなく学校のシステム自体に問題があるのではないか」という捉え方についてです。
果たして、そうでしょうか。
私は40年間、10校以上の小学校で多くの子どもたちと一緒に学んできましたが、子どもたちの様子を見ていると、場によって子どもが違う顔を見せるのは、当たり前のことでした。授業中の顔、遊んでいる時の顔、家庭での顔、習い事をしている時の顔、下校後に友だちと一緒に帰っている時の顔などなど、子どもは場によってカメレオンのように姿や顔を変えていくのです。いくつもの顔を持っているのが子どもです。そして、どの顔もその子自身なのです。
1つ例を挙げるならば、子どもは甘えられる人には甘えます。
子どものこのような姿が、前述とは異なり、全く逆の姿になる時があります。
学校ではだらしない姿を見せるのに、家ではとてもしっかりしている姿を見せていたりするのです。なぜこのようなことが起こるのか、子どもにとって家庭が甘えられる所ではないからです。その時に、学校の先生が甘えられる存在であれば、子どもは甘える行動をとり、そのような顔を見せるのです。
子どもが行動や顔を変えるのは、「システムの問題」ではありません。関係性の中で変わってくるものなのです。
■耳障りのいい「教育改革」を唱える前に、学校現場の本質を認識せよ
今、世の中は不安定です。当然ですが学校も不安定です。
「本当に一生懸命に学んでいるよね。毎日の仕事も忙しいのに、さらに学んで自分の教師力をあげたいと思っているのだから感心するよ。やはり、自分の目指すものがはっきりしているからできるんだね」
「いえ、違います。そんなに強く何かを目指しているというより不安だからなんです。やっていないと不安だから頑張る、というのが大きな理由です」
「自分のやりたいことや理想的な教師像があって、それを目指しているわけではないんだ?」
「そういう若い教師は少ないと思います。やっていなくちゃ、ついていけないし不安だからやっている人の方が多いと思います」
私は、このような現役の教師が置かれている状況の中で「教育改革」という名の下で、さらに不安定な状況をつくりだすことに、重ねて疑問を持たざるを得ません。
今学校において、子どもにとっても教師にとっても必要なのは、お互いに安心して活動できる「関係性」です。若い教師たちと話して感じる、「常に不安と戦っている教師がいかに多いか」という現状こそが問題なのです。
不安な気持ちを抱えたままの状態で教師に「自分を持ちなさい」「自分の価値観を大事にしなさい」など、いくら言っても話は届きません。
今、現職の校長先生や教育委員会の方々が考えなければいけないのは、耳障りのいい「教育改革」ではありません。
「学校が変わらない、と嘆くのではなく、そう易々とは変わらない学校を創るべき」だと、私は思います。
文:西岡正樹
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