※本稿は、虫明 元『孤独脳 脳のSOSに気づき心と体を壊さない30の方法』(ディスカヴァー携書)の一部を再編集したものです。
■WHOが「健康を害する要因」だと言及したもの
2025年6月30日、WHO(世界保健機関)は、あるひとつの画期的なグローバルレポートを発表しました。そのタイトルは、『孤独から社会的なつながりへ(From loneliness to social connection)』。
WHOがこのようなレポートを発表したのは、孤立・孤独が、さまざまな身体および精神的疾患への罹患リスクや悪化要因となり、早期死亡(75歳未満の死亡)にもつながることなどに関し、すでに多数の科学的エビデンスが得られているという背景があります。
これまで「健康の社会的側面」は軽視される傾向にありました。しかし社会的孤立・孤独は単なる個人の問題ではなく、タバコや過度の飲酒に匹敵する「重大な公衆衛生上の脅威」であり、社会全体にも悪影響を及ぼします。こうした見解から、WHOはこれを喫緊の課題ととらえ、2024年に孤独・孤立対策の委員会「社会的つながり委員会」を立ち上げ、本レポートの発表に至りました。
本レポートでは、孤独感には世界人口の15.8%、すなわち約6人に1人が悩まされていることが報告され、ソーシャルメディアの過剰使用などの背景により、若年層でも高い割合で社会的孤立や孤独を感じていることが指摘されています。
■脳卒中の発症リスクが約32%上がる
また、孤独感によって、心臓病や脳卒中、糖尿病、認知症、うつ病、不安症などの発症リスクが上昇するなど心身の健康に重大なリスクをもたらすことが明らかにされています。WHOのレポートによれば、脳卒中の発症リスクは社会的孤立により約32%上昇することが示されています。
また、同じくWHOのレポートで紹介されているデンマークの大規模研究(46万5千人超を対象に6年間追跡)では、ときどき孤独を感じる人で糖尿病の罹患リスクが14%、頻繁に孤独を感じる人では24%上昇することが報告されています。
ちなみに、アメリカの公衆衛生局長官は2023年の勧告の中で、孤独による早期死亡リスクの高まりを「1日15本のタバコを吸うのと同じレベル」と表現しており、この問題の深刻さを象徴する言葉として広く知られています。
さらに地域社会に目を向けると、孤立・孤独は社会的な結束を弱め、生産性の低下や医療費の増加など、数十億ドルもの損失をもたらすとされています。
一方で、良好な社会的つながり(ソーシャルサポート)をもつことは、寿命を延ばし、「ウェルビーイング(well-being)」を劇的に向上させることが実証されているとしています。
社会的な絆を強くもつ地域社会は、より安全で健康的であり、災害への対応を含め高い回復力を有する傾向があります。
■「健康」とは何か
ところで、「孤立・孤独」が心身の「健康」をおびやかすリスクがあるとのことですが、ではこの「健康」とはいったいどんな状態なのでしょうか。
また、先ほど出てきた「ウェルビーイング(well-being)」はどんな意味をもつ言葉なのでしょうか。
WHOが1946年に発した世界保健機関憲章において、「健康」とは、「病気ではないとか弱っていないということではなく、身体的にも、心理的(精神的)にも、そして社会的にもすべてが満たされた良好な状態にあること」と定義されています。
この、身体+心+社会的つながりが三位一体で良好に満たされた状態こそが「ウェルビーイング(well-being)」と呼ばれているもので、幸福感や生きがいを含めた「持続的」な状態と考えられています。
このウェルビーイングを構成する3つの要素をもう少し具体的にいうと、
「身体的健康」とは、身体が健やかに機能している状態
「心理的健康」とは、ストレスが少なく、前向きで心穏やかな状態
「社会的健康」とは、社会や他者とのつながりがあり、役割や居場所がある状態
を表します。
先ほど、以前は「健康の社会的側面」が軽視されがちであったと言いましたが、孤立・孤独が身体的・心理的な健康を損なうリスクがあることが多様な研究結果から明白となったところで、あらためて健康の社会的側面がクローズアップされた形になったわけです。
■ウェルビーイングと孤立・孤独の関係性
では、このウェルビーイングを構成する3つの要素、すなわち身体的・心理的・社会的健康と「孤立・孤独」はどのように関わっているのでしょうか。
まず、孤立は、「社会的健康」という点でリスクに、また、孤独感は「心理的健康」リスクになります。
そしてこの社会的健康のリスク、心理的健康のリスクのいずれも、もうひとつの「身体的健康」のリスクにつながっていくのです。
ポジティブ心理学の第一人者セリグマン博士(1942年~)は、「フラリッシュ(flourish)」という概念を提唱しています。フラリッシュとは、単なる幸福にとどまらず、「人間としての成長と繁栄」を伴う状態のことです。ウェルビーイングと共通する部分も多いですが、フラリッシュは「関係」「参加」「感情」「意味」「達成」という5つの要素を重視し、未来に向けた成長や自己実現をより強調しています。
つまり「健康である」とは、自分らしく成長し、社会とつながり、生きがいを感じられる状態をも指すのです。
■「自己実現欲求が満たされるか」が重要
フラリッシュの考え方は、マズローの「欲求5段階説」とも重なります。人間には生理的・安全・社会的欲求の上に「自己実現欲求」があり、それこそがその人固有の、かけがえのない欲求です。
「自己実現欲求」が満たされるかどうかは、社会的なウェルビーイングにとって重要な要素です。
たとえば「誰がやっても同じ」「誰にでもできる」仕事の中では、一人ひとりの個性や独自性はなかなか認められません。全員に同じ“ユニフォーム”を着せるような環境では、自己実現とは程遠い状況に置かれやすくなります。
このような環境では、周囲に人がいても「一人の人間として見てもらえていない」という孤独感が生まれやすくなります。そのような「孤立していないのに孤独」という状況は、社会生活ではよくあることです。
そしてこの社会的なつながりの質が損なわれると、心理的・身体的な健康にも影響が及んでいくのです。
■ウェルビーイングを生む「自己認識」
ウェルビーイングやフラリッシュは、脳の神経ネットワークの働きと深く関わっています。具体的には、心理的・社会的・身体的な健康それぞれに対応する3つの「自己認識」に関わる神経基盤です。
①心理的自己(社会的・内省的自己)
関連する部位・ネットワーク:内側皮質系(前部前頭前皮質、内側前頭前皮質、背内側前頭前皮質、上前部前頭前皮質、後部前頭前皮質、および前頭前皮質)や、デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)が深く関与。
社会的認知に関与する領域と機能的に関連、自己と他者に関連する処理をつなぎ、内省・他者理解・アイデンティティの形成を担う。健全に機能しているときは、他者と関係を築き、社会的なつながりや自己肯定感を維持する土台にもなる。
性格・記憶・他者との関係性などをもとに「自分とは何者か=アイデンティティ」を形成する領域です。他者の意図を読み取ったり、自分を客観的に見つめ直したりする働きも担っています。
■自分がどこにいるのかを「マッピング」
②外感覚的自己(身体的・環境的自己)
関連する部位・ネットワーク:側頭頭頂接合部(TPJ)、外側前頭前野、頭頂外側皮質系、頭頂葉、島皮質、運動前野が関与、関連するネットワークはCEN(セントラル・エグゼクティブ・ネットワーク)。
外界の情報を処理し、他者や環境に対して適切な行動・コミュニケーションを選択・実行する。
五感(=外受容感覚……視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)から入ってくる情報をもとに、他者の表情や周囲の状況、空間的な位置関係などを把握する領域です。
また、「どこまでが自分でどこからが他者・環境か」という境界を認識し、自分と他者を適切に区別する働きも担っています。
外界と関わるとき、脳はまず感覚器官から情報を収集し、その膨大な情報の中から必要なものに注意を向けて「知覚」します。そして過去の記憶や経験と照らし合わせて状況を理解し、適切な行動や言葉を選んでコミュニケーションや危険回避に活かします。このように、外界と自己との間には相互作用があります。また、自分の身体が外界のどこにあるかを「マッピング」し、対象物までの距離や方向を正確に把握する働きも担っています。
■身体の内部状態をすぐさま感知
③内感覚的自己(身体の内部感覚)
関連する部位・ネットワーク:島皮質、前部帯状回、内側前頭前野が関与、関連するネットワークはSN(サリエンス・ネットワーク)。
呼吸・心拍・痛み・空腹感など身体内部の信号をリアルタイムで検知し、感情の基盤と生命危機のアラームを担う。
呼吸・心拍・空腹感・痛み・筋肉の緊張など、身体の内部状態をリアルタイムで感知する感覚(内受容感覚)の領域です。ここで認知される自己を「内感覚的自己」あるいは「内受容的自己」と呼びます。生命維持や感情の基盤となり、身体の無意識のサインをキャッチして、危機回避や健康維持に役立てています。なお、喜怒哀楽などの感情は、内受容感覚だけでなく、外受容感覚とのバランスから生まれることが最新の研究で明らかになっています。
■調和すれば幸福感が得られる3つの要素
3つの自己(心理的自己・外感覚的自己・内感覚的自己)は、それぞれ心理的・社会的・身体的な健康にほぼ対応しています。
ウェルビーイングとは、この3層がバランスよく機能している状態です。これらが調和することで脳内のストレスが軽減し、持続的な幸福感がもたらされることが近年明らかになっています。
実は、このバランスを支えているのが、3つの神経ネットワークの相互作用です。それらが「どのように働くのか」「孤独感やウェルビーイングとどう関連するのか」をここで具体的に見ていきましょう。
・DMN(デフォルト・モード・ネットワーク):主に心理的自己に対応。内省・自己認識・他者理解など「内なる世界」の処理を担う。
・CEN(セントラル・エグゼクティブ・ネットワーク):主に外感覚的自己に対応。外界の情報を処理し、目標指向的な思考・判断・行動を制御する。
・SN(サリエンス・ネットワーク):主に内感覚的自己に対応。身体の内部感覚や感情的に重要な刺激を検知し、DMNとCENの切り替えをコントロールする「スイッチング機能」を担う。
ウェルビーイングとは、この3つのネットワークが状況に応じてバランスよく切り替わっている状態です。
■人が孤独を感じるメカニズム
たとえば、過去の失敗や将来の不安にとらわれすぎると、DMNが過剰に活動し、脳疲労やストレスの原因になります。
また、自然やアートに触れたり、他者と適切なつながりをもったりすることで外感覚的自己がポジティブな刺激を受けると、CENが活性化し幸福感を得ることができます。
一方、孤独感はこの3層のバランスが崩れた状態といえます。
孤立・孤独化が起こるとSNが過活動になり、些細な刺激も「社会的脅威」として検知されます。するとふだんは他者理解を支えるDMNが暴走し、自他を多角的に見つめる働きが失われます。そうすると、過去の孤立体験の反芻や将来への不安が止まらなくなり、一方でCENの働きは低下して他者からのフィードバックを適切に受け取れなくなります。
この3つのネットワークの乱れが慢性的なストレスや孤独感を引き起こし、そこから健康問題へとつながるのです。
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虫明 元(むしあけ・はじめ)
東北大学名誉教授
東北大学医学部大学院卒業、医学博士。東北大学名誉教授、同大学院医学系研究科・学術研究員。八戸看護専門学校・学校長、専門は脳神経科学。主著書に、『学ぶ脳――ぼんやりにこそ意味がある』(岩波科学ライブラリー)、『前頭葉のしくみ――からだ、心、社会をつなぐネットワーク』(共立出版)、『ひらめき脳』『脳科学的人間像――ライフサイクルの中のウェルビーイング』(いずれも青灯社)がある。共著書に『コミュニケーションと思考』(岩波書店)、『学習と脳――器用さを獲得する脳』(サイエンス社)、『認知症ケアに活かすコミュニケーションの脳科学20講』(協同医書出版社)がある。
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(東北大学名誉教授 虫明 元)

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