■『マイケル』は既に興収11億円
6月12日に一般公開された稀代のスーパースター、マイケル・ジャクソンの音楽伝記映画『Michael/マイケル』(アントワーン・フークア監督、2026年)。海外に続き日本でも好調で、今年公開された実写映画のうち、初日3日で最高額の約11億円に上る興行収入を上げている。上映終了時に拍手が起こった劇場もあり、往年のファンを喜ばせている。しかし、マイケルの後半生に影を落とした児童性虐待疑惑が持ち上がる前に、映画は幕を閉じる。
語られなかった部分を一部埋めているのが、『Michael/マイケル』にぶつけるかのように、ネットフリックスが6月3日配信を始めたドキュメンタリーシリーズ『マイケル・ジャクソン:ザ・バーディクト』(ニック・グリーン監督、2026年)だ。2003年に児童性虐待の容疑で逮捕された後、マイケルが陪審員裁判で無罪評決を勝ち取るまでを追っている。
■Netflixのドキュメンタリーでは…
複雑なのは、この裁判でマイケルの無実を証言した男性がマイケルの死後、ドキュメンタリー映画『ネバーランドにさよならを』(ダン・リード監督、2019年)で少年時代、マイケルから性加害を受けたと告発したことだ。同様の経験をしたという男性と共に、彼らはマイケルが設立したプロダクション会社などを相手どって企業責任を問う訴訟を起こしている。『Michael/マイケル』製作陣は続編を予定しているというが、こうした一連の経緯の扱いはどうなるのだろうか。
アメリカやイギリスでは既に4月末に『Michael/マイケル』の公開が始まり、各地で大ヒット中だ。全世界での興収は、クイーンのフレディ・マーキュリーを描き、ブームとなった音楽伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』(ブライアン・シンガー監督、2018年)を抜いて9億ドル強になった。
アメリカ国内のストリーミングも、公開後1週間でマイケルのソロ楽曲の再生数が1億3750万回を数え、前週から146%増加。映画に登場するジャクソン5やジャクソンズの楽曲も、軒並み再生回数が急増する現象が起きている。
■アメリカでの映画の辛口評価
しかし、こうした盛り上がりとは裏腹に、海外では辛口のレビューが少なくない。性虐待疑惑が出てこないことより、人物像が平板すぎることへの不満が目立つ。
「マイケルの抱える不安やトラウマ、苛立ちに踏み込むことを恐れるあまり、クリエイターとしても人間としても掘り下げが足りない」(RogerEbert.com)、「マイケルについてどう思うにせよ、彼は壮大で革新的なエンターテインメントの創造に情熱を傾けた。でもこの映画には、その精神がみじんもない」(BBC)。
ムーンウォークを突然するのが日常になっているほどマイケルに夢中だという大学生も、「マイケルを心優しい童話のヒーローに矮小化」「これでは彼の不可解さと謎めいた魅力を理解できない」(アリゾナ州立大学新聞『ザ・ステート・プレス』)と嘆く。
■ジャネットの存在が消された?
マイケルだけでなく、家族の描き方にも疑問の声が上がっている。ジャクソン兄弟はエキストラ同然の扱い、マイケルを虐待する父のジョセフが悪役すぎる一方、母キャサリンは聖女すぎる、といった具合だ。また、伝記映画化権の絡みもあるのかもしれないが、妹のジャネットは最後まで不在のままだ。
全体として、アメリカの映画批評サイト「ロッテントマト」の評価に見られるように (観客の評価数字が96%なのに対し、批評家は38%) 、専門家の間で不評が目立つ。
ただ、こうした海外の批評があまり触れていない点もある。
マイケルが世界で受け入れられた背景には、人種の壁を打ち破るほどの実力を持ち合わせていたことへの幅広い支持があったはずだ。彼の功績がなければ、今日のBTSやブルーノ・マーズの成功もなかっただろう。特に日本ではマイケルの全盛期は、アメリカのジャパン・バッシングが強かった時代と重なっており、そうした中で圧倒的な存在感を示した黒人スターに喝采を贈ったという面もあったかもしれない。
私がアメリカにいた頃、既にマイケルの言動は強い批判を受けていたが、それを伝える白人レポーターらの表情の中に、何か隠せない興奮があるようにも感じていた。
■キーパーソンのブランカ弁護士
とはいえ、『Michael/マイケル』自体に白人と黒人の確執にフォーカスする気はなく、むしろ弁護士と警備主任の白人男性2人が、横暴な黒人の父親からマイケルを守る物語になっている。この弁護士ジョン・ブランカ(写真右から1人目のマイルズ・テラーが演じる)は『Michael/マイケル』のプロデューサーに名を連ねており、マイケルの遺産管理人の1人でもある。
ニューヨーク・タイムズ・マガジンにマーク・ビネリが書いた記事によると、ブランカは、破産寸前だったマイケルが2009年に急死した後、資産の差し押さえを阻止して遺産を立て直し、マイケルというブランドの収益力を高めてきた立役者だ。ビネリは長文の税務裁判判決文を読み込み、セレブやブランドの消費者訴求力を測る指標(Qスコア)において、亡くなる頃のマイケルはもはやスコアさえ記録になく、彼のTシャツやポスターを置く店は見当たらないようなありさまだった、という知的財産管理会社の話を伝えている。開催予定だったロンドン公演「THIS IS IT」のチケットも、完売はしたものの企業スポンサーの確保は難しい状況だったという。
マイケルのブランド力が凋落したのは、当然ながら児童性虐待などの容疑で2003年に逮捕されたからだった。
■性的虐待疑惑でブランドが失墜
この『マイケル・ジャクソン:ザ・バーディクト』にも一部出てくるが、マイケル逮捕の引き金となったのが、ドキュメンタリー番組『マイケル・ジャクソンの真実』(ジュリー・ショー監督、2003年)だった。
この番組は、遊園地や動物園まであるマイケルの邸宅「ネバーランド・ランチ」を紹介しているが、マイケルはその際ガン治療を支援した12歳の少年と固く手をつなぎ、同じベッドで寝ていると話したのだ。「ベッドを共有するのは最高の愛情表現だ」という一方で「ベッドは性的なものではない。寝るだけだ」ともマイケルは語ったが、一般的に受け入れられる考えではない。しかし裁判では陪審員たちは、被害を訴える少年と家族の証言を信用せず、マイケルにかけられた容疑は全て無罪という評決を出した。
にもかかわらず、マイケルはブランド力をすっかり喪失。熱狂的なファンがいても変わらなかった。ところが、それがマイケルの死で再び逆転。「悲劇的な最期で聖人化され、市場でまたもや価値ある存在となった」とビネリは書いている。
■死去すると、世間が手のひら返し
ブランカらは、マイケルが亡くなる直前に予定していたロンドン公演のリハーサル映像をつなぎ合わせて作ったコンサート映画『マイケル・ジャクソンTHIS IS IT』(ケニー・オルテガ監督、2009年)を急遽公開。結果は大成功で、その後もシルク・ドゥ・ソレイユやソニーなどとの契約が相次ぎ、遺産管理団体は死後1年で10億ドルを稼いだという。税務裁判判決文によると、生前のマイケルには4億5000万ドルの負債があった。
以後、マイケルの遺産管理団体の方針は、マイケルの児童性虐待疑惑を否定し、ブランド力を高めることにある、とビネリは指摘する。ビネリが入手したという『Michael/マイケル』の元々の脚本では、マイケルに性加害をされたと1993年に最初に告発した少年の件を取り上げる予定だった。しかし、マイケルは無罪だと主張し、少年一家の信用を毀損する内容が入っていたため、一家とマイケルの和解条件に違反していたことが後になって判明。このため製作側はその部分を削除した上で追加撮影をすることになり、公開が大幅に遅れてしまったという。
少年時代にマイケルに性加害を受けたと男性2人が訴える『ネバーランドにさよならを』に対しても、遺産管理団体は制作したHBOに対し、かつて結んだ誹謗中傷禁止条項違反だと訴訟を起こし、HBOが2024年に配信リストから外したという経緯がある。現在日本のネットフリックスではこの映画を見ることができるが、アメリカからはVPNを経由しない限り視聴できない。
■元少年たちはマイケルの会社を訴えた
サンダンス映画祭で上映され、ドキュメンタリー&ノンフィクション特別番組部門でエミー賞を受けた作品だが、遺産管理団体側は「告発者とその家族にしか話を聞いておらず、ドキュメンタリーとして一方的」と批判している。
告発男性2人は、マイケルが設立したMJJプロダクションズとMJJベンチャーズを相手に、企業の法的義務や責任を問う訴訟を起こした。いったん棄却されたものの控訴審で復活している。
『ネバーランドにさよならを』で話された内容が正しいかどうか、今後裁判で判断されることになるが、作品の比重はネバーランドであったという性虐待だけでなく、虐待された「その後」、告発者がどのような心理状態にあったか、にも置かれている。結婚して子どもを持って、子どもがどれだけ純粋か実感するようになり、当時の自分に起きていたことが何だったか考えた、と告発男性は語っている。「自分の子どもが被害に遭ったら」と思うと激しい怒りを覚えるが、自分自身に対しては何も感じないことや、「いつかまたマイケルと友達になれないか」という気持ちがずっとあったことなどが明かされる。
■「グルーミング」の典型的事例とは
児童性虐待が専門のナディア・ウェイジャー博士はこの映画の公開当時、「真偽のほどはわからないが、男性2人の証言は、虐待の発生を防ぐためにより深く理解するべき問題を提起している」という。例えば、児童性虐待の加害者は、子どもと感情的な絆のある「親友」のようになる。そして「自分は特別な存在」と子どもに思わせ、周りから孤立させるように仕向ける。いわゆる「グルーミング」の手口だ。子どもより先に、親がグルーミングされてしまうことも多い。加害者側と感情的な絆を結ぶことで、親も「あんなすばらしい人がいまわしい行為をする」ことが理解できなくなってしまうからだ。
また幼少期に性虐待を受けた場合、それが間違っていると気づかないことも多いという。虐待だったと気づいた後も、加害者への愛情を捨てられず葛藤を抱えることがある。
■日本の芸能界もひとごとではない
こうした指摘を聞いて思い浮かぶのは、ジャニー喜多川による児童性加害問題で持ち上がった数々の事柄だ。突然ジャニーズ事務所に招き入れられて感じる、少年たちのドキドキ感や「自分は特別なのかも」と思う特別感。その一方で、富と名声にまかせて好き放題にふるまうミリオネアの存在。「作品に罪はない」と、人と音楽性を簡単に切り分ける考え方。いったん露見するとスポンサーが消えること。そう考えると結局、児童性虐待とは被害者と加害者の問だけではなく、自分自身も含めた社会もグルになっている問題なのだと考えざるを得ない。
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柴田 優呼(しばた・ゆうこ)
アカデミック・ジャーナリスト
コーネル大学Ph. D.。90年代前半まで全国紙記者。以後海外に住み、米国、NZ、豪州で大学教員を務め、コロナ前に帰国。日本記者クラブ会員。香港、台湾、シンガポール、フィリピン、英国などにも居住経験あり。『プロデュースされた〈被爆者〉たち』(岩波書店)、『Producing Hiroshima and Nagasaki』(University of Hawaii Press)、『“ヒロシマ・ナガサキ” 被爆神話を解体する』(作品社)など、学術及びジャーナリスティックな分野で、英語と日本語の著作物を出版。
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(アカデミック・ジャーナリスト 柴田 優呼)

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