※本稿は、田口善弘『見えないものを信じる力 物理で世界を読む』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■「時間の進み方はどこでも同じ」という当たり前
我々にとって時間や空間が固定されている(つまり、時間や空間は一つだけで、時間はどこでも同じように進み、空間は伸びたり縮んだりせず常に静止している)ということは、あまりにも当たり前すぎる。旅に出て3日経ったら、帰宅しても同じ3日の時間が経っている。昨日行った場所には、今日同じ道筋をたどれば到着する。しかし、冷静に考えてみると、こうでなくてはいけないという道理はないだろう。
旅に出て3日後に帰ったあと、「ここでは4日経っているよ」と言われても、自分の直感だけでは反論のしようもない。同じ場所に行ったつもりが全然違う所にたどり着いても、これは自分の記憶違いなのか、それとも場所のほうが変わってしまったのか、俄かには判断が難しい。
■ニュートン力学の大前提は「時間と空間は動かない」
ニュートンの力学は、運動の三法則や万有引力の法則などが有名だが、実はニュートン力学でいちばん画期的なのは、時空間の固定という発見(固定と定義したこと)なのである。ニュートンの万有引力の発見で、天空も地上も同じ法則で支配されていることがわかった。ということは、時間や空間に断続があってはならないことになる。
それでは、旅先と自宅では時間がどうずれているのだろう? どこかに境界があってその両側で時間のずれがあるのか? それとも、連続的にゆっくりと時間の進み方が変わっているのだろうか?
いずれにせよ、時間の進み方が場所によって違うのでは大問題だ。地元では時速60kmで走っている車の速度が、旅先では時速50kmになったり時速70kmになったりすることになる。これでは場所によって運動エネルギーの大きさが変わってしまい、エネルギー保存則に反する事態が起きてしまう。
そんな面倒なことを考えるより、時間の進み方はどこでも一定だし、空間も不変だと考えたほうがいい。そんなわけでニュートン以降、全宇宙にはたった一つの時間とたった一つの空間座標しかないのが暗黙の了解になった。
■「時空間が固定されている」という世界観はつい最近のもの
もっとも、ニュートン以前には、時空の固定は決して「当たり前」ですらなかった。神や悪魔が実在していると信じられていた時代に、時空が一定で不変だと考えることは難しい。神や悪魔は、時空を捻じ曲げることなど簡単にできるのだ。また、ニュートンが登場するまでは、天空と地上が同じ法則で支配されているという確証さえなかったのだから、天空と地上で「時空が一定で不変」という発想が出てくるわけがない。
実際、惑星の軌道が楕円であることを証明したケプラーは、なぜケプラーの法則が成り立つのかという惑星の運動のメカニズムについては、かなり荒唐無稽なことを言っていたし、地動説を支持して裁判沙汰にまでなったガリレオは、実は「ケプラーの楕円軌道は間違っている(円軌道が正しい)」と信じたまま亡くなった。
我々が高校の物理で学んで当たり前と思っている「時空間が固定されている」という世界観は、ニュートン以降に人類が獲得してきた「信念」なのである。
■宇宙全体が同じ速さで動いていると言えるのか
ただし、この時空間の固定には、ある種の気持ちの悪さが伴っている。
もし、宇宙の中のすべてのものが同じ方向に同じ速さで動いているとしても、我々には知る術がない。どうせわからないならそれでかまわないと開き直ることもできるが、宇宙全体が等速で運動しているとすると、その膨大なエネルギーはどこから来たのかとても気になる。
この懸念は長い間無視され、暗黙のうちに「宇宙の中心は止まっている」とされてきた。冷静に考えると、「宇宙は全体として静止しているはず」という仮定はご都合主義的過ぎて炎上必至な気がするが、歴史的にはそうではなかった。
■どう測っても「光の速さ」が変わらないという大問題
この「時間と空間は固定されている」という信念を揺るがしたのは、光だった。19世紀、物理学者マクスウェルは電場と磁場の法則から、光(電磁波)の速さが既知の物理定数で決まることを示した。ここで世間は「すわっ!」となった。
当時、光は「エーテル」という、宇宙を満たす未知の媒質を伝わる波だと信じられていた。だとすれば、動いている列車の速度が、列車と同じ方向に動いていれば遅く見え、逆なら速く見えるのと同じことが、エーテルでも起きるはずだ。
光速をいろいろな方向で測れば、地球がエーテルに対してどちらの方向に運動しているかはわかるはずで、地球がエーテル中で静止していない限り、方向に依存して光速が変化する(観測される速さにバラツキが出る)方向依存性が絶対に現れなくてはならない。
だが、どうやっても光速の方向依存性は観測できず、科学者の間には困惑が広がった。
■「時間と空間が伸び縮みする」ローレンツの大胆すぎる仮説
この難問を解決するために、稀代の理論物理学者ローレンツは「運動する物体では進行方向の長さが縮み、時間の測り方も変わる」という、当時としてはきわめて大胆な考えを導入した。確かに時空がこのような変換を受けると考えると、地球がエーテルに対して静止していると考えなくてすむ。
ここで人類は、「エーテル全体が地球といっしょに動いている」のか、「時空がローレンツの考えた式のとおりに実際に伸びたり縮んだりする」のかという二者択一を迫られた。どちらもあり得なさそうなもののどちらかを、自然法則として受け入れなければならなかったのだ。
■浦島太郎は原理的にあり得ない話ではない
しかし、「時空が実際に伸びたり縮んだりする」という考えは、当初は受け入れられなかった。なにしろ「時空間の固定」は、ニュートン力学の依って立つ大前提である。計算上一致するというだけで、「光速に対して進む方向と速度によって時間と空間が伸びたり縮んだりする」という考えを受け入れるのは、あまりにもハードルが高かった。
この解決には、実際に「時空間の固定」を否定するしかなかった。そして、それを実際に行ったのが、アインシュタインの特殊相対性理論だった。光速に近い速度で移動する物体では、外から見た時間の進み方が実際に遅くなる。高速で宇宙を旅して地球に戻れば、地球に残った人よりも本人に流れた時間のほうが短い、ということが原理的には起こり得る。
「時間は誰にとっても同じ」という感覚は、人間の日常生活の範囲でしか通用しない。浦島太郎を荒唐無稽だと思わせていたのは、物語ではなく、私たち自身の感覚のほうだったのだ。
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田口 善弘(たぐち・よしひろ)
中央大学理工学術院教授
1961年、東京生まれ。『砂時計の七不思議粉粒体の動力学』(中公新書、2025年『砂時計の科学』(講談社学術文庫)として再出版)で第12回(1996年)講談社科学出版賞受賞後、機械学習などを応用したバイオインフォマティクスの研究を行う。スタンフォード大学とエルゼビア社による「世界で最も影響力のある研究者トップ2%」に2021年度から5年連続で選ばれた。最近はテンソル分解の研究に嵌まり、成果を2019年9月に英語の専門書(単著)として出版(2024年に第2版)。著書に『はじめての機械学習』(講談社ブルーバックス)、『学び直し高校物理』『知能とはなにか ヒトとAIのあいだ』(以上、講談社現代新書)、『物理は存在しない』(朝日新書)、『トンデモと科学のあいだ』(講談社選書メチエ)などがある。
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(中央大学理工学術院教授 田口 善弘)

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