日本の戦後は戦争体験を抜きにしては語れない。戦後日本の平和主義も、憲法9条を支えてきた国民感情も、戦争体験を抜きにしては語れない。

 だが体験者が激減したことで、戦争の凄惨(せいさん)な出来事は継承されなくなり、加害の側面は急速に忘れられつつある。
 「戦争を知らない世代がこの国の中核になった時が怖い」
 そう語ったのは、戦後政治に大きな足跡を残した田中角栄元首相である。旧満州(中国東北部)に出征した経験がある田中の言葉は、今の時代に重く響く。
 きょう8月15日は「終戦の日」。政府は1963年の閣議決定で8月15日を「終戦の日」と定めた。
 その後、政府は8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と性格付けし、毎年この日に政府主催の全国戦没者追悼式を開いている。
 忘れてならないのは、大日本帝国が戦争に敗れて崩壊したという歴史の事実である。
 明治憲法下の戦前の日本の国名は大日本帝国だった。朝鮮、台湾などの旧植民地住民は当時「帝国臣民」と位置付けられ、日本軍兵士として特攻に加わるなど、多くの犠牲者を出した。
 日中戦争では、多くの中国人が大陸侵攻した日本軍の犠牲になった。
 8月15日の戦没者追悼式での天皇陛下や首相の言葉が注目されるのは、こうした歴史的な背景があるからだ。
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 昨年の8月15日、石破茂首相は全国戦没者追悼式の式辞で「戦争の惨禍を決して繰り返さない。
進む道を二度と間違えない」と決意を述べるとともに、こう訴えた。
 「あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まねばなりません」
 首相として初めて追悼式に出席する高市早苗首相は何を語るのだろうか。
 新進党の議員だった1995年3月、高市氏は衆院外務委員会で不戦決議に関連する質問でこう語った。
 「私自身は(戦争の)当事者とは言えない世代だから、反省なんかしていない。反省を求められるいわれもない」
 そのような認識を今も持っているのだろうか。
 「植民地支配と侵略への反省とおわび」を記した戦後50年の村山談話についても、当初、高市首相は批判を繰り返したが、後に姿勢をあらためた経緯がある。
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 広島市の平和記念式典で、石破茂、岸田文雄元首相らは、非核三原則を堅持するとの姿勢を明らかにしてきたが、高市氏は「堅持しており」と現状を述べるにとどまった。
 式典後の会見で見直しについて問われた際も「予断することは差し控える」と質問をかわしている。
 非核三原則のうち「持ち込ませず」を見直すことは、首相就任前からの高市氏の持論だった。
 首相の言葉は時に対外関係にも影響を及ぼす。問われているのは戦争観であり、言葉による発信力だ。
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