「シャトー・ムートン・ロートシルト」や「オーパス・ワン」など、世界最高峰のワイナリーでキャリアを築いた醸造家パスカル・マーティ氏。現在は自身のワイナリー「ヴィニャ・マーティ」をチリで運営し、日本酒酵母を使った革新的なワイン「ぎんの雫」でも注目を集めている。
なぜ彼はチリを選び、日本文化との融合に挑戦したのか。その哲学を聞いた。

○ワインの"新世界"、「チリ」を舞台に選んだ理由

――本日はお時間をいただきありがとうございます。日本はかなり蒸し暑く感じるのでは?

チリは今、冬が始まったところです。日本とは季節が真逆ですからね。先週末には今年初めての霜が降り、朝の気温はマイナス4度まで下がりました。ブドウの葉もすっかり落ち、冬の到来を感じています。

――マーティさんはこれまで「ムートン」や「オーパス・ワン」などで輝かしいキャリアを積まれてきました。そこでの経験を現在のワイン造りにどう活かされているのでしょうか。

確かに、歴史ある伝統的なワイナリーでの仕事は素晴らしいものでした。給料も良く、移動はファーストクラス、宿泊は常に五つ星ホテルという、非常に心地よい空間にいたのは事実です。

一方で、伝統には厳格なルールが伴います。
クラシックなワイン造りは重要ですが、そこでは自分の本当に作りたいものを自由に形にすることが難しい側面もありました。私は、これまでの経験を活かしつつ、チリという『ニューワールド』の地で、伝統とはまた別の角度からワインの可能性を表現したいと考え、自身のワイナリーを立ち上げる決心をしたのです。

――新世界の中でも、なぜ「チリ」に目をつけられたのですか?

一番の理由は、チリの“自由さ”にあります。ヨーロッパのワインのレギュレーションは非常に厳格で、『許可されていないことは禁止』という世界です。一方、チリは『禁止されていないことは、何をやってもいい』という自由さがあります。このレギュレーションの緩やかさが、新しい挑戦を後押ししてくれました。

1996年頃にもチリに住んでいて、そのとき感じたことですが、ここは世界の政治的な混乱から遠く離れ、静かで環境も非常に良い。醸造家として自分を表現するのに最適な場所だと感じたのです。

――チリの土地、土壌にはどのような魅力を感じていますか?

チリの土壌について語りだすと10時間は必要ですね(笑)。チリは日本と同じくプレートの境界に位置し、火山や地殻変動が多い国です。そのため、アンデス山脈から流れる川の影響や地質学的変化によって、非常に多様な土壌が存在しています。

チリのブドウの最大の特徴は『フィロキセラ(ブドウ根アブラムシ)』の被害を受けていないこと。
19世紀にヨーロッパのブドウが壊滅した際、世界中で接ぎ木が行われましたが、チリには接ぎ木をしていないオリジナルの自根の苗が残っています。これによって、ボルドーの古き良き時代の、より純粋な品種特性が表現されるのです。

――チリを象徴する品種といえば「カルメネール」が有名ですね。

カルメネールは私の一番好きな品種です。元々はボルドーの品種ですが、ヨーロッパでは雨に弱く、育てるのが非常に難しいとされてきました。しかし、チリの10月から4月にかけての乾燥した気候、そして突き抜けるような青空と日照りは、カルメネールを完璧に熟成させてくれます。

かつては青臭いと言われたこともありましたが、正しく育てれば、滑らかなタンニンと圧倒的な複雑味を持つ素晴らしいワインになります。他の品種とブレンドする際にも、大きな可能性を秘めているブドウです。
○日本文化との融合。「ぎんの雫」と日本食への深い愛

――日本市場で非常に人気の高い、日本酒酵母を使った「ぎんの雫」について伺わせてください。このアイデアはどこから生まれたのでしょうか。

もともとワインは低温で長時間発酵させるのが難しいのですが、日本酒『獺祭』の旭酒造・桜井会長から『日本酒の酵母は低温で活動できる』と聞いたのがきっかけです。


日本醸造協会との長い交渉の末、ようやく酵母の使用許可を得ることができました。当初はソーヴィニヨン・ブランの華やかさが際立つと予想していたのですが、出来上がったのは全く別物でした。これまでのワインでは感じたことのない、フローラルな香りと、口の中に広がる塩味や旨み……まさに革新的なワインが誕生したと思いました。

――日本の食文化とも非常に相性が良さそうですね。

日本酒酵母由来の『旨み』があるため、日本人の舌には非常に馴染みやすいはずです。私は日本食が大好きで、特に味噌のエレガントで繊細な味わいや、素材の複雑さを活かす天ぷらなどには敬意を持っています。

『ぎんの雫』シリーズなら、生のサーモン(刺身)にはソーヴィニヨン・ブラン、スチームサーモンにはシャルドネ、そしてグリルしたサーモンにはピノ・ノワールが合います。神戸牛のような脂の乗った肉料理には『クロ・デ・ファ』のような力強い赤ワインがよく合います。
○未来へのメッセージ。ワインは「健康な食事」の一部

――最近では世界的に若者のアルコール離れも指摘されていますが、これからのワインの未来をどう描いていますか。

私の世代と今の世代では価値観が違いますが、私にとってワインは“食事”であり、身体を作る大切なエレメント(要素)です。

ワインは飲み過ぎなければ、非常にヘルシーな飲み物だと感じています。
まずは『挑戦して、飲んでみる』という入口が大切。若い世代には、まず『体験』してほしい。ワインがどれほど人生を豊かにし、食事を美味しくするかを知る機会が増えることを願っています。
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