捜査機関も裏付けに追われた騒動の発端は、6月10日にライン上で出回ったライン情報だった。


「あの入江組長が亡くなったらしい……」


 言うまでもなく、六代目山口組でナンバー3のポストにあたる本部長、舎弟頭を歴任、15年の大分裂で神戸山口組結成の創立メンバーとなった入江禎組長(二代目宅見組組長)の死亡説である。


 捜査関係者が言う。


「死亡説の出所を探ると、ほぼ時を同じくしてユーチューブチャンネルで、元山口組直系組長による〝大スクープ〟として、死去が報じられていました。入手した情報が確かなら、という留保も挟みながらですが、『入江組長、安らかにお眠りください』という弔辞のテロップまで流され、ひと目見れば信ぴょう性の高い訃報に映ったのです」


 しかし、10年にわたる対立抗争中に何度も六代目側から標的となり、その身辺が当局による警護の対象となっている入江組長の安否確認は、当局にはお手のものだったようで、間もなく生存が確認された。


「風邪をこじらせて入院したのは確かのようですが、そこから尾ひれがつき、あらぬ噂が拡大されてしまったようです」(同)


 では、くだんのユーチューブ上での「大スクープ」はなんだったのか……。山口組ウオッチャーが明かす。


「誤情報の発信元となったのは、極道界では著名な元直参の盛力健児氏です。番組で情報源こそ明かされませんでしたが、任侠界に顔が知れ渡っている盛力氏の自信ありげな発信に、極道界が一時いろめきたちました」


 盛力氏は、三代目山口組の田岡一雄組長の腹心として知られた山本健一組長に見出され、山健組に加入。1978年に起きた京都のナイトクラブ「ベラミ」で田岡組長が松田組傘下のヒットマンに狙撃された「ベラミ事件」の報復戦で戦果をあげ、「山健組三羽烏」として、その名を鳴り響かせた。


 抗争で長期刑に服した功労者だった盛力氏だけに、出所後は大幹部の地位につくかと思われたが、渡辺芳則五代目に見込まれたのは同門の桑田兼吉組長や中野太郎組長で、六代目に代替わりしてから起きた2009年の「クーデター未遂騒動」に巻き込まれて引退。


 その後は、武術を通じての社会活動や「一般社団法人任侠盛力健児」の設立でも話題を呼んだ。


 前出の山口組ウオッチャーが言う。


「3日後になって発信源となったユーチューブチャンネルで運営者が『大誤報でした』と謝罪しましたが、あれほどの経歴がある元親分がどうしてデマを信じてしまったのか不思議です。

周囲に進言、助言する関係者がいなかったのかも謎です…」


 生前にお悔やみを寄せられた本人の胸中やいかにだが、結果的に、さっぱり動静が聞かれなくなった分裂の大役者・入江組長の近況に再びスポットが当たる形となった。


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